信頼と陰謀の狭間で
それは五月も終わりを迎えようとしていたある日の休日の事だった。
【祓戸仁梧の能力について、再審査実施の為典祓庁への出頭を求める】
無機質な文字が躍るその招集状を見つめる。くしゃりと皺のできた紙は、歪んだ自分の顔そのものに見えた。
「───失礼致します」
重厚な扉の前で一礼し、会議室へ入る。長机の向こうに並ぶ幹部達の視線が一斉に向けられた。今年は暑くなるのが遅いからか、それとも彼らの醸し出す雰囲気のせいか、部屋には冷たい空気が漂っている。
値踏みするような彼らの視線を受けながら紗越しにもう一度頭を下げると、幹部の一人が重苦しく口を開いた。
「影前こと祓戸仁梧。貴殿はこの短期間で十二辰星の力を極めつつある。それが誇るべき成果である事は間違いない」
「お褒めの言葉ありがとうございます」
「だが、それら全てを支配下に置けているわけではない事も報告にある。先の御前同様、暴走に至る可能性は十分にあるだろう。典祓庁としては、万が一に備え我々の監督下に置くのが望ましいと…」
「お断りします」
鋭い声が遮る。
「…何だと?」
いつもの物静かな印象とは打って変わった雰囲気に、討伐局の幹部の眉がぴくりと動く。
「一族の事に口を出されるのは心外も心外。どうやら最近、応援要請に応じる機会が多くあり過ぎたせいで勘違いをされているようですね」
そう言って少女は紗を取る。現れた朱色の瞳に、幹部達の間には動揺が走る。
「き、貴様は…!」
「こんな薄い布一枚に騙されるような方々に実力どうこうを言われる謂れはありません。これ以上妙な動きを見せるのならこちらにも考えがある事、努々お忘れなきよう」
氷のように冷たい声。張り詰めた沈黙が会議室を満たした。己の迫力に気圧された幹部達の表情が次々と凍りつく中、和梧は一歩も引かず更に言葉を重ねる。
「異能を持つ以上、我々祓戸家も典祓庁に名は連ねています。ですが、私達があなた方に従属しているなどと思わないで頂きたい。力を秤にかけるのはどちらか、くれぐれもお忘れなきよう」
それだけ言うと、相手の反応を待つ事なく踵を返し部屋を後にした。
*
「よお」
廊下を歩く和梧の背後から聞き慣れた声がした。振り向けば、透が壁に寄りかかりながらこちらを見ていた。
制服ではなく、カジュアルな私服姿。薄い笑みを浮かべるその目は、いつもの軽さより少しだけ冷たい。
「呼び出しか?また監督者をつけられる羽目になった、とか言わないでくれよ」
「そのまさかよ。今度は私じゃなくて仁梧だけどね」
ぴく、と眉が動くのを見た和梧はそのままその場を立ち去ろうとする。
「…そういやこの前、俺も上司から呼び出されて長ったらしい説教をを食らったんだけどさ。随分と可愛いお客様が来てたんだよな」
ぴたり、と和梧の足が止まる。
「…何の話かしら」
「いやぁ、ウチの庁舎も大概セキュリティ厳しいけど、ダクトに式神を仕込むたぁなかなか大胆だよなぁ。いつかの俺の事なんか言えねぇんじゃねぇの?」
きっと鋭い目で睨まれるが、透は気にする風もなく片目を細める。
「冗談だよ、冗談。でも、覗き見は趣味が悪いぜ?和梧お嬢様」
和梧の頬がさっと熱を帯びる。自分のした事を完全に見抜かれていた事への悔しさと屈辱が同時に込み上げ、つかつかと透の元へ歩み寄る。
「一瞬でもあなたに気を許そうとした私が馬鹿だったわ」
「いっそ許してくれた方が幸せだったかもしれねぇぜ」
「仁梧を誑かしてどうするつもりなの?」
「さあ。俺は上から言われた事をただこなしてるだけだからな」
「政府も"二十五番目の存在"に興味津々ってわけ?」
「そこらの異能者に悪用されるくらいなら、国が管理した方が安全だって事じゃねぇの?」
「これ以上仁梧に近づかないで」
刺すような目つきに透は一瞬目を瞬かせ、それからくっと喉を鳴らして笑った。
「それは次期当主としての言葉か?それとも片割れとして?」
「どっちでもいいでしょ。あの子に変な事吹き込んだら、今度こそただじゃおかないわよ」
「へぇ、忠告ありがと。でも俺の立場、君が思ってるほど自由じゃないんだ」
「どういう意味?」
「さあな。君の頭ならわかると思ったんだけど」
こん、と拳で軽く頭を叩かれた和梧は透の意図が読めず言葉を失う。そんな彼女にどこか影のある微笑みを残し、透はその場を立ち去った。
*
屋敷に戻ると、仁梧が待っていたとばかりに門から出てきた。
「おかえりなさい、和梧。典祓庁に行ってたって聞いたけど、何かあったの?」
「大した話じゃないわ。ちょっと釘を刺しに行っただけ」
「…もしかして、私の事で何か言われた?」
この手の話には珍しく察しのいい仁梧の言葉に一瞬動揺するが、すぐに気を引き締める。
「違うわよ。最近のあいつらの行動が目に余ったから、改めて祓戸家としての立ち位置を主張してきたの。次期当主としてね」
「そう…」
「それより、あんたこそどこか行ってきたの?」
外出用の着物を着ている仁梧にそう尋ねれば、柔らかい笑顔が返ってくる。
「透さんが映画、というものに誘ってくれて観てきたの。初めてだけどとても面白かったわ」
「…そう。それで?あいつから何か情報は聞き出せたの?」
「それは…」
曇った顔が父からの命を上手くこなせていない事を物語っている。和梧はため息をつき、言った。
「仁梧、あんたね。今そうして妖祓い以外で、それも私から離れて外出できているのは父上から言われた務めがあるからなのよ?透はどこまで行っても典祓庁の人間である事に変わりはないわ。都合がいいから見逃してあげてるけど、向こうが執拗に誘いをかけてくるのだって何か裏があるに決まってる。もっと疑うって事を覚えなさい」
「ごめんなさい。でも、透さんは悪い人ではないと思うの。あの人と話していると不思議と落ち着いて、何だか安心できる気がする」
「あんたね…」
「勿論、何か隠しているんだろうなとは思うわ。私みたいな人間に心を砕いてくれるんだもの。ただの優しさだけで接してくれているとは思ってない。だから、父上からの言いつけはちゃんと果たしてみせる」
信じたいという思いと、疑い出し抜かなければならないという重圧との狭間で揺れている妹に、和梧は胸の奥底で何かが焦げつくような焦燥感に駆られる。
「和梧?」
「…何でもないわ」
迂闊に口を開けば真実を伝えてしまいそうで、本来ならばそうするべきだというのにそれを躊躇っている自分がいる事に戸惑いも覚えながら和梧は短くそれだけ答えた。
自室へ戻っていく姉を見送りながら、仁梧は物憂げな表情で呟く。
「悪い人じゃない…わよね?」
和梧があれほど透を警戒するのは、彼が典祓庁の人間だからだ。けれど、仁梧は彼の口から彼自身の過去を聞いて、彼の苦しみに触れて、彼の優しさを感じて、どうしても和梧の言うような人間だとは思えないのだ。
これは自分が世間を知らなさ過ぎるからなのだろうか。度々注意を受けるように、自分の甘さが彼をそういう目で見ようとしていないだけなのだろうか。
それでも…
─じゃあ、これは今日の記念な
袖の中に手を入れれば、ちりんと鈴の音が小さく囀る。その音色を聞いていると、胸の奥がきゅっと苦しくなる一方でぽっと温かい何かが灯る気がした。




