再臨の神 芽吹く双葉
和梧が己の価値を示すと宣言してから数週間。その機会は訪れた。弱体化していた筈の清澄大神が再び活動を始め、神域とされていた清澄野が穢れに冒されてしまったのだという。
車の中からでもわかるほど澱んだ空気は昨夜降った雨の名残か、それとも───
「いくら土地神とはいえ、あれだけ弱っていたのがここまで力を取り戻すなんて不可解だわ」
後部座席に座る和梧が腕を組んで爪を噛む。考え事をしている時の彼女の癖だ。
「やっぱり禍環会の仕業、なのかしら?」
「十中八九そうでしょうね。あれ以来、清澄野は封鎖されたままだった筈だけど」
「言葉に棘があんぜ~、御前」
運転席から揶揄うような声がする。しゃあねぇだろ?とハンドルを切りながら、透は続けて言った。
「禍環会が、切原以外にも典祓庁にスパイを送り込んでねぇわけがねぇんだ。世間じゃ華のGWだってのに、徹夜記録を更新してまで祓術局の連中が庁内の人間を調査して回ってんだが、圧倒的に人手不足で通常の業務に支障が出てんだよ。疑わしい、されど証拠はねぇから罰せられずってな。これでも重要案件に回す人材は選んでんだぜ?」
「その結果がこれじゃ、祓術局の実力も知れたものね」
「へいへい、耳が痛いですよ。おら、着いたぜお嬢様」
車を出ると同時に、生温い風が頬を撫でる。黄色い規制線の側には典祓庁の車両がいくつも並び、規制線のすぐ内側では祓術局の者達が結界を維持していた。
「由岐典佐!祓戸の双子、お連れしました!」
透の呼びかけに、この場の責任者と思われる男が振り返る。前回、仁梧に治療の中止を指示したあの男だった。
「…来たか。前回の事がありながら、よく戻ってこれたものだ」
「嫌味なら後にして頂けますか?まずは状況を把握させるのがあなたの役目だと思いますが」
「ふん、何とも達者な口だ」
そう言いながら、由岐は手元のタブレットを開き簡潔に伝える。
「件の土地神、清澄大神の首元に禍環会のものと思われる紋があった事は聞いているな?」
「ええ。それを媒介に遠隔で霊気を流し込み、暴走に至らせたと」
「そうだ。本日の未明、その紋に大量の邪気が流れ込んだ事で清澄大神は目を覚ました。見てもらえばわかると思うが、荒れ狂う神の気を感じ集まってきた魍や魎を取り込み、最早神とも禍とも言えない邪気の塊と化している。この数ヶ月で解明に至った術式で現状何とか対抗してはいるが、いつ破られてもおかしくない状況だ。土地は荒れに荒れ、神との結びつきも弱ってきている」
「それって…」
何かを察したような仁梧に冷徹な頷きが返ってくる。
「第一目標は土地神の鎮静化。それが困難な場合は、完全抹殺という事になる」
「そんな…前回は生殺しにしておいて、土地神としての力を失った途端切り捨てるというのですか?」
「土地を守り繁栄させるのが土地神の存在意義だ。それが叶わなくなった土地神は滅するしかない」
「ですが…」
「影前、そこまでにしておきなさい」
ぴしゃりと窘められ、仁梧はぐっと押し黙る。それを確認してから、和梧は淡々と頭を下げた。
「愚妹が失礼を。状況は理解しました。これより、鎮静化に向けて動きます」
行くわよ、と規制線を越えていく姉を慌てて追いかける。土地神のいる天澄神社へ近づくほど邪気は増し、ざらついた霊気が辺りに充満していた。
仁梧は何も言葉を発しない和梧におずおずと話しかける。
「御前、あの…」
「馬鹿じゃないの?こんな事態になっても土地神を気にかけるなんて。今度はあんたが査問にかけられたいの?」
「…ごめんなさい。だけど…」
仁梧は以前聞いた土地神の悲痛な叫びを思い出していた。人の都合で禍化させられ、長年共に生きてきた住み処を穢されたその無念はどれほどのものだろう。人への呪いの言葉を吐く姿も、彼女の目には泣いているように見えていた。
故に助けたいと思ってしまった。たとえその心情が、異形を祓う者として間違ったものだとしても。
「…ホント馬鹿」
そんな妹を目の端で見ていた和梧は、小さくそれだけ呟いた。
*
天澄神社へ着く頃には、初夏とは思えないほど温度が下がり耳鳴りのような大地の低い唸りが足元から上がってきていた。
「影前」
「はい。房宿」
鈴の音が澱んだ空気を浄化する。同時に、神社の本殿から一際黒く濁った邪気が誘い出されるように噴き出した。
「うー!」
ばちんと弾ける音が響き渡る。ぬらりと姿を現した土地神は、以前とは違う姿をしていた。上半身だけが人のようで、下半身は水のように形を変えて周囲の霊気を食っている。
〈うわぁ。主、あれはもう駄目だよ〉
〈ほっほ。完全に土地との関係性が崩れているようですな〉
「見ればわかるわよ」
「じゃあ、やっぱり抹殺の方向か」
後ろにいた透が諦めの言葉を漏らす。仁梧は悔しそうに顔を歪め、唇を噛む。
「…影前、斗宿で力の流れを制御して」
「はい…」
「ましら、クナを使うわ。メェと連携させるから斗宿のサポートを受けながら橋渡しをお願い」
〈ほっほ。承知しましたぞ〉
「え?」
聞き間違いかと顔を上げる。てっきり土地神の力を制御しろという指示だと思ったのだが。
戸惑った様子の仁梧に、ちらりと一瞬だけ視線が投げられる。
「クナはまだ私を完全に主とは認めていない。隙があれば寝首を掻こうとする食わせ者よ。でもクナの拘束力で土地神を縛る事ができれば、暴れさせる事なくメェの穢れを祓う能力で禍環会の紋を引き剥がせるかもしれない。だから…」
少しだけ温度を取り戻した風が和梧の髪を靡かせる。
「クナが暴走しないように、あんたが斗宿で手綱を握って」
「御前…」
「それができないならトラやタロ…いいえ、まだ完全に扱えない午や亥をましらに連携させる。あの二匹の突破力は私の持てる攻撃の中でも最大限の力。それで今度こそ滅するしかないわ。言っておくけど、少しでも付け込まれたらクナは容赦しないわよ。土地神を助けたいなら、必死になって食らいつく事ね」
「どういう風の吹き回しだ?抹殺指令が出ている中で、敢えてリスクを取って土地神を鎮める事にこだわるなんて。君にしちゃ、えらく優しいじゃねぇか」
わざと試すような言い方をする透を横目に不敵な笑みを浮かべる。
「うるさいわね。堕ちたとはいえ、土地神よ?鎮められるならそれに越した事はないでしょ。その方が私もより名誉を回復できる。その為に利用できる手段があるから選ぶだけよ。それで?やるの?やらないの?」
朱色の瞳が真っ直ぐに問いかける。悩む理由など何一つなかった。
「っ、やります!やらせて!」
仁梧は胸が熱くなるのを感じた。彼女は問うた。できるかできないかではない。《やるのかやらないのかと。和梧が自分の気持ちを汲んでくれただけではない。自分にそれをやれるだけの力があると認めてくれた。それだけで十分だった。
「じゃあ行くわよ」
和梧が印を結び、肩に乗っているましらに力を分ける。前回と同じ筈の構図なのに、和梧の目には迷いがないように見えた。




