春雷の咆哮
事は聞いていたよりもずっと深刻だった。
「これは…!」
半径数キロを封鎖して尚、荒れ狂う天候が外部にまで漏れ出ている。空が裂けたような音、吹き荒ぶ雨には焦げた鉄の匂いが混じっている。元々は嵐を鎮める神だが、禍化した今はそれが逆転し災害をもたらす存在となっていた。
動かせるだけの典祓庁の人間が駆り出されていると聞いているが、封鎖範囲を結界で守っている祓術局も土地神を鎮めようとしている討伐局の者達もどうにか現状を維持するだけで精一杯といった状況だった。
〈ユル、サヌ…ヒトノヨ、コワ、ス…〉
頭を抱え、苦しげに恨みの言葉を吐いている人の姿をした土地神。しかし、その目に宿る狂気はとても人のものとは思えない。
「駄目だ。ありゃ完全に堕ちちまってる」
「私が斗宿で力の流れを制御して様子を見ます。上手く暴走を受け流す事ができれば、話が通じるかもしれません」
「何悠長な事言ってるのよ。町の中心から離れた郊外でこれだけの被害が出てるのよ?多少強引にでも行かなきゃ、取り返しのつかない事になるわ」
和梧の言う通り、辺りは互いの姿を見るのも困難なほど激しい雨が降り、側を流れる川はいつ氾濫してもおかしくないほど増水している。近くの住民には、神異対策庁からの発表として"突発的集中豪雨"の為避難勧告を出しているものの、このまま行けば結界は破られその力が及ぶ範囲が爆発的に広がる事は必至だった。
「でも、土地神殺しは重罪よ。鎮められるならその方が…」
「わかってるわよ、そんな事!」
苛立ったような声が嵐の中に消えていく。
「とにかく、あれは私が止める。あんたはいつも通りサポートに回って」
「でも…」
「いいから!」
こちらを見ようとしない和梧に自分の意見は通りそうにないと判断した仁梧は、慣れた様子で名前を呼んだ。
「房宿」
りぃん、と鈴のような音が風に混じる。次の瞬間、仁梧を中心に銀色の光が広がると共に辺りの暴風雨もぴたりと止まった。
「すげ…また腕が上がったな」
透の一言に曖昧な笑みを返す。それを見た和梧の顔が、ぐっと歪められる。
〈ヒト…ヒ、ヒト、ヒトト、ヒヒヒヒヒヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒト〉
自らの力を抑え込まれた事に腹を立てたのか、土地神は濁流の柱を生み出しこちらへ投げてくる。
「うー!」
濁流がぱぁんと目の前で弾け飛ぶ。大地を壁に盾にした丑の式神うーは、ぼろぼろと盾が崩れた先に立っていた土地神を見て耳をぴくぴくと動かした。
〈うわぁ、もしかしてあれ土地神?俺っち怖いよ~〉
「弱音吐かないで!私がいるんだから、安心して力を貸しなさい!」
〈主も怖い~〉
〈ほっほ。これは穏やかではありませんな〉
肩に乗ったましらも和梧の苛立ちに気づいているようで、ぽりぽりと頭を掻いている。
「ましら、リュウを使いたいの。力を貸して」
〈何と、彼をですか。この状況でそれは些か無謀では…〉
「無謀でも何でもやらなきゃいけないのよ!私の式神ならわかるでしょ⁉」
その場に沈黙が訪れる。
〈…わかりました。微力ながら、橋渡しを致しましょう〉
そう言ったましらから、金色の霊気が湧き上がる。それが和梧の霊気と混ざり合い、大きな奔流となった。
「吼えろ、辰式!」
光の奔流から猛々しい咆哮が聞こえる。やがて光は龍となり、その鋭い目が主である和梧に向けられた。
〈我を呼び出したのは貴様か、小娘〉
「…ええ。久しぶりね、リュウ」
〈あの時忠告した筈だ。力の足りぬ身で再び我を起こすような真似をすれば、次はないと〉
「待って、リュウ!お願い、話を聞いて!」
〈去れ。心が未熟な者に龍は従わぬ〉
「お願い!力を貸して!このままじゃ、大変な事になるの!」
「おいおい、大丈夫なのか?あからさまに他の十二支とは違うって感じばしばし出てるぜ」
透の懸念には仁梧も同意だった。確か、辰の式神は和梧がまだ幼い頃に顕現させたが、主と認めさせる事ができずそれ以来呼び出していないと聞いている。
和梧の必死の願いをどう捉えたのか、リュウの目がぎょろりと土地神を見据える。
〈…ふん。あれほどの力を持つ存在ならば、成程確かに我の力でなくては対抗できまい〉
「!じゃあ…」
〈土地神ともあろうものが、哀れな事よ。我が雷で綺麗さっぱり焼き切ってくれよう〉
「!待って、違う!」
一瞬の希望も束の間、和梧の顔が焦りと恐怖の色に染められる。そんな彼女には目もくれず、リュウは空に何本もの雷を出現させ、土地神へ向かってそれらを雨のように降らせた。
辺りに響き渡る轟音。轟く雷鳴の中、仁梧は土地神の悲痛な叫びを聞いた気がした。
「っ、静かなる光よ、闇を照らし魂を抱け。鎮星、畢宿!」
羽衣のような霊気が、軽やかに雷を包み込む。すると、あれほど荒々しく鳴っていた雷がまるであやされた赤子のように静まり返った。
「仁梧、お前…」
「はぁ、はぁ…」
小さく息を切らす仁梧を透は驚きの表情で見つめる。同じく彼女を見下ろすリュウは、何かを思い出すように目を細めた。
〈十二辰星を持つ片割れか。此度は貴様が選ばれるのやもしれんな〉
「え…」
意味深な言葉を残し、リュウはすうっと姿を消した。同時に、和梧がどさっと地面にへたり込む。
「御前!」
「っはぁ、はぁ、はぁっ」
「大丈夫か?」
血の気の引いた顔を心配した透が手を差し伸べるが、ぱんっと跳ねのけられる。
「平気よ、触らないで。それよりも…」
と、顔を前に向ける。それを追いかけるように仁梧達も視線を移すと、見るも無残な姿になった土地神が地に伏していた。
咄嗟に仁梧が駆け寄り、状態を確認する。その時、首元に何かの紋が刻まれているのを見た。
「井宿」
ぽうっと柔らかな光が土地神を包む。同じく側に来た透が、ゆっくりと癒えていく傷を見て尋ねる。
「助けられるのか?」
「わかりません。それに、傷を治したところで禍化が解けない事には…」
「ならば、適度なところで治療はやめてもらおう」
そう言ったのは、今回の件を任された討伐局の典佐の男だった。突然現れ指示を出す彼に、仁梧は言葉の真意を問う。
「どういう事でしょうか?」
「決まっている。今貴殿が言った通り、完全に傷が癒え、しかし禍化したまま意識を取り戻せば今度こそこの神の怒りは止められないだろう。かと言って、土地神の死はその地の衰退を意味する。失うわけにはいかない」
「つまり生かさず殺さず、弱体化させたままでいろと?そうやって、禍化を解除する方法が見つかるまで放置するつもりって事ですか?」
皮肉げな透の言葉も意に介さず、男は仕方あるまいと首を振る。
「この数ヶ月で禍環会の使う術式は加速度的に複雑化している。現状、我々は後手に回らざるを得ないのが正直なところだ。荒ぶる土地神を無効化してくれただけでも十二分の働きと言えるだろう。本件を預かった身として礼を言う。ただ…」
感情の薄い視線が自分から姉に移った事で、仁梧の胸には嫌な予感が渦巻く。
「結果的に無効化に繋がったとはいえ、貴殿の取った行動は土地神殺しになりかねない危険なものだった。この件については上に報告し、然るべき対応をさせて頂く」
「っ」
「待ってください!私達はそちらの要請を受けて派遣されたんです!それを…」
懸命に抗議をしようとした仁梧の言葉は、透の手で制された。
「透さん…」
「異能者として典祓庁に登録がなされている以上、たとえ庁外の人間であっても土地神殺しは重罪に問われる。未遂とはいえ、御前は制御できていない力で土地神に対抗しようとして失敗した。これだけの目撃者がいるんだ。今は守るべき成果を確定させよう」
「そんな…」
頼みの綱の透にまでそう言われてしまい、仁梧は呆然とする。その後ろでリュウに大量の霊気を吸われ動けないでいる和梧は、血が滲むほど唇を強く噛み締めていた。




