死に行く女性(ひと)
「こんばんわ」
黒いスーツ、かろうじて黒ではない濃紺のネクタイを締めた青年が
女性を訪ねていた
真っ白い病室
テレビとラジオ
白壁に掛け時計
何枚かのメモ用紙と鉛筆
壁に余白の多い明るいタッチの花の絵
そこには、彼女自身のものはほとんどなかった
白が多い空間に
黒い青年は奇妙な存在感を持っていた
女性は古希に近い
乾燥した硬そうな髪の毛を
きれいにひとつにまとめている
簡素な模様の着物のような病院着を着て
ベッドの上に座っていた
ふふ、っと女性は笑った
「あなたはいつもどこからいらっしゃるの?」
青年は頬を指で掻きながら
「私は人から視えていても、観えないので、
普通に玄関から入ってきました」
と、不思議なことを言った
女性はその言葉をあまり気に留めている様子もなかった
そもそも、質問への答えを期待している風もなかった
彼女は、ふと窓の外を見た
見ても、別に何があるわけではない
夕闇が空を紺色に染め始める中
そこには、誰そ彼に沈む、見慣れた街並みがあるだけだった
「死にたいわ…」
女性はポツリとこぼした
青年はじっと傍らに座っていた
「どうしてこの国には安楽死の制度がないのかしら」
「ねえ…?」
青年は、この女性が死なないことを知っていた
正確に言えば、死ぬ手段を有していないことを知っていた
どのような自殺方法であれ、
今のこの人には難しすぎるのだ
ただ、死にたい思いだけが在った
「黙っていてもあと、数カ月もない生命で
死にたいなんて滑稽かしら?」
「でも、生きていれば、負担になる
あの子の重荷になってしまう」
「どんどん私は弱っていく
あの子は、そんな私を見て悲しそうな目をする」
「もう少しで私の四肢は動かなくなる
意識も朦朧とするでしょう
話すことも
視ることも
聴くことも
もう、できなくなる」
「とても…こわいわ」
青年は何も言うことはできなかった
「あなたが死神なら良かったのに」
「もし、その手で私の首を絞めてくれるなら
私は喜んでこの首を差し出すのに」
「僕は…」
青年はカラカラに乾いた喉から絞り出すように言う
「僕には…それは…できないんです」
「知ってるわ」
女性は窓に目を向けた
震える手で自分の頬に触れる
「こんなに…なってしまったわ」
「生きて、ください…。
最期まで…
僕は…また、来ますから」
青年は言った
それが自分の役割だからだろうか
言わなければいけないことだからだろうか
神様が望むことだからだろうか
「辛いことを言うのね」
女性は俯く
青年は微かに肩を震わせた
壁にかかる時計が、時を刻む音だけが
聴こえていた




