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動き始めた謀略

 雨上がりの朝は、緑の匂いを濃く感じさせる。葉の上では、昨夜の名残の雫が点々と残り光っている。その透明な光景とは裏腹に、漂う空気には微かなざらつきが混じっていた。

「…っ」

 ぐらり、と世界が反転したような感覚に仁梧は思わず縁側の柱に手をつく。胸の奥には得体の知れない何かがざわざわと渦巻いている。

 星の気配だ。仁梧は咄嗟にそう感じた。けれど、今までに感じてきたそれとは明らかに質が違う。

 冷や汗が額に滲む。ぎゅっと堪えるように目を瞑ると、肩に重みが乗った。

〈また具合が悪いのかい?〉

「ほしみ…大丈夫、少しふらついただけよ」

 心配の声をかける八割れの妖は、二本の尾をゆらゆらと揺らしながらじっと仁梧の顔を見つめる。その金色の瞳の奥で妖気が妖しく光るのを仁梧は見ない振りをした。

(また光が濃くなっている気がする)

「心配しないで。すぐに治まるわ」

 精一杯の笑顔で答え、ゆっくりと背筋を伸ばす。胸の奥のざわめきはまだ治まらないが、歩けないほどではない。日ごろの鍛錬の賜物だろうかと苦笑する。

〈無理しちゃ駄目だよ〉

「ふふ、ありがとう。ほしみに言われると元気が出るわ」

〈最近、仁梧の霊気の匂いを嗅ぐと体がぞわぞわするからさ。たまには鍛錬をさぼって僕とたっくさん遊んでくれたっていいんだよ?〉

 (あなが)ち冗談とも言えない調子で悪びれもなく言うほしみ。そんな彼から感じる妖気にも、ざらりとした雑味が混じっている。

(私がしっかりしないと)

 ほしみまで巻き込みたくはない。そう思う心とは裏腹に、また胸の奥で何かが強く脈打った。



 一方その頃の典祓庁(てんぱつちょう)庁舎。一般の構成員が立ち入る事を許されていないフロアの一室では、窓のない会議室にかつてないほどの深刻な空気が漂っていた。

 長机の上には複数の資料。傍らにある古びた地図には印が打たれている。

「では、封印の一部が破損したのは間違いないと?」

 低い声で確認を取る男に、祓術局(はらえのきょく)の職員が緊張の面持ちで頷く。

「はい。先日判明した禍環会(かかんかい)の拠点の一つに強制で立ち入り捜査をかけたところ、既にもぬけの殻ではありましたが研究に用いられていたと思われる術式の一部を回収する事に成功しました。祓戸家より提供された古文書の記録と照らし合わせ、大いなる災厄の封印に用いられた術式の断片とみて間違いないかと思われます」

「つまり、奴らは大いなる災厄の封印の場所を突き止めたという事か」

「古文書によれば、双御祖(ならびのみおや)は封印を複数の場所に分けて行なったそうです。その内の一つが、今回破損されたのではないかと」

禍環会(かかんかい)め、とうとうそこまで行き着いたか」

 討伐局の男が忌々しそうに舌打ちをする。その隣の庶務局の男はタブレットを操作し、清澄野(きよすみの)での一件を始めとした禍環会(かかんかい)絡みと思われる案件のグラフを表示させる。

「ここ数ヶ月で禍環会(かかんかい)が関わっていると見られる案件の件数は倍増しています。祓戸の双子の十二の力以外で封印に干渉できるほどの術式を手に入れたと考えるべきでしょう」

「最早、事は一刻を争うな」

 ため息をついた討伐局の男は冷徹な目で前に立つ人物を見る。

 典祓庁(てんぱつちょう)の制服である黒いスーツ。肩には紫の徽章(きしょう)がその存在を主張している。諜報局の証であるそれを身に着けた透に、討伐局の男は短く問うた。

「それで?例の件はどうなっている?界野典史(てんり)…いや、今は諜報局界野典監(てんかん)か」

「どうも何も、祓術局(はらえのきょく)の見解じゃ禍環会(かかんかい)は双子の力に頼らず封印を解く方法を編み出しつつあるって事でしょ?奴らの"廿五計画"も、いよいよ最終段階ってところですか」

「そうだ。だからこそ、対抗勢力として正当な宿命(さだめ)を持っている双子の力が必要なのだ。元々優れていた御前もそうだが、特に影前の成長には目を瞠るものがある。これが大いなる災厄の封印が弱まっている事と関係しているのだとしたら、このまま無暗(むやみ)に力を伸ばさせるわけにはいかん。封印を解かれればまず最初に影響を受けるのは"(くさび)"として用いられた十二の力だ。双子がその鍵である事は言わずもがな。最悪の事態を避ける為にも、政府の下で管理するべきだ」

「ついに本音が出ましたね」

 透は冷たい笑みを浮かべた。

「だから俺に()()()取り込め、と。そういうわけですか」

 嫌味の混じった言い方に、諜報局の幹部がため息をつく。

「そんな言い方をしてくれるな。あくまでも彼女の安全を確保し、必要とあらば庁の管理下に置く。それだけだ」

「名目上は、ですね」

 軽い口調のまま、声だけが一段低くなる。だがそれも一瞬の事で、透は爽やかに笑い言った。

「了解しました。引き続き祓戸仁梧を()()()()方向で接触を続けますよ」

 あちらこちらで眉を(ひそ)める気配を感じたが、知らん顔で受け流す。

 敬礼をして扉まで歩いた透は、ノブに手をかけると同時に小さく呟いた。

「そういうやり方が、俺は一番嫌いなんだけどな」

 言葉は向こうには届かなかったようで、扉が閉まる寸前に「期待しているぞ」という声だけが聞こえた。透は返事をしなかった。



 廊下に出ると、すぐに差し込む太陽の光が眩しい。窓のない会議室との対比が、そのまま自分の立場の違いを表しているようだと透は思った。

 制服の肩章に触れ、紫の生地を(つま)んで裏返す。ぱたりと表に出た灰色を確認すると、疲れを取るように肩を回した。

「ふぅ。これでただの使いっ走りに逆戻り、っと」

 そんで?と前を向いたまま誰もいない廊下で語りかける。

「俺としては、あれで忠告したつもりだったんだけどな。あんまり首突っ込むなって」

 数秒置いて後ろの角から現れた和梧の顔は険しく冷たい。

「そっちこそ、性懲りもなく人の妹にちょっかいかけようとしてるじゃない。管理する?勝手な事言わないで」

「お偉いさんもいよいよオブラートに包む余裕がなくなってきたって感じだよな」

「ふざけないで」

 真剣な目に透もへらっとした笑みを消す。

「じゃあさ、上が"万一の時は影前を排除しろ"って言ってきたら俺はどうすると思う?」

「…どういう意味?」

「さあな。ただ一つ言えるのは、その"もしも"がどうやらそう遠くない話だって事だよ」

 そう言って、透は窓の外に目をやる。晴れやかな空が広がる一方で、そこに浮かぶ雲は僅かに乱れているように見えた。



 それから数日経った夕刻。祓戸家に一通の急報が入った。

禍環会(かかんかい)の拠点の一つと思われる地点より高濃度の邪気反応あり。大量の(あや)と共に封印への干渉が再度確認された為、緊急討伐班を編成する。応援に来られたし】

 代表して書状を読み上げた家人の声が、座敷に集まっていた一族の間に緊張を走らせる。ひそひそとした話し声が飛び交う中、和梧は迷いなく立ち上がった。

「すぐに出ます。影前、行くわよ」

「は、はい」

「待て、御前」

「父上?」

 椋礼に呼び止められ、和梧は怪訝そうに眉を寄せる。いつもの調子で扇子を鳴らしながら何かを考えるように目を伏せていた椋礼は、その厳格な声で指示を出した。

「大いなる災厄の封印に関わる案件とわかっている以上、祓戸家が始末の中核を担わないわけにはゆかぬ」

「では…」

「直ちに一族の手練れを招集せよ。半刻の後に当該地点へと発つ」

 俄かに騒がしくなった座敷で、仁梧はそっと胸元を押さえる。懐では、透から貰った根付が軽く揺れた気がした。

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