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花の露に泣く

〈シャアアアアア!〉

 大木のような体をくねらせ、向かってくる大蛇。その牙から(ほとばし)る体液が落ちる度にじゅわっと恐ろしい音を立てて地面が溶ける。

 完全にこちらを獲物として捉えるその大蛇を前に、両手を翳し叫んだ。

「瞬ける光よ、闇を断て。攻星(こうせい)昴星(すばる)!」

 ばしゅっという鋭い音と共に放たれた光の刃が、大蛇の首を綺麗に落とす。ずうんと地響きを上げて倒れ込む体を見た者達が、わっと興奮したように集まってきた。

「お見事です!」

「今日だけで五体の(あや)を祓われた!何と素晴らしい力だ!」

「また新しい星を手にされたのですね!」

「あ、ありがとうございます」

 かけられる称賛の言葉にはまだ慣れない。恐縮の表情で礼を言っていると、背後に強い妖気を感じた。

「!危ない!」

〈グオオオオオッ!〉

 雄叫びを上げて襲いかかる大蛇に仁梧が構えた時だった。

「トラ!」

〈おらぁっ!〉

 和梧の霊気を吸い巨大化したトラが、その鋭い爪で大蛇の体を裂く。大蛇は断末魔を上げてさらさらと塵になっていった。

「御前…」

「詰めが甘いのよ。結界を解くまで油断しないで」

「ご、ごめんなさい」

 髪を(なび)かせてその場を去る和梧を見ながら、周囲の者達はひそひそと話し合う。

「あのように言わなくともいいだろうに」

「自らの役目を奪われて面白くないのだろう」

「仁梧様は結界を張って尚、(あや)を祓っているのだ。そのご負担は相当なものだというのに」

「そんな風に言わないでください。御前の言っている事は間違っていません」

 勇気を出して言った言葉は「仁梧様はお優しい」の一言で片づけられる。辺りの気配を探り、もう(あや)がいない事を確かめてから結界を解く。すーっと消えていく銀色の光は以前よりもずっと強い。

 さあっと吹いた風に乗って薄紅の花びらが仁梧の掌に舞い落ちる。あの晩から三ヶ月。季節はすっかり春を迎えていた。



「また一つ、武勲を立てたそうだな」

「は、はい」

 翌朝、仁梧達は椋礼に呼び出されていた。ぱちぱちと扇子を鳴らして仁梧を見る目は、誰の目から見ても満足げである。

「今回もまた新たな星の力を得たと聞いている。これでいくつの星を扱えるようになった?」

「え…と…九つ、です」

「成程。たった三ヶ月でそこまで力を磨いたか」

 ぱちんと扇子を閉じる。

「素晴らしい。私はお前を信じていたぞ」

「あ、ありがとうございます」

「それで、お前は一体何をやっている御前」

 すっと厳しい目が仁梧の隣へ向けられる。視線を受けた和梧はきゅっと唇を引き結び、三つ指をついた。

「申し訳ありません」

「折角妹がここまで力をつけたというのに、お前が成長しなければ"二十五番目の存在"は召喚できぬのだぞ。禍環会(かかんかい)などというふざけた組織に先を越されるわけにはゆかぬのだ。このままでは次期当主として体面も立たぬ。露払いの方が秀でている、などと言われたくはないだろう」

「っ…」

「…はい。父上のお言葉をしかと心に刻み、精進致します」

 肩が揺れた事に気づいたのは和梧だけだった。両者共に浮かない顔のまま、静かに頭を下げる。鹿威しのかこんという音が哀しげに庭に響いた。

「───和梧!待って!」

 すたすたと歩いていく姉の後を追いかける。しかし、和梧は足を止める事なく屋敷の中を進んでいく。道中、家の者達とすれ違うと皆慌てたように頭を下げるが、目もくれない。代わりに仁梧が一人一人に会釈していく為、余計に差は広がる一方だった。

「和梧!」

 ようやく彼女の部屋の前でその腕を掴む。はぁはぁと息を乱す仁梧に対し、背中を見せたままの和梧はただ静かに佇んでいる。

「和梧、あの…私…」

「良かったじゃない」

「え?」

 振り返った和梧は、歪んだ笑みで言い放った。

「父上に認められて、嬉しいでしょう?素直に喜んだら?次期当主の私よりも上に立てたって」

「そんな事…」

「ああ、でもそう嬉しい事ばかりじゃないわよね。どんなに強くなったところで、所詮あんたは私の露払い。"二十五番目の存在"を呼び出しさえすれば、あとはいつ死んだっていいお払い箱なんだから」

「…っ」

 ぐさりと胸に刃を突き立てられたような気がした。

「…そう、ね」

「…」

「わかってるわ。私は露払い。和梧の為なら、いつでも命を捧げる覚悟はある」

 ちゃんと弁えているわ、と伝えた言葉は震えていなかっただろうか。精一杯上げた口端は、ちゃんと笑顔を作っていただろうか。

「…ごめんなさい。部屋に、戻るわね」

 ぱっと手を放し、小走りにその場を後にする。来た道を戻り、離れの自室まで来るとちょうど女中が朝餉を持ってきたところだった。

 女中はにこやかな笑顔を浮かべると、持っていた膳を見せて言う。

「おはようございます、仁梧様。今朝は鰆の幽庵焼きですよ」

「あ、え、ええ…ありがとうございます」

 湯気の立った温かい食事。家の者達は掌を返したように優しい。

─素直に喜んだら?

「…っ、う…」

 そうだ。喜ぶべき事ではないか。実力を認めてもらって、存在を認めてもらって、優しくしてもらえる。こうして世話も焼いてもらえるようになって、気にかけてもらえる。"影"などではなく名前を呼んでもらえる。ずっと望んでいた事の筈だ。

 ならどうして今、自分は泣いているのだろう。子供の頃に全て諦めたものが、今更手に入ったから?だとしたら、これは嬉し涙なのだろうか。凍っていた心が、まるで雪解け水となって溢れているようだ。

〈仁梧?どうしたんだい?〉

 ほしみが心配そうに近づきこちらを見上げる。金色の目に映る自分はやけに情けなくて、それが更に涙を誘った。

「何でもないわ…何でもないの」

 そっとほしみを抱き上げ、優しく包み込むように抱き締めながら自分に言い聞かせるように繰り返した。



 それは何の前触れもなく起きた。

「土地神が…⁉」

「ああ」

 典祓庁(てんぱつちょう)から派遣された透は、重く頷く。出された茶に手をつける様子はない。

清澄野(きよすみの)天澄(あますみ)神社の清澄大神(きよすみのおおかみ)。知ってるよな?」

「当然よ。関東でも指折りの神様じゃない。それがどうして(あや)化なんて…」

「まさか、禍環会(かかんかい)が…?」

 顔を青褪めさせる仁梧の言葉を聞いた和梧は、すっと立ち上がる。

「すぐに出るわ。詳細は道中で聞かせて」

「待て、御前」

 椋礼が低く響く声で支度の為に部屋を出ようとする娘を引き止める。

「この件、お前は後方支援に回れ」

「⁉何故です⁉」

「土地神だぞ。ただの(あや)とは違うのだ。主だって動くのは影前に任せよ」

「っ、それは私では力不足だと言いたいのですか?」

「万に一つも、もしもがあってはならぬと言っているのだ」

「それがつまり私の力を信用していないという事でしょう⁉いざとなれば、仁梧を犠牲にしてでも土地神を鎮めろとでも仰るおつもりですか⁉」

「落ち着いて、和梧。とにかく、今は現地に向かわないと」

 仁梧に諭され、大きく舌を打つ。

「わかったわよ。あんたもさっさと支度してきなさい」

 着物を翻して出ていく和梧を見て、透はちらりと椋礼を一瞥する。

「また随分と扱いが変わりましたねぇ。あの年頃の女の子ってのは、ただでさえ接するのが難しいんですよ。人んちの事情に口出すのもアレですが、仮にも父親ならもっと気にかけるべきかと」

「一般家庭のそれと同じにしないでもらいたい。我ら祓戸家は異能の名家。名家には名家の方針というものがあるのだ」

 その言葉に仁梧は俯く。それを目の端で捉えながら、透はにこやかに言った。

「失礼しました。では、御前達をお借りしますよ」

 行くぜと促され、そっと父に視線を送る。眉一つ動かさない厳格な表情につきんと胸が痛んだが、今はそんな場合ではないと透と共に部屋を後にした。

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