星空の逢瀬
切原が常闇のスパイだったという事実は、一晩の内に典祓庁を駆け巡った。彼の私室からは常闇に関する資料が見つかり、かの組織…正式名称禍環会の目的は大いなる災厄、そして"二十五番目の存在"を呼び起こそうというものであった事がほぼ確定したらしい。
"らしい"というのは、あの晩新たな星の力を得た反動で数日寝込んでしまい、目覚めた時にはほとんどの後処理が済んでいたからである。和梧から聞かされた内容によると、異能者から術式を奪っているのは自分や和梧の十二の力をそれらで補完できないかと検証する為ではないかという見解があるそうだ。
(静かな夜ね)
十分に体を休めたからだろうか。今宵は上手く寝つけない。羽織りを肩に掛け、縁側に出る。きんと冷えた空気に思わず身震いする。
空を見上げれば、三日月よりも少し膨らんだ月がこちらを見下ろしている。その側には星が散らばっており、今はその光がとても近く感じられた。
「何だ、もう起きていいのか?」
「!界野さん!」
木陰から姿を現した透に驚きの声を上げる。
「どうしてここに?」
「やっと謹慎が解けたんでちょっと顔を見に、な。御前にバレるとうるさいだろうから、こうしてこっそり来てみたんだ。暴走させた矢先にまた影渡りなんかしたって上に知られたら、今度こそクビかもな」
だから黙っててくれよ?と片目を瞑る透に、仁梧はふっと笑みを漏らす。
「もう、本当に心配したんですよ?」
「悪い悪い。改めて、止めてくれてありがとな。お陰で力に飲まれずに済んだよ。君がいなきゃ、俺は今頃処分対象になってた」
照れくさそうに言う透に恐縮したように両手を振る。
「そんな…私はただ、暴走を止めようと必死だっただけです」
それに、と羽織りをぎゅっと握り締める。
「結局、こうやって寝込んでしまって和梧に迷惑をかけました。正直なところ、新しい星の力は手に入れたけどちゃんと制御できるか不安で仕方ないんです。今度は私が暴走させてしまったら、きっと界野さんにもご迷惑をかけてしまう…」
「迷惑なんかじゃねぇよ」
あまりにもはっきりと言い切る透に、言いかけた言葉は宙ぶらりんになる。
「俺が暴走した時、君は俺を迷惑だと思ったのか?力に飲まれて無様な姿を晒す姿を見て、幻滅したか?」
「そ、そんな事…」
「だろ?お互い様なんだよ、こういうのは」
「だけど…私は未熟な"にこ"ですから」
「?」
自分の言った言葉の意味が理解できていない様子の透に、仁梧は困ったように笑う。
「知っていますか?本来、双子は一つの魂だったと言われています。それが生まれる時に二つに分かれてしまった。だから双子は不完全な存在、半分の力しか持つ事ができない。けれど、私はその半分の力すら持って生まれてくる事が叶わなかった。不完全な半分の、そのまた半分の半端者。"にこ"という名前には、そんな私への皮肉が詰まっているんです」
「本当にそうなのか?」
「え?」
さあ、と風が透から仁梧の方へ流れる。
「たとえ皮肉で付けられたんだとしても、名前っていうのはそいつを形づくる一番大事な要素だ。俺は好きだぜ?仁梧って名前。呼ぶ度に笑顔になれるみたいでさ。"にっこりにこにこ~"ってな」
思ってもみない言葉に、仁梧の目が僅かに見開かれる。
「…そんな事、初めて言われました」
「駄目だねぇ。年頃の女の子一人喜ばせてやれねぇなんて、歴史と伝統を重んじる名家ってのはこれだからやなんだよなぁ」
わざとおどけて言う透につられて仁梧の顔にも穏やかな笑みが浮かぶ。それを見た透は不意に空を見上げる。静かに瞬く星の光を見つめながら、何気なく呟いた。
「星が綺麗だな」
「はい。この町は東京でも田舎の方ですから。町の光が少なくて、都会よりよく見えるんです」
透は苦笑して首を掻く。
「いや、まあ…そういう意味も、あるんだけど、な」
「?他にどういう意味があるんですか?」
問い返されて、透は答えを濁すように笑う。
「…君みたいな子は、本来なら学校に通って、友達と遊んで…そういう日常を楽しんでいい筈なのにな」
「………でも、私は露払いですから」
この言葉を口にする時が、一番迷いのない声音をしている。それが逆に彼女が自身を軽く扱っている証に思えて、透は視線を逸らした。
「やっぱり君って、自分を軽く見過ぎてるよな」
仁梧は一瞬だけきょとんとした後、ほんの少しだけ笑みを浮かべる。
「それでも、あなたは私を"影前"ではなく名前で呼んでくれる。それが少し、嬉しいです」
「透」
「え?」
突然名乗られ戸惑っていると、にやりと悪戯にでも誘うような目がこちらを見る。
「知ってるか?人が仲を深めるには、お互い下の名前で呼び合うのが手っ取り早いんだぜ。ほら、呼んでみ?」
「と、と、お…さん?」
「よし、上出来だ」
頭を撫でようと伸ばされた手が中途半端なところで止まり、何かに気づいたように制服のポケットにしまわれる。その事に寂しさを覚えている自分がいる事に仁梧は戸惑い、理由を考え込むがすぐに諦めた。
(きっと気のせいね)
「そういえば、常闇…禍環会の事は聞いたか?」
それまでの空気から一転、真顔で聞かれた質問に自然と背筋が伸びる。
「はい。"二十五番目の存在"、ですよね。その為に大いなる災厄の封印を解こうとしているとも聞きました。祓戸家の中でも関わっている人間がいるんじゃないかって噂になっていると聞いています」
「こっちでも、その件で上も下も慌てっ放しだよ。ったく、何で人ってのは持って生まれたもの以上のものを求めようとするのかね。俺が言うなって話だけどな」
「…私は、少しわかる気がします」
「え?」
「昔から双子は忌むべき存在とされてきました。畜生腹、なんて呼ばれていた事もあったそうです。それは双御祖の二人も例外ではなかったでしょう。それが大いなる災厄を封印した事で、彼女は祓戸の開祖となった。忌み子であろうと、己の価値を示せれば認めてもらえるんです。だとすれば双子だけじゃない、不遇な扱いを受けてきた人達が力を求めたとしても不思議じゃないと、私は思うんです」
「仁梧…」
「あ、も、勿論私はそんな事しませんよ!というか、できません!」
必死になって否定する姿が可笑しくて、透はふっと吹き出す。
「わかってるよ。君みたいな子が禍環会にいたら、それこそ世も末だな」
和やかに会話をする二人。そんな彼らを壁の影からじっと見つめる人影が一つ。
〈主、いいの?〉
「何が?」
ネズの問いかけに、和梧は棘のある声で答える。
〈あの二人、あんなに親しくなっちゃってさ。政府の人間なのにわかってるのかな、影前は。こんなの、椋礼が知ったらただじゃ済まないよ〉
「言わなきゃいいんでしょ。前にも言ったじゃない。とばっちりは御免よ」
そう言いながら仁梧を見る。くるくると変わる表情。自分の前ではけして見せない豊かな表情にぐっと顔を歪め、足早にその場を立ち去る。
一方で、仁梧の部屋の中から同じく二人の姿を見つめる影があった。闇の中で金色の目が光る。
〈…界野透〉
ぽつりと呟き、ぐるるるると喉を鳴らす。月の光が照らし出すその影は、いつもよりも一回り大きく見えた。
その晩、封印の鎖に大きな罅が入った事はまだ誰も知らない。




