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自殺紳士  作者: かがりいずみ


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2/14

理由のない命

45歳になって、急に死にたくなった。


正確に言えば、生きていたくなくなった。


昨日、私は会社に行った。

 今日も、行った。

あと2日行くと、休日が2日在って、

 その後、また、会社に行く。


会社の仕事ではうまくいかないこともある。

 思うように評価されないこともある。

 でも、それで死にたいわけじゃない。


家族もいる。子どももいる。

 ただ、私が帰らなくても、この子達は生きていく。

 たとえ、私が死んだとしても、

  生命保険やらなんやらで、お金も入るようだ。


そう考えると、急に生きていることの必要性がわからなくなった。

 命が大事だというのなら、

  私以外の命を大事にすればいいだろう。

 家族が悲しむとしても、

  今ですら、私は家族とほぼほぼ会話をしていない。

  いなくなって、どれほどの影響があるのか。

 会社に迷惑はかかるかもしれないが、

  辞めてしまえるところだし、

  また、新しい人を雇えばいい。


生きている必要がない、という魅惑的な考えは

 私の中である日を境に大きくなってきた。


私は、財布に1万円を入れて、

 行かれるところまで行こうと思い、電車に乗った。

 行かれるところまで行って、そこが終焉だ。


その電車の車内で、

 この男に会った。


「ここ、いいですか?」

 適当に乗った地方のローカル線。向かい合いの席の真向かいに男は座った。

 電車は空いているのに、わざわざ私の前に座った。


喪服みたいな黒色のスーツを着ている。髪の毛を端正に整えている。

腕時計をしていない。かろうじて黒ではないネクタイをしている。

手荷物もない。


12時に近い地方のローカル線には不似合いな男だった。

職業はなんだろう?服の生地は良いものに思えたから、金はあるのだろう。


私は営業職だけに、ふと詮索してしまう。


私は男を一瞥する間に、そんなことまで考えていた。

 ただ、別に話すこともないので黙っていた。


男は目をアチラコチラに動かしている。困っているような顔をする。

しばらく時間が流れたあと、男は突拍子もない事を言いだした。


 「あー…。すいません。

  会話のきっかけがないので、直接言っちゃいますが、

  あなた、死ぬ気ですよね?」


私は、鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔をしていたと思う。

 男は、慌てて付け加えた。

 

 「いや、死ぬんじゃないかなー、みたいな」


姿に不釣り合いなほど、軽い。

 私は、笑った。面白すぎる。


なんでそんなことがわかったのか、という疑問はあったが、

 そもそもが非日常。

 これくらいの事が起こってもいいやと、なかば捨て鉢だったのかもしれない。


 「いや、よかった。

  よかったら、お話しませんか。

  死にたい理由と、死なないで済む方法を」


私と男の短くて、おかしな旅が始まった。


電車はあっけなく終点についた。

終焉の地だった。


だけど、当初の予定と異なり、

隣に何故か黒づくめの男がいる。


喪服のような黒い服、

かろうじて黒ではない紺色のネクタイ

髪の毛を端正にまとめている

20代くらいの青年だった。


この男はなぜか私が死のうとしていたことを知っていた。

不思議なことだった。


どうやら、男は私が死ぬのを止めたいらしい。

ただ、どうして良いかわからない様子だった。


なんなんだろうか?


「君は一体誰だ?」


出会ってから、1時間以上してから

私は、根本的な質問をした。


男は頬を人差し指で掻きながら答える。

「えー。話せば長いし、多分、信じてもらえないし、

 話してもしょうがないし…。」


不思議な男だった。

私はこの若い男に意地悪をしたくなった。


「君は私が死ぬのを止めたいと思うのだろう。

 君は私が死にたいことを何故か知っていた。

 私も君のことを知る権利があると思うのだがね?」


男は困ったような顔をする。

「…いいですけど。笑わないでくださいね。

 ボク、実は死んでるんです。」


?

意味がわからない。幽霊だとでも言うのだろうか。

こんな昼間に?幽霊にしては実体がありすぎる。


「ほら、そういう顔する」


当たり前だ。二の句が継げない。

もしかしたら、こいつ病気かもしれない。

色んな思いが浮かぶ。


男はため息を付きながら話を続ける。

変わった身の上話を始めた。


――もう、何年経ったかわかりませんが、

  ボクは、自殺しました。

  なんで死のうとしたのか、全く覚えていません。

  ただ、自分で死んだのです。

 

  死んだあと、ボクは扉の前に立っていました。

  そこで、声を聞きました。

  あれは多分神様なのでしょう。


  声は、終わるべきではない命を終わらせた罪として

  下界に降りて、決められた人数の自殺者を助けよ

  と言いました。


  ところが、決められた人数がどうしても思い出せません。

  100人だったのか、1000人だったのか

  ひょっとしたら、この世のすべての自殺者を救うまでかもしれません。


  ボクはずっと旅をしています。

  神様は、ボクに特別な力を一つだけしかくれませんでした。

  『死のうとする人がわかる力』

  です。

 

  なんとか、話しかけて、死ぬのを思いとどまってもらいます。

  そうすれば、いつか、ボクは天の世界に行かれると思うんです。


私はあっけにとられてしまった。

男の話は荒唐無稽だった。でも、不思議と病気という感じではなかった。


男の話が本当なら、私が死のうとしたことを知っていたこと、

話しかけはしたが、途方にくれている理由もわかるというものだった。


「なんか、私の身の上話をして、死ぬのをやめてもらうのは、ちょっとずるい気もするんですけどね」


男は笑った。

男と私は終焉の駅を降り、何もない田園地帯を当てもなく歩き続けた。


「今度はあなたの番ですよ。

 なんで死のうとしたんですか?何か、手伝えることはありますか?」


男は私に手を差し伸べた。


「生きている、理由がないんだ」


私は言った。

「会社でも家でも、私は部品のひとつだ、

 私という人間ではなく、

 私という機能を求められているだけだ。

 私がいなくなれば、

 別の誰かが私の機能を肩代わりする。」


男は真面目に聞いていた。

「でも、死んだら、誰かが悲しみませんか?」

変わった男は、至極まっとうなことを言う。


「悲しむかもしれないけど、

 永遠に悲しいわけではないだろう。

 それほど強い生きている理由がないんだよ。

 それなら、しんどいだけだ。

 なんだか、擦り切れて疲れてしまったようだ。」


言いながら、私は思っていた。


ああ、私は疲れていたのだ。


誰にも、こんな話はしたことがなかった。

 誰も、私のことなど、かまわないと思っていたからだ。


土地神だろうか。神社が見える。

 男と私は神社に入った。

 早春の肌寒い季節だったが、

 鎮守の森は、静かで清涼で、心地が良かった。

 石造りの椅子に腰掛ける。


男は、「元気出しましょうよ」とか

 「死ななければ楽しいことあるかもしれないし」

とか、ありきたりな事を言っていた。


別に気の利いたアドバイスではなかった。

 無理もない。男は、ただ単に「死にたい人がわかる」だけの普通の人なのだ。


哲学者でも、カウンセラーでもない。

宗教者でも、精神科医でもない


生に対する根本的な問に、快刀乱麻の答えを出せるわけがなかった。


でも、そんな男の存在が、私には心地よく感じた。


きっと、私が何かを話せば、この男は聞くだろう。

 真剣に、聞くだろう。

 そして全霊で考えるのだ。私のために考えてくれるのだ。


私は擦り切れていた。

 擦り切れて疲れ果てていた。


与えることばかりだと思っていた。

 与えられることなどなかった。


そんなふうなアンバランスに、

 この男は気づかせてくれた。


森の空気が心地よい。

 こんな感覚も、私は忘れていた。


私は何故か泣きそうになった。

 

「私、多分、まだまだ歩き続けると思うんですよね。

 もし、また死にたくなったら、あなたのもとにも行くと思います。

 死なないでください。」


青年は笑った。

 私の擦り切れた心に、水のように染み込む言葉だった。


「わかったよ。死なない。」

私が言うと、青年は嬉しそうにした。


「さあ、そうと決まれば、飯でも喰おう」

私は青年を誘った。

 青年は、「金が無い」と言う。


神様は金までは工面してくれないらしい。


――まあ、死んでるので、腹も減らないし、疲れません。

  ついでに言えば、眠ることも、風呂に入ることも必要ではないみたいです。


それでも、飯は喰えるのだろう、奢るから

と、青年を神社近くに一軒だけ会った定食屋に連れて行った。


飯を喰い、私たちは駅で別れることとなった。

私は青年に名を尋ねた。


――名前は忘れてしまいました。

  それに、私に会った人は、自殺を思いとどまって、私と別れると

  私のことは忘れてしまうようです。

  神様がそうされたようです。


青年は電車に乗る私に手を振りながら、話す。

ほほ笑みを浮かべている。


ああ、そうか。

 青年は罰を受けているのだ。

 それは、なんという悲しい罰だろうか。

 眠ることも、食べることも、人に覚えておいてもらうことも許されず

 ただただ、己が罪のために、人を助けるべく歩き続けるのだ。


そうして、きっと、青年は、そんな思いをさせたくないから、

 誰にもさせたくないから、

 ああやって、歩き続けているのだろう。


電車の中で、私は生まれて初めて真剣に神様に祈った。


どうか、どうか、

 あの優しい青年のことを、

 一秒でも長く、覚えていさせてください。


そして、どうか、

 あの青年の罪が許されるように

 私にしてくれたように

 誰かが、あの青年に優しくしてくれるように


と

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