始まる戦い
その夜、祓戸の屋敷の庭には久しくないほどの霊気が満ちていた。選りすぐられた一族や傘下の人間達がそれぞれに出立の支度をしている。
その光景から視線を外した椋礼は、変わらぬ厳しい表情のまま娘達を見据えた。
「これは祓戸にとっても一世一代の局面だ…御前」
「はい」
「お前はこの者達を束ね、祓戸の力を示せ。これ以上典祓庁をつけ上がらせるな」
「元よりそのつもりです」
「そして影前」
毅然と答える和梧の隣に立つ仁梧は、名を呼ばれ無意識に背を縮こめる。そんな彼女の姿をまるで品定めでもするように見ながら、椋礼は言った。
「お前には双御祖の再来として以外に露払いの役目がある事を忘れるな。御前に万が一がないよう、しかと務めを果たすのだ」
「…はい。心得ています」
「…」
かけられたのは期待ではなく、責務の確認の言葉。改めて刻まれた己の宿命を静かに受け入れる仁梧を和梧は目の端だけで捉える。
〈仁梧〉
「ほしみ?」
珍しく大勢の人間がいる前に出てきたほしみに、仁梧はどうしたのかと問いかける。
〈僕も行っていい?〉
「え?」
〈何だか行かなきゃいけない気がするんだ〉
そう答える金色の目は、呼吸する度に瞳孔が開いては狭まっている。
「…ほしみ、大丈夫?」
〈何がだい?〉
「…ううん、何でもないわ」
このまま一緒に連れていっていいのだろうか。仁梧は悩んだが、この状態のほしみを屋敷に残していくのも心配だと思い共に車に乗り込んだ。
*
封鎖地域の手前には、既に典祓庁の車両がずらりと並んでいた。黄色い規制線の向こう側は夜だというのに不気味な光がちかちかと不規則に点滅し、風に運ばれてくる湿った空気と焦げた霊気の臭いは戦いの激しさを物語っている。
「思ったより市街地に近いわね」
車から降りた和梧が呟く。都心からそう遠くない山間部は、トンネル一つを越えればけして手を出せない距離ではないところに人里がある。
「皮肉ね。京の都を守る為にわざわざ当時の辺境の地を封印の場所の一つに選んだっていうのに、封印が解けようとしている今、その場所は現代の都だなんて」
和梧の言葉に仁梧も頷く。まるでこうなる事が決まっていて、それを追いかけるように東京の地で自分達が生まれたようだとすら思えてくる。
規制線の側まで行くと、スーツ姿の男が出迎えに来た。
「祓戸椋礼殿、御前、影前。ご足労感謝する。討伐局典佐、由岐だ」
「その節はどうも。また同じ現場に出られて光栄です、由岐典佐」
皮肉とも社交辞令とも取れる和梧の挨拶に由岐は僅かに眉を動かすが、特段言及する事なく本題に入る。
「事は刻一刻と悪化している。これを」
見せられたタブレット端末には、暗がりの中大きな祠があったと思われる場所が映っていた。
「これは?」
「この奥にある禍環会が拠点の一つにしていたと見られる地点だ。祓術局にはこうして映像を中継する式神を使う者がいてね。斥候として送り込んでいる。何せそこに至るまでにはこんな状態だ」
由岐が顎で示した先では、討伐局の構成員達が次々と湧き出す禍と激しい交戦を繰り広げていた。人型のもの、獣型のもの、そのどちらとも違う形容し難いもの。その全てが祠のある方へと吸い寄せられていくのを討伐局の者達が食い止めている、そんな風に見える。
仁梧はもう一度タブレットに視線を戻す。祠の石段は崩れ、社殿らしきものは跡形もない。その代わり地面の中央には禍々しい紋が刻み込まれ、黒い線がまるで蜘蛛の巣のように広がり、その隙間からじわじわと邪気が漏れ出している。
「この状況を見るに禍はこの紋を目指しているようですが、これが封印に干渉していると?」
「それが祓術局の見解だ」
「禍に封印を食わせるつもりか」
ぱちりと扇子を鳴らす椋礼の表情は怒りというよりも観察に近い。
「古文書の記録と照合した結果、ここが大いなる災厄の封印の鎖の一本が埋められていた場所と見てほぼ間違いないとの事だ」
「成程」
父と由岐の会話を横で聞きながら、仁梧は画面の向こうの邪気に目を奪われていた。黒い筈のそれからは、時折星のような微かな煌めきを感じる。
(星…?)
胸の奥でざわめく何かが、また一つ脈打つ。頭の奥で、誰かが囁いた気がした。
〈仁梧〉
「っ…」
咄嗟に胸元を押さえる。ここに来てからずっと、嫌な予感が消えてくれない。
「それで、肝心の禍環会は?」
低く問う声に、背後から軽い返事が返ってくる。
「第一陣が突入した時には、既に退避した後だったらしいですよ。どうやら、ここは初めから封印の解除だけが目的で俺達はまんまとそれにつられたってわけです。この大量の置き土産の遊び相手としてね」
「透さん」
「…」
表情を和らげる仁梧とは対照的に、和梧は一瞬だけ灰色の肩章に目をやりすぐに目を逸らす。
「双御祖に匹敵する術式をまともに扱えるだけの才覚が連中にあるとは思っていなかったが、愚かな事を」
「愚かなんてもんじゃないですよ」
透は口許だけで笑う。
「敵さんの"廿五計画"は、特定の異能者に"二十五番目の存在"を降ろす事。その為には、前提として大いなる災厄が完全に解き放たれなきゃいけない。全く、迷惑な話ですよ」
その言葉に、仁梧の心臓がどくりと跳ねた。二十五番目。不意に、その響きが自分の名前と重なる。
にこ───
胸の内側で、星が悲鳴を上げる。
*
「禍の数が増えています!」
辺りの様子を観測していた祓術局の叫びが響く。地面の紋から噴き出す邪気が一層濃くなり、それに呼応するように元々仕掛けられていた以外の禍も四方八方から寄ってくる。
「房宿!」
鈴の音が高く鳴り、その壁を受けた禍の群れがばちばちと火花のような霊光を散らした。
「トラ!タロ!」
〈おうよ!〉
〈了解!〉
和梧が顕現させたトラとタロが、大地を蹴って飛び出していく。彼らの鋭い爪と牙が、次々と禍を切り裂き塵へと変えていった。それに続くように、共に来ていた一族の者達も戦いに参加する。
「影前、お前は結界に集中しろ。封印が不安定な今、"楔"に余計な負担をかけるべき時ではない」
「…はい」
きゅっと喉が鳴るのがわかったが、辛うじて返事をする。その一方で星の気配が祠のある方…つまり紋のある方向から呼びかけている。
───に、こ。
誰かの声が、はっきりと自分の名を呼んだ気がした。
〈仁梧〉
「ほしみ?」
肩に乗っていたほしみを見た仁梧は、驚いた。まるでマタタビを嗅いだように恍惚とした表情。ゆらゆらと揺れる瞳は今まで見た事がないほど暗く濁っている。
「っ…」
「まずいな」
ひゅっと喉を鳴らす仁梧の側で前線の様子を見ていた透が、深刻そうに呟く。同じく結界の外からトラ達を操っていた和梧は、訝しげに問うた。
「何が?」
「封印側の抵抗がほとんど感じられねぇ」
「抵抗?」
「双御祖の術式がまだ生きてるなら、あれだけ封印を暴こうとしてる動きがありゃ跳ね返そうとする反応が多少なりともある筈だろ」
透の言う通り、タブレットの向こうで溢れ出す邪気は一方通行だった。中で眠る何かが、自ら外に出ようとしているようにさえ見える。
その時だった。
ごぉん、と低い鐘の音のような振動が地の底から響く。それと同時に、紋が眩い光を放つ。黒かった筈のそれが今は白い炎のように見え、タブレットだけでなく目視でも確認できるほどの光の柱が空に向かって伸びていた。
次の瞬間、仁梧は紋に罅が入るのを感じた。
「御前!封印が…!」




