闇の手を掴む星
出口の見えない闇の中を走っているようだと仁梧は思った。灯りと言えるのは車のライトだけ。照らし出される道はどこまでも静かで、先へ進めば進むほど不穏な気配が濃くなっていく。
「気づいてる?仁梧」
「ええ」
仁梧達は感じていた。向かう先で暴れ狂っている霊気の存在を。ずっと消えない嫌な予感はどんどん強くなり、体の芯を灼くようだった。
やがて車は廃施設に辿り着いた。そこに広がる光景に、仁梧達は目を瞠った。
建物の外にまで溢れ出す黒い影。まるで生き物のように蠢くそれは、間違いなく透のものだった。
「界野さん…」
「あの馬鹿、完全に暴走してるわ。あなた達はここで待機!この影が町に行かないように見張ってて!」
「「「はっ!」」」
「行くわよ、仁梧!」
「は、はい!」
一緒に来ていた家の人間達に指示を出すと、和梧は仁梧を連れて施設の中へ入っていく。施設に溢れる影は濁流のようで、進もうとすると押し返されてしまう。
なかなか先へ進めない事に焦れたのか、和梧はましらを呼び出した。
〈ほっほ。これはまた、とんでもないところへ呼び出されたものですな〉
「雑談してる場合じゃないのよ!力を貸して!」
〈勿論。誰を呼ぶおつもりですかな?〉
ましらの問いに、和梧はぴっと印を結び言った。
「ウチの一番の特攻隊長よ!貫け、亥式!」
〈お久しぶりっす!おら、お役に立つっす!〉
出てきたのは亥の式神。鼻息荒く前足を掻くその式神に、和梧は汗を滲ませながら命じた。
「お願い、いの!地下までの道を切り開いて!」
〈了解っす!任せるっす!〉
「仁梧、乗って!」
和梧に言われるままに、いのの背中に乗る。いのは気合いを入れるように一鳴きすると、まさに猪突猛進の勢いで影の中を突っ切った。
*
地下の研究所跡は混沌としていた。自身の手すら見えないほどの闇に支配され、体に触れる影は氷のように冷たく痛いとすら思う。
「綾なす光よ、光を結び盾と成れ。守星、房宿!」
何とか力を振り絞って結界を張り、二人が動けるだけのスペースを作る。そこで初めて、この場に切原の姿がある事に気づいた。
仁梧と同じように結界を張っているが、その表情にはいつもの余裕がないように見える。
「切原静真!」
「!君達は…何故ここに」
「そんな事より、これはあの男の異能でしょう⁉︎一体何があったんです⁉︎どう見ても暴走してるわ!」
「あ、ああ。そうなんだ。私が来た時にはもうこんな状態で…」
「違う」
「仁梧?」
部屋の中央をじっと見つめていた仁梧は、きっと切原を睨みつける。
「界野さんの霊気には、怒りの感情が混じっています。その霊気の流れがあなたに向いている。界野さんはあなたに怒っているんじゃないんですか?」
「…ふっ、全くどいつもこいつも勘が良くて困る」
「!やっぱり、あんた…!」
「仮に、だ」
切原は透が立っていた暗がりへゆっくり視線を向ける。
「私が常闇の人間だったとして、今この状況で君達に何ができる?」
「どういう意味?」
「彼の力がここまでとは思わなかった。全く、人の心というのは恐ろしい」
淡く笑いながらも、彼の額には汗が滲んでいる。
「かく言う私も、自分の身を守るだけで精一杯なわけだ…ぐあぁっ!」
「「!」」
ぱりんという脆い音の後に影の圧に押し潰されるように切原の結界が割れ、彼の首に腕のような影が巻きつく。
「っ、界野さん待っ…」
仁梧の制止はぐきっという不快な音に遮られた。
力をなくした手足がだらんと重力に従いぶら下がる。目の前で見せられた人の死に、仁梧は思わず込み上げた吐き気にぐっと口許を押さえる。
しかしそれも一瞬の事で、ばっと部屋の中央を見る。
「界野さん!いるんですよね⁉︎」
「仁梧、危ない!」
蛇のように黒い腕が仁梧へ伸びてくる。ばちっと結界に弾かれるが、それを皮切りに次々と腕が襲いかかる。仁梧は結界に更に霊気を込めて強化し押し返そうとするが、圧倒的な闇が押し寄せ結界の光が軋む音がする。
(止めなきゃ…!)
歯を食いしばり、呪符に力を込め続ける。だが、闇はそんな自分を嘲笑うようにじわじわと力を増していく。
(駄目…ここで負けたら…)
夜の屋上で見せた哀しげな微笑みが蘇る。彼は今、どんな顔をしているのだろう。あの時のように苦しんでいるのではないだろうか。そう思うと、胸が張り裂けそうだった。
絶対に負けられない。そう思った瞬間だった。
視界がぐらりと揺れる。同時にふわっと体が浮かぶような感覚がした。
*
奇妙な世界だった。黒と白の境界が曖昧な空間で、仁梧は一人立っていた。
「ここ、は…?」
『仁梧』
「!」
どこかから声が聞こえる。それは頭の中に直接響くような、けれどずっと遠くから語りかけているような不思議な声。ただ、とても穏やかで男とも女ともつかない中性的な響きを持ち、確かな温度を持っていた。
「誰?」
戸惑いがちに尋ねると、闇の中に淡い光が現れた。星のような小さな輝きを放つそれは、ゆっくりと仁梧の前まで近づいてくる。
『我は斗宿。流れを制する星なり』
「斗宿…あなたは十二辰星の一つ…?」
『汝の心は乱流が如く揺れている。恐れは流れを濁らせ、力を放つ事は叶わぬ』
「っ…やっぱり、私じゃ役に立てないのね」
『だが、汝の願いは常に澄んでいる。"守りたい"、と』
仁梧は息を呑んだ。ずっと胸に抱いてきた思い。それを言い当てられ、胸の奥が痛いほど熱くなった。
『汝の声を聞かせよ。汝は何を望む?』
「私は……守りたい。和梧を…界野さんの事も。その為に、誰も傷つかないようにする力が欲しい…!」
『ならば恐れるな。恐れず我を受け入れよ。さすれば、その祈りは流れを導くであろう』
星がゆっくりと仁梧の胸の中に消えていく。刹那、心臓がどくんと鼓動を打ち、世界が再び動き出した。
*
「───梧…仁梧!」
聞き覚えのある声に、はっと現実に引き戻される。周りを見ると、大量の影の腕が変わらず結界を壊そうと迫っている。
先程までの出来事は夢だったのかと思ったが、仁梧は感じていた。己の中に生まれた新たな可能性を。
「…和梧、ここにいて」
「は?ちょっ…」
和梧の制止を振り切り、一人影の中心へ歩み寄る。驚いた事に房宿の力は二つに分かれ、片方は和梧を守り片方は自分の体をまるで鎧のように守っていた。
仁梧は必死に影に手を伸ばし、呼びかける。
「界野さん!聞こえますか⁉︎」
やがて微かに見えた透の姿は異形のように変化し、その表情は苦悶に満ちていた。
「ガ…ぐ、ァ…ッ」
「戻ってきてください!自分の心の闇になんて負けないで!」
懸命に伸ばした手が透の手に重なる。その瞬間、仁梧を中心に銀色の光が闇を吹き飛ばすように強く輝いた。その光を浴びた透の目に、僅かに光が戻る。
「………に、こ…?」
確かめるように自分の名前を呟く透に、仁梧はふわりと微笑む。
「一緒に帰りましょう?じゃなきゃ、耀さんに叱られてしまいますよ」
「……ああ…そう、だ、な…」
力の抜けた透の体が崩れ落ち、仁梧が咄嗟に抱き止める。それと同時に闇はさらさらと零れるように消えていく。仁梧はそこで初めて建物が完全に崩壊している事を知った。透の影の暴走に耐えられなかったのだろう。
そして静寂が訪れると、和梧が仁梧に駆け寄った。
「今の…あんたが?」
「ええ…自分でもよくわからないけれど、新しい星が力を貸してくれた、んだと思う」
掌に残る光はまだ少し温かい。そこからすっかり元の姿に戻った透を見つめ、仁梧は安心したように息をつく。
すると、微かに顔を顰めた透がそっと目を開ける。
「……仁梧?」
「はい。おかえりなさい、界野さん」
優しく細められる瑠璃色の瞳。その向こうで、夜空の雲がゆっくりと割れる。そこには、新月の闇を破り一つの星がきらりと瞬いていた。




