幕間 影と歩く日、残る鈴の音
"上映中"のランプが消え、開かれた扉から多くの人間が出てくる。その中に、私服姿の透と外出用の着物に身を包んだ仁梧の姿もあった。
「どうだった?初めての映画は」
「とても素敵でした。まだ胸がどきどきしています」
頬を紅潮させ、珍しく興奮した様子の仁梧に透は笑う。
どの作品にしようかと思っていた時に巷で話題のラブストーリーを見つけ、年頃の少女にはちょうどいいだろうと選んだのだが、どうやら予想以上に刺さったらしい。
あそこのシーンが感動的だったとか、あの展開が切なかったとかいつもの物静かな印象とはまるで違う饒舌っぷりを微笑ましく見つめていると、はっと我に返った仁梧が両手で頬を押さえて言った。
「ご、ごめんなさい。私ばかり話してしまって、はしたない真似を」
「いいや?気に入ってもらえたんなら何よりだよ」
透はスマホで時間を確認する。
「ちょっと遅くなっちまったけど、昼飯にすっか。何か食いたいもんある?」
「食べたいもの…」
先程とは打って変わって黙り込んでしまった仁梧に、透はふっと優しく笑った。
「じゃあ、俺の食いたいもんでもいいか?」
「は、はい!勿論です!」
見るからにほっとした表情に何とも言えなくなる。初めて会った頃よりは感情を見せるようになってきたが、まだ自分の望みを口にするには遠いらしい。
(無理もねぇか)
物心つく前から徹底的に個を消す教育を受けてきたのだ。仁梧自身、自分がどうしたいのかなど考えた事がないのだろう。
それでも、こうして興味深そうにきょろきょろしながら街を歩く姿を見ていると、心が穏やかになるのを感じた。
*
「!美味しいです」
一口食べた仁梧の顔が輝くのを見て、だろ?と歯を見せて笑う。
「ここのカレーパン、有名なんだよ」
「そうなんですね。ちょっと辛くて、でも中のちーず?がとてもまろやかです」
「完璧な食レポだな」
浅草の街を歩きながら道中の店で気になるものを買って食べる。所謂食べ歩きというやつを楽しむ仁梧は、初めて口にする食べ物に終始頬が緩みっ放しだったのだが、透はふと表情が翳った事に気づく。
「どうかしたか?」
「あ…ごめんなさい。少し、子供の頃の事を思い出してしまって」
「子供の頃の事?」
「まだ小さかった頃、一度だけ和梧と一緒にお屋敷を抜け出して近所のお祭りに行った事があるんです。あの時も、こんな風に何もかもに胸が躍ったなって」
「いい思い出じゃねぇか。何でそんな顔してるんだ?」
「…魍に襲われてしまったんです。まだどの星も扱えなかった私は、和梧を守る事ができませんでした。家の人達が駆けつけてくれたから事なきを得ましたが、和梧にも失望されてしまって。それ以来、上手く会話ができなくなってしまいました」
「そっか」
実際は仁梧はその身を挺して戦ったのだろうと透には想像がついた。しかし、それを今彼女に言ったところで心が軽くなるとも思えず、ただ相槌だけを打つ。
「ごめんなさい。暗い話になってしまいましたね」
「いや?俺の方こそ謝らなきゃなって思ってたんだ」
「え?」
「清澄大神の件だよ。上に報告する時は悪かったな。あの時は和梧の名誉を回復させる事が第一目標だったから、敢えて君の功績には触れなかったんだ。傷ついたろ」
「そんな…透さんが謝る事じゃありません。露払いの私が和梧と並ぼうなんて、そんな大それた事望んでませんし、それが叶うとも思っていませんから」
そう自嘲する仁梧に、透はそれは違うと首を振る。
「君はこの数ヶ月で見違えるほど成長した。それはこれまで努力を重ねた結果だ。言っただろ?もっと自信を持つべきだって」
「透さん…」
「自分を信じる事が難しいなら、君を信じる俺を信じてみろよ。不安な事があるなら、いくらでも聞かせてくれ。誰にも心の内を明かせない事は苦しい。君が言った言葉だぜ」
自らの過去を話した時の事を言うと、翳っていた顔がきょとんとしたものになる。それから泣き笑いのような表情で透に問うた。
「前にも聞きましたが、透さんはどうしてこんなに私に良くしてくれるんですか?」
「どうしてだと思う?」
「私が亡くなった妹さんと同い年だから、ですか?」
今度は透の方が虚を突かれたように目を瞬く。そして首元にかかるチェーンに手をかけながら言った。
「そうだな。生きてたら君や和梧と同じ年だった。高校を出て、今頃大学生活でも満喫してただろうな。でも…」
チェーンを引っ張ると、服の中から玩具の指輪が姿を現す。
「それは…?」
「妹の…澪のお気に入りだった指輪だよ。よく花嫁ごっこに付き合わされたっけな。"将来はお兄ちゃんと結婚する"が口癖だったよ」
一頻り手の中で遊ばせると、透は指輪を服の中にしまう。
「確かに君達を…君を澪に重ねた事もある。だけど君は君だ。自分を信じる事が苦手で、それでも誰かの為なら迷いなく動く事ができる優しさを持った祓戸仁梧という一人の女の子だ。俺は君だからこうして誘いをかけてるし、君に楽しい体験をしてほしいと思ってるよ」
「何だか、難しいです」
眉根を寄せて考え込んでしまった仁梧の頭に手を置き、透は優しく言った。
「今はわからなくてもいいさ。君が少しずつ普通の女の子の感覚を持ってくれる事を期待してるよ」
自身の言葉の意図を図りかねている仁梧から視線を外し、透はもう片方の手で持っていたコロッケの最後の一口をぱくりと口に運んだ。
*
それから二人は浅草の仲見世を中心に散策して回った。土産物屋を覗いては洒落た小物を熱心に眺め、今時のスイーツを出している店では馴染み深い抹茶をジェラートという初めての形で味わい、存分に浅草見物を楽しんだ。透は着物姿の仁梧を気遣って歩幅を合わせてくれたし、小さな視線の動き一つにも敏感に反応し彼女が気になった店には必ず立ち寄ってくれた。
彼の隣は居心地が良かった。事あるごとに自分を喜ばせようとする言葉をかけられるのはむず痒かったが、不思議と嫌だと思った事はない。だから錯覚してしまいそうになる。ずっとこのままでいられるのではないかと。露払いの自分でも、穏やかに過ごす日々を夢見てもいいのではないかと。
(でも、私は透さんの厚意を利用している)
ふとした瞬間に頭を過る父からの言葉は、透から貰うぽっと胸に灯る温かい何かを簡単に凍らせてしまう。いっそ透が気にかけるのが和梧の方だったなら。どんな時も毅然としている彼女ならば、きっともっと上手くやれているのだろう。そう考えると、自分で思っている以上に傷ついている自分がいる事に気づく。
(この気持ちは何?)
しくしくと痛む胸を押さえていると、透がひょいと顔を覗き込んできた。
「どうした?疲れたか?」
「っ、い、いえ、何でもありません」
深緑色の目を見ると心の中を見透かされてしまいそうで、思わず目を逸らす。すると、ある物が目に留まった。
猫を模った意匠の根付。小さな金色の鈴を見ていると、ほしみを思い出し自然と笑みが零れた。
「これが欲しいのか?」
「え?あ、いえ、その…」
「おばちゃん、これくれ」
何かを言う間もなく透の手から店主に渡ったそれは、シンプルな白い紙袋に入れられて返ってきた。
「ん」
「あ、ありがとうございます。あの、お金…」
「いいって。こういうのは笑顔で受け取っとくもんなの」
「でも、今日はずっとお代を払ってもらってばかりですし…」
「じゃあ、これは今日の記念な。一日付き合ってくれたお礼。それならいいだろ」
ほい、と渡されたそれは袋の中で微かにちりちりと音色を奏でている。
「…ありがとう、ございます」
胸がいっぱいになりながらもう一度礼を言うと、やっぱり彼は優しい笑みを返してくれた。




