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冬の隙間

〈主、今日はずっと上の空だったね〉

 頭に乗っていたネズの一言に、和梧は廊下を歩いていた足を止めた。

「…そう見えた?」

〈舐めないでよ。ボクは主の式神だよ?流れ込んでくる霊気に乱れがあったんだ〉

「そう…ごめんなさい。鍛練の意味がなかったわね」

〈それは割とどうでもいいんだけどさ。昨日の事、そんなに衝撃だった?〉

 ぐっと喉が鳴るのがわかった。ネズの言葉で、嫌でも昨夜の事が蘇る。

─あの、和梧…一つ考えがあるのだけど

 典祓庁(てんぱつちょう)からの要請を受けて赴いた妖祓い。(あや)の発生原因は異能者の仕業によるものだという事はわかったが、肝心の(あや)も黒幕の異能者も居場所を突き止められずにいた。

 そこに形勢を一気に変える一手を考えついたのが仁梧だった。十八年共に生きているが、彼女の口から何かを提案するような言葉を聞いた事はなかった。いつも自信がなさそうに肩を縮こめ、こちらの顔色を窺ってばかりの彼女が何故突然あんな事を言ったのか一夜明けても理由がわからない。

 これまでの妖祓いでは、最初に妖が出現すると思われる範囲に仁梧が結界を張る事で余計な被害を出さないようにしていた。彼女の結界には異物を洗い出す作用もあり、大抵の妖はそれで姿を現す。同時にたとえ妖が暴れても結界内の建物が壊れないように防護する仕組みにもなっている為、人が溢れる東京での妖祓いに仁梧の存在は必要不可欠なものだった。それは和梧自身が常に感じている事であり、故に自らの役目を軽んじるような事を口にする仁梧に苛立ちを隠せないでいた。

〈ボクもびっくりしたよ。影前にあんな事ができたなんてさ〉

 そう、和梧が何よりも驚かされたのは仁梧が見せた力だった。

─結界を二重に張るのはどうかしら。いつも通りのものに加えて、どんどん範囲を狭めていく結界を作るの。上手くいけば、(あや)だけじゃなくて結界内にいる人達の中で不審な霊気を持つ人を探し出せるかもしれない

 あり得ないと思った。そもそもが膨大な力を必要とするほど広い結界を張っているというのに、更にその内側に、それも大きさを変化させるような芸当をするなどと。

 けれど、仁梧はそれをやってのけた。自信がなさそうにしながらも、丁寧に霊気を練り見事二重の結界を作り出してみせた。

 それだけではない。不自然に揺れる霊気を見つけ出し、駆けつけた先にいた男の術式は非常に厄介だった。恐らくあの(まじな)いは前もって作る呪符次第でかなりの効果を発揮するものだったのだろう。実際、作り出した(あや)はまだ自分の中では制御しきれていない十二支の力を使わなければ祓うのは苦しいほど強かった。

 そんな自分をよそに、仁梧は鳥型の(あや)を結界で捕らえてサポートしながら術者の男をも捕縛した。男の体のシルエットを寸分違わずなぞりできたそれは、まるで接着剤のように男の動きを止めていた。あんな繊細な形の結界は見た事がない。いつの間にあのような力をつけていたのかと、詰め寄りそうになる自分を必死に堪えた。

〈お、噂をすれば〉

 ネズの声に反応して前を向くと、仁梧がバケツを手にこちらに歩いてくるところだった。着物を(たすき)でたくし上げているので、自室の掃除でもしていたのだろう。自分には縁のない家事も、世話係のいない彼女は全て己の手でやらなければいけないのだ。

 向こうの肩には小さな猫又が乗っており、仁梧は彼と穏やかな表情で話していたのだが、こちらに気づきびくっと固まってしまった。その反応が気に食わず、和梧の眉には自然と皺が寄る。

〈何だ、仲間外れの猫助も一緒だったのか。離れを出るなんて珍しいね。どういう風の吹き回しだい?〉

〈何だっていいだろ。仁梧が余計な嫌がらせを受けないように見張ってるんだよ。どっかの小癪な鼠みたいにね〉

〈へぇ、お前みたいな弱っちい(もう)でも何かを守れたんだ。初耳だよ〉

「ネズ、そこまでにしておきなさい」

 和梧に諫められ、ネズははーいと気のない返事をする。

「仁梧も、離れの外にほしみを連れ出すのは感心しないわ。その猫がどういう目で見られているか、わかっていないわけじゃないでしょ?」

「ご、ごめんなさい。水を替えるだけならと思って」

 ぎゅっとバケツの持ち手を握り締める手は冷たい水を使った事で赤くなっている。それを見た和梧の目は一瞬だけ細められたが、すぐに元に戻された。

「仁梧、あんた…昨日の力、どうして隠してたの?」

「え?」

 突然の問いかけに、仁梧は戸惑ったように目を瞬く。

「あんな事ができたなら、もっと早く対処できていたわ。典祓庁(てんぱつちょう)の目を気にしていたの?だとしても、私にくらい言ってくれていても良かったじゃない。今後の妖祓いはあれを基本形にして…」

「ま、待って和梧」

 矢継ぎ早に喋り続ける姉の言葉を遮る。

「か、隠していたわけじゃないわ。鍛練でもまだ完璧に扱えなかったから言えなかっただけで」

「は?」

 今度は和梧が目を見開く番だった。

「…完璧に習得していない事を実戦でやろうとしたっていうの?あんたが?」

「ご、ごめんなさい。やっぱり、軽率だったわよね」

 そうじゃない。

 叫びそうになった言葉を咄嗟に飲み込む。自己肯定感がないに等しい仁梧は、基本的に自主性というものがない。そういう風に育てられたのだから当たり前なのだが、他者からこうせよと言われた事しかやらない。できないのだ。

 そんな彼女が自分から策を提案しただけでも驚きだったというのに、できるかどうかもわからない事をやらないかと言った?

(やっぱりおかしい)

 妹の急な変化の理由を考えないわけにはいかない。改めて昨夜の事を思い出していた和梧の頭の中には、ある男が浮かび上がった。

「…界野透」

「?界野さんがどうかしたの?」

「あいつの入れ知恵なんでしょ?」

「え」

 バケツの中の水がちゃぷりと音を立てる。

「二人だけでいた時、やっぱり何か吹き込まれたんでしょ。だから珍しくあなたから作戦を提案した。違う?」

「そ、それは…」

「何考えてるの?相手は政府の人間だって言ってるのがわからない?」

「わ、わかってるわ」

「わかってない!もっと自覚しなさいよ!仁梧は私の露払いでしょ⁉」

「!」

〈おい。取り消せよ、今の言葉〉

 それまで黙って聞いていたほしみが毛を逆立てて唸る。

〈次期当主だか何だか知らないけどさ。あんまり仁梧に辛く当たるなら僕が許さないからね。何が露払いだ。一緒に生まれてきた片割れを犠牲にしなきゃ生きていけないなんて、そっちこそ哀れで泣けてくるね〉

「な…っ」

〈黙れよ、雑魚のくせに。誰に向かって物言ってんだ〉

 ほしみの言葉に反応したネズが低く短い鳴き声で威嚇する。

〈あんまり調子に乗るなよ。お前が祓われずに影前の側にいる事を許されているのは、お前が祓うに値しないようなちっぽけな存在だからだ。よりによって()()()で生かされている有り難みをもっと噛み締めろよ〉

〈流石選ばれたお鼠様は言う事が違うね。そのちっぽけな僕に言い負かされてる次期当主様を庇って、狡賢い浅知恵で生き残るのに必死かよ〉

〈何だと⁉〉

「やめなさい、ネズ!」

 悲鳴にも似た声が廊下に響く。はぁはぁと乱れた息が白く庭から空に消えていく。

「和梧…」

「っ、とにかく!今回の事は父上には報告しない。中途半端で不確かな力で任務を成功させました、なんて聞いたら何て言われるかわからないもの。とばっちりは御免よ」

「ごめんなさい…」

 くしゃりと顔を歪める仁梧から顔を背けるようにしながら横を通り過ぎる。目の端に捉えた手が震えているように見えたが、気づかない振りをした。

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