曇天の中で
「はぁ…」
〈二十五回目〉
「え?」
膝から聞こえた声に視線を下ろすと、呆れた顔のほしみと目が合った。
〈今のでため息二十五回目だよ。人間の間ではため息をつくと幸せが逃げる、なんて迷信があるんでしょ?別に僕はそんなの信じちゃいないけどさ、仁梧の暗い顔はあんまり見てて気持ちいいもんじゃないな〉
「ご、ごめんなさい」
〈そんなに気になるなら、そのカイノって奴に状況を聞いてみればいいじゃないか。典祓庁から支給されてる"すまほ"?とかいうので連絡は取れるんでしょ?」
「それが、典祓庁からの支給品は全部典祓庁に管理されているからすまほで今回の事についてやりとりするのは危険だって言われてしまったの。確か、"はいきんぐ"?とかいったかしら」
〈"ハッキング"だよ。山登りしてどうするのさ〉
「!ネズ」
こちらもこちらで呆れ顔の姉の式神にどうかしたのかと尋ねると、ちちっと鳴き声だけで来いと促される。不思議に思いながら後をついていくと、屋敷の裏口に案内された。
そこには和梧と透が立っており、珍しい組み合わせにしぱしぱと目を瞬かせる。
「どうして二人が?」
「この男に約束を果たしてもらう為よ」
「約束?」
「切原を問い詰めていた時に邪魔をされたでしょ?その落とし前をつけてもらうのよ」
「怖ぇな。そろそろ信用してくれよ」
相変わらずの軽口を辞めさえすればもう少し和梧も心を開いてくれると思いますとは言えなかった。そんな自分をよそに、一緒についてきていたほしみがぴょんと肩に乗って透に話しかけた。
〈ふーん。お前が噂のカイノ?仁梧を誑かしてるふしだらな男なんだろ?〉
「え、猫又?何で魍が祓戸家に…っつーか、色々誤解があるんだけどこれ絶対御前のせいだろ」
「事実でしょ」
「名誉毀損で訴えんぞ」
ったく、と頭をがしがしと掻き毟ると、じゃあ行くぞと裏口の外を指される。話が見えないまま扉の外を見ると、見覚えのない車が停まっていた。
「真正面から政府の車を使って行動してりゃ、こっちの動きを見張ってくれって言ってるようなもんだからな。裏口からこっそりと、屋敷には御前が二人分の人形を置いていってくれるよ。レンタカー代が地味に痛ぇんだけど、おたくで持ってもらえねぇ?」
「却下」
「そう言うと思った」
がっくりと項垂れる透に、ほしみの〈ざまあみろ〉という追い打ちがかけられるのだった。
*
「御前が上げた報告書と典祓庁にあるデータとを照らし合わせてみた」
屋敷から車を飛ばし、三人はあの海岸に来ていた。そこで透はノートパソコンの画面を見せながらここ数日の調査の結果を説明した。
「切原が言っていた通り、記録上は祓術局があの廃施設の調査を引き継ぐ事になっている」
「記録上は?」
不穏な言葉に和梧は眉根を寄せる。
「調査チームとして登録されている筈のメンバーなんだが、あの施設の調査を行う事になっている期間にほとんどの人間が別の調査や研究スケジュールに組み込まれているんだよ」
「どういう事?それじゃ、あの施設の調査は誰がするっていうの?」
「そもそも調査の予定なんかないって事だよ」
「「⁉︎」」
衝撃の事実に仁梧達は揃って目を瞠る。
「典祓庁の活動スケジュールは各局独自のもの、それぞれ連携を取るものがごちゃごちゃ入り混じってパズルみたいになってるんだ。それこそ、こうやって慎重に粗を探さない限り矛盾を見つける事ができねぇくらいにな。本来は秘匿案件に関わる人間の動きを悟らせない為の工夫なんだが、今回はそれを逆手に取られたってとこだ」
「呆れた。それでよく政府の機関を名乗っていられるわね」
「皺寄せを食らってる俺達庶務局はどっちかっつーと被害者なんだけどな。まあそのお陰でスケジュールをこそこそ探ってても怪しまれねぇわけだけど」
「でも、大丈夫なんですか?切原さんは、界野さんが特別チームの一員である事を知っていますよね。もしもあの人が常闇の一人で、界野さんがこうして秘密裏に動いている事を知ったら…」
「消されるだろうな、間違いなく」
何でもないように言う透に、仁梧は思わず身を乗り出す。
「もっと危機感を持ってください!あなたがいなくなったら…」
咄嗟に口をついて出た言葉に仁梧は固まる。
(いなくなったら…?私、今何を言おうとして…)
「…」
口許に手を当てて考え込む仁梧を隣で見ていた和梧は、ちょっとと透に声をかける。
仁梧を置いて車の外に連れ出された透は、へらっとした笑みを浮かべながら口を開いた。
「どうした?海を前にして、ロマンチックな気持ちでも生まれたか?」
「改めて言うわ。あの子に妙な事を吹き込むのはやめて」
真剣な表情で言い切る和梧に、透もふざけた態度をやめて片方の口角だけを上げる。
「随分優しいんだな。影前は君の露払い、なんだろ?」
「…そうよ。くだらない事であの子の命を使いたくないの」
「ふっ」
自分の言葉を聞いて吹き出した透に何が可笑しいのかと声を荒げる。
「いや、君ほど素直じゃない子も珍しいと思ってな」
「どういう意味?」
「さあ、それは君が一番よくわかってるんじゃないのか?」
じっと見つめ合う二人の姿を仁梧は車の中から窺う。
「何を話しているのかしら」
〈さあね〉
興味はないとでも言いたげにくあーっと欠伸をするほしみに苦笑する。仁梧には理由がわからなかったが、どうやらほしみも透の事はあまり良く思っていないらしい。
ふと助手席に置かれたノートパソコンを見る。"廿五計画"とは何なのか、切原は本当に裏切り者なのか。考える事が多すぎて、頭がパンクしそうだった。
(でも、きっと和梧や界野さんはもっと色々な事を考えているのよね)
ここでも"役立たず"という言葉が頭を過り、気分が沈む。そんな時だった。
どくん、と鼓動が聞こえた。
「?」
〈どうしたの、仁梧?〉
胸元に手を当てる仁梧に、ほしみが首を傾げて尋ねる。
「今、何か感じなかった?」
〈?いいや、何にも?〉
「そう…」
気のせいだったのだろうか。確かに何かが脈打った気がしたのだが。まるで何かに呼ばれているような、そんな感覚。
車の中から外を見る。曇天の昼の空は、どこかざわついているように見えた。
*
「じゃあな。また何かわかったら連絡するよ」
屋敷の裏口まで送ってもらった仁梧達。運転席から窓を開けて言う透に、仁梧は心配そうに眉を下げる。
「本当に気をつけてくださいね」
「わかってるわかってる。庶務局の人間が何したところで、気にする奴はそういねぇよ。自分で言ってて悲しいけどな」
「あの施設には、引き続きネズを監視に置くわ。何か動きがあれば、そっちにも報告はする。信用したわけじゃないけど、裏切ったらただじゃおかないから」
「滅茶苦茶だなぁ。ま、いいや。あの陣に残ってた残滓がわかるのは御前だけだからな。それを手がかりに、該当する霊気を持つ奴を洗い出せれ、ば…」
「?何よ」
「あ、いや、とにかく期待してるよ」
その時、仁梧は透の様子がおかしいと直感した。
「界野さん?どうかしたんですか?」
「ん?いや、何でもねぇよ」
「でも…」
「平気平気。心配すんなって」
いつも通りの本音を読ませない飄々とした笑み。けれど仁梧は、その中に混じる微かな怒りを感じた。
じゃあなと走り出す車を見送る間も、嫌な予感がひしひしと胸の中を支配する。
「仁梧、入るわよ」
「え、ええ」
屋敷の中へ戻る前にもう一度後ろを振り返る。遠のいていく車が、無性に寂しく思える。
そして、この嫌な予感は的中するのである。




