辿り着いた真実
その夜、仁梧はなかなか寝つけずにいた。何度も寝返りを繰り返し、その度に脳裏に透の顔が浮かぶ。あの笑顔の裏に感じた怒り、そして別れ際に胸をざわつかせた嫌な予感。それらを振り払おうとする度に、目は冴えていく一方だった。
〈眠れないのかい?〉
「ほしみ」
しゅるんと姿を現したほしみは、元気づけるようにぺろりと仁梧の頬を舐める。
〈仁梧がそんなに気にかける事ないよ。あいつも言ってただろ?心配いらないって〉
「それは、そうだけど…どうしても嫌な予感がして…」
〈…仁梧はさ、あいつの事…〉
ほしみが何かを言いかけた時だった。
〈影前〉
「!」
部屋の外から自分を呼ぶ声に、仁梧はぱっと起き上がる。
「ネズ?」
〈主が呼んでる。すぐに支度をして裏口に来て〉
只事ではなさそうな雰囲気に急いで着替え、言われた通りに裏口に来てみると、和梧が祓戸家の人間数人と一緒に待っていた。
「御前、これは一体…」
「あの施設にいるネズの分身から、界野透が一人で現れたと報告があったわ。あいつ、絶対勝手に動くと思ってた」
「!やっぱり…」
仁梧の顔が強張る。己の予感が的中したと胸元の装束を握り締め、そっと周りにいる者達に目をやりながら和梧に尋ねる。
「それで…この人達は?」
「もう特別チームなんてあってないようなものよ。他のメンバーも信用できない状況なら、ウチの人間を側に置いていた方が何倍もマシでしょ。さあ、行くわよ」
和梧に促され、外に停めてあった車に乗り込む。今宵は新月。光を差さない夜空は、まるで影に支配されているように見えた。
*
界野透は薄暗い研究室跡の中央に立っていた。点く筈のない蛍光灯の光がちかちかと点滅し、彼の身に着けている制服の肩章をぼんやりと照らす。その手には、かつての恩人が大切にしていた銀色の懐中時計。それをぎゅっと握り締めると、すっと前を向いた。
彼と対峙するように立っていたのは、切原静真。こちらは制服の上にトレンチコートを羽織っている。いつもと変わらぬ柔和な笑みを浮かべ、切原は口を開いた。
「わざわざこんな所に呼び出すとは…もうこの施設には関わるなと言った筈だよ。祓戸のお嬢さんはともかく、君は納得してくれていると思っていたんだがね、界野典史」
「勿論、上官の命令には従いますよ。それが規律ですから。ただ、納得する為に部下の疑問を解消させてやるのも上の役目なんじゃないかと思いましてね」
「疑問?」
「神埜耀という男を覚えていますか」
突然出てきた名前に切原はふむ、と顎を撫でる。
「久しく聞いていなかった名だ。だが、覚えているとも。若くして典佐の地位に就き、禍相手にも引けを取らない強さを持つ男だった。確か、処分命令の下った禍の子供を連れて逃げ、粛清されたのだったな」
「ええ。討伐局のエースと呼ばれながら、最期は組織の裏切り者というレッテルを貼られた馬鹿な男ですよ。あの人は…耀は、俺の命の恩人でした。彼がいなければ、俺は十年以上前に禍の腹の中だった」
「ほう、そんな縁があったとは知らなかった。同じ討伐局でも、あの頃の私は地方への遠征が多く本部にいる人間の事情には疎かったからね。それで、五年も前の男の死が今この施設を巡る疑問にどう関係していると?」
「これですよ」
ちゃら、と鎖の音が部屋に響く。耀の懐中時計を見せながら、透は爽やかに笑った。
「これは耀が最期まで持っていた時計です。記録によれば、彼は複数の異能者と戦い命を落とした。その中でも致命傷になったとされている一撃が、この時計にも傷を残したんです。でも、妙なんですよこの傷」
透はそっと表面についた傷をなぞる。
「何度浄化しても、傷についた残滓が取れないんです。かと言って、この残滓が誰のものなのか判別できるわけでもない。だから今まであの人に止めを刺したのが誰なのか、わからないままだった。どちらにせよ、組織を裏切った耀を殺した人間を特定したところでそいつはただ職務を全うしただけだって、そう自分に言い聞かせてました。ここに来るまでは」
一段低くなった声色がそれまでの和やかな場の空気を変える。
透は足元に描かれた陣を革靴でこつこつと叩く。
「この陣、御前の報告書によると異能者の術式を奪う為に開発されたらしいじゃないですか。その副産物なんですかね。ここに立つと、この傷に残された残滓がより濃く浮き出てきたんです」
透の言葉に倣うように、懐中時計から微かに靄のようなものが漏れ出てくる。
「切原典佐には感謝してますよ。俺を特別チームに呼んでくれて」
「…」
「お陰で、今までちゃんと感じた事がなかったあなたの霊気を覚える事ができた。そう…この時計の傷から出ているのは、あんたの霊気だよ。ついでに、これも副産物なんだろ?この陣からは、あんたが霊気を込めた痕跡も見つかった。だからあんたは、それを隠す為にこの廃施設を立ち入り禁止にしたんだ」
「…ふっ、成程。確かにあの男と懇意にしていただけの事はある。まさかそんな形で気づかれるとはな」
柔らかい笑みから一転、冷たさを帯びた視線に透も薄く微笑む。
「クロだとは思ってたけど、まさか恩人の仇だとは思わなかったぜ。よく考えりゃ、討伐局の中でも実力のあった耀を殺れるほどの異能者で政府側の人間なんてそうそういねぇんだから、確率論で真っ先にあんたを疑うべきだったんだよな」
「素晴らしいよ、界野典史。君のような優秀な人材が庶務局などに燻っているのは実に惜しい。君ならきっとこれ以上ない器になれる」
「器?」
怪訝そうに眉根を寄せる透に、切原は余裕の表情で言葉を続けた。
「"廿五計画"を完成させるには感情の振れ幅が大きく、より深い闇を孕んでいる宿主が必要だ。"影喰い"と呼ばれた君ならば、器としての耐久度も十分及第点だろう。どうだ?我々禍環会の下で、共に"二十五番目の存在"を呼び起こさないか?」
「"二十五番目の存在"…やっぱり、お前らの目的は大いなる災厄の解放か。大方、更なる力を求めて何とやら…ってか?」
「飲み込みが早くて助かるよ。あの男は頭が固くて話にならなかったからね」
「黙れよ、屑が」
ざわ、と透の影が揺らぐ。彼の心の内を表すように動くそれを見て、切原は挑発するように畳みかけた。
「君も気づいていた筈だ。彼の理想は稚拙だった。時に人は、非道を歩んでこそ理想を叶えるものなんだよ」
「黙れって言ってんだろ。お前があの人を語るんじゃねぇ」
「唯一の心残りは、彼の死体を回収できなかった事だ。死者でも器たり得るのか、検証を行うには絶好の検体だったんだがね」
「黙れ!」
「ああ、でも…」
何かを思い出したように笑う姿は、この場には似つかわしくないほど穏やかだった。
「祓戸の双子…彼女達を器にするのが一番手っ取り早いと思わないか?術式さえ奪ってしまえば、残った肉体に用はない。そうだな…御前を相手にするのは骨が折れそうだ。狙うなら影前か」
刹那、優しげな瑠璃色の瞳が脳裏に過った。
ぶわっと影が爆発的に広がり、部屋全体が黒く染まる。自らの結界で身を守りながら、切原は高らかに言った。
「そうだ。もっと怒れ、界野透。君の怒りこそが我々の求めた"器"の証だ」
「だま、レ…」
「感情に支配された時、人は最も強く最も脆くなる。器に自我は要らない。そのまま力に飲み込まれるといい」
「ダ、マ…ぐ、がぁっ…」
徐々に薄れていく意識。最後に浮かんだのは、この手に残る少し冷えた温もりだった。




