春の果てに雪ぐ
ずずん、と地鳴りが辺りを支配する。
「チッ、房宿の結界でも抑えきれねぇのかよ」
「土地神の暴走ですから。想定の範囲内です」
悪態をつく透とは対照的に、冷静に霊気を練り続ける仁梧。その一歩前に立つ和梧は、自身を落ち着けるように数回深呼吸をするときっと前を見据えた。
「絡め、巳式!」
「静かなる光よ、闇を照らし魂を抱け。鎮星、斗宿!」
顕現した巳の式神クナに銀の糸のような霊気が絡む。
〈何だい、これは。露払いの分際であたしを操ろうってのかい?〉
「っ」
ちろちろと威嚇するように向けられる赤い舌に一瞬怯む仁梧だったが、すぐに霊気を深く練り上げる。
「クナ!影前は私の指示で動いてる!影前の行動は私の意思だと思って従いなさい!」
毅然とした態度で命令する和梧の言葉を聞いたクナは、何かを探るように目を細める。
〈…随分と仲良くなったじゃないか〉
しゅるしゅると和梧の腕に巻きつき、彼女と仁梧を交互に見やるとふんと鼻を鳴らした。
〈何か知らないが、面白そうだ。乗ってやるよ〉
その言葉通り、銀色の霊気を纏ったクナが素早い動きで土地神に絡みつく。土地神はクナを引き剥がそうと暴れるが、和梧の霊気を吸って大きくなったクナはびくともしない。
「護れ、未式!出てきなさい、メェ!」
完全詠唱で顕現させたメェが、大きく一鳴きする。その鳴き声を受けた土地神が、踠くように首元の紋を掻き毟った。
〈ユル、サ…〉
先程までとは違う、人のそれに近づいた言葉。完全に戻ったわけではないが、確実に土地神の核に働きかける事ができているようだ。
「清澄大神よ、聞こえますか⁉まだあなたにこの地を守る意思があるのなら、私達の力を受け入れてください!」
〈ヒ、ト…コワ…ス…〉
「お願い!もうこれ以上、人の悪意に振り回されないで!」
仁梧の悲痛な願いを形づくるように、斗宿の光が土地神の頭上で傘のように開く。柔らかな銀色の光を受けたクナが、しゃーっと叫んだ。
〈今だよ、羊娘!〉
〈その呼び方はやめてください。メェには主がつけてくれたメェという名前があるのです〉
文句を言いながらも、メェは自身の体で土地神を包み込む。
〈アア…アアアアア…!〉
もこもことした毛に覆われた奥から、土地神の苦しむ声が聞こえてくる。
〈アアア…ア…タ、スケ…〉
「!聞こえたか、今の⁉」
「はい!」
「ここで畳みかける!クナ、メェ、もっと力を吸いなさい!」
和梧が全力で霊気を込めたその瞬間、脇の茂みから黒い影が姿を現した。土地神から派生した邪気の塊だ。仁梧が咄嗟に房宿の力を分裂させ、影を止めようとした時だった。
ぴしっと宙に浮かんだ状態で影が固まる。
「俺の前で影は悪手だろ。少しは典祓庁にも美味しいとこ持っていかせろよ」
自身の影で邪気の塊を縛りつける透に、和梧がにやりと笑う。
「庶務局の後方支援員は黙って見てれば?」
「たまには頼れるお兄さんをするのもいいだろ?」
「言ってなさい。最後に鎮めるのは私よ」
和梧が最後の霊気を込め、クナとメェの力が一つになる。ばちばちと火花のような霊光が散ったかと思うと、ふっとメェの毛の中から何かの燃え殻のようなものが空に溶けていった。
ゆっくりと様子を窺うように和梧が印を解くと、穏やかな光に包まれた土地神がそこに立っていた。土地神は軽く会釈するように頷き、柔らかく微笑んだ。
〈礼を言うぞ、人の子らよ。お陰で我は、また静かな眠りにつく事ができる〉
ふわりと吹いた風に仁梧と和梧の髪が舞う。次に目を開けた時には、静寂を取り戻した本殿だけが残されていた。
*
「───以上が本事案の収束に至る詳細です。御前の判断は的確かつ合理的で、前回問題となった辰式の行使も勿論ありませんでした。むしろ、前回の反省を踏まえ影前の十二辰星を組み合わせた術式を展開し、最終的に清澄大神を鎮めるに至りました」
透が淡々と報告する声を和梧は緊張の面持ちで聞いていた。目の前には以前査問官を務めた三人の幹部、モニターには現場の記録映像が写っている。そこには、額に汗を滲ませながらも懸命に土地神を鎮める和梧の姿があった。
報告を聞き終えた査問官の一人、年嵩の男はどこか満足げにうむと頷く。
「禍化した土地神の鎮静化は妖祓いの中でも最上位の任務。それを見事果たしたとなれば、これ以上監督下に置く必要はないだろう」
「!じゃあ…」
「本日を以て、御前こと祓戸和梧の処分を解除とする。これまで通り妖祓いに邁進し、引き続き我が庁と良好な関係を築いてもらいたい」
「最後の言葉に関しては異議を唱えたいところですが、今は寛大な措置に感謝します」
すっと頭を下げる和梧に後ろにいた仁梧も倣う。その表情は功績を認められた和梧とは違い沈んでいる。
報告の中で、仁梧の名が積極的に取り上げられる事はなかった。あくまでも和梧のサポート役、そういう立ち位置としてしか扱われていなかった。今までと変わらない筈なのに、誰もここに立つ自分が目に見えていないようなこの空間が、何故だか無性に胸の奥に抉るような痛みを残した。
*
「つーわけで」
ひょいっと投げられた何かを仁梧達は反射的に受け取る。手の中にあるのは缶コーヒー。"微糖"と書かれた文字が気に食わなかった和梧は、むっと顔を顰めた。
「子供扱いしないでくれる?」
「え、そこ噛みつく?別に大人イコールブラック一択ってわけじゃねぇだろ」
「あなたに渡されると、馬鹿にされてる気がするって言ってるのよ」
「理不尽~」
「あ、あの、ありがとうございます!」
素直に礼を言う仁梧に、透はにやりとした笑みで和梧に言う。
「双子でも妹の方がずっと大人なんじゃねぇの?」
「っ、別に!感謝してないなんて言ってないでしょ!」
「感謝なんて大袈裟なもんじゃ…」
「これの事じゃなくて!」
手の中で缶を遊ばせながら、言葉を探すように目を泳がせる。
「…あなたの報告があったから、上は私の処分を解除してくれたわ。勿論、土地神を鎮めた事は事実なんだからそれを正確に伝えるのは庶務局所属であり監督者のあなたの仕事だけど、結果私は名誉を回復できた。その事に対してお礼の一つも言えないのは、祓戸家の人間として品格を問われるわ。だ、だから…その…」
ありがとう。
蚊の鳴くような声が透の耳に届く。俯いている和梧の頬は、薔薇のように真っ赤だ。
初めて見せる姿に、透は思わずぷっと吹き出す。その反応に腹を立てた和梧が、頬を染めたまま眉を吊り上げた。
「何が可笑しいのよ⁉」
「いや?マージで素直じゃねぇな~って思ってさ。仁梧もそう思うだろ?」
「わ、私はそんな…」
「うるさいわね!大体、仁梧仁梧って馴れ馴れしいのよ!」
「何だ、妬いてるのか?」
「妬い…誰が!」
「わかったわかった。俺は君とも仲良くしたいと思ってんだぜ?"和梧"」
「!」
優しく呼ばれた名前に、和梧は驚きに目を見開く。
「今、名前…」
「他の奴らがいない時ならいいだろ?いつまでも"御前"呼びじゃ、心の距離が開きっ放しで寂しいじゃねぇか」
「別にあなたと仲良しこよしをするつもりは…」
「もし嫌なら、不敬罪で突き出してくれてもいいんだぜ。戦闘員ですらない一般階級ごときに迫られたなんて醜聞、異能の名家のご令嬢にゃマイナスでしかねぇだろ」
「~~~っ、好きにすれば⁉どうせ仁梧の事は名前で呼んでるんだもの。変わらないでしょ、透」
「何だ、やっぱり妬いてたんじゃねぇか」
「違うわよ!」
楽しそうに揶揄う透とそれに噛みつく和梧の姿は、まるで兄妹のようだ。二人の距離が縮まった事を喜ぶ一方で、仁梧は改めて自分が和梧の露払いでしかないのだと自覚するのだった。




