05. 伯爵令嬢の焼き菓子
翌朝、リーゼは小さな包みをいくつか持って学院へ向かった。
中に入っているのは、昨日の夕方に作った木の実入りの焼き菓子である。小麦粉とバターを使った生地へ細かく刻んだ木の実を混ぜ込み、少し固めになるまでしっかりと焼き上げたもので、水分の多い材料を使っていないため数日は十分に日持ちする。昨日のうちに家族や使用人たちにも味を見てもらったが、評判は悪くなかった。
久しぶりに厨房へ立ったせいか、少し作りすぎてしまった。自分の家だけで食べ切る必要もないのだからと、リーゼは学院の友人たちへ持っていく分を包んでもらったのである。
昼休みになると、昨日と同じ友人たちが中庭へ向かった。リーゼも一緒に歩きながら空いている卓を探していると、昨日とほとんど変わらない顔ぶれが先に席を取っている。
「今日も一緒でいい?」
「ああ。もちろん」
友人がアルノルトへ声をかけ、そのまま全員で卓を囲む。昨日までほとんど話したことのなかった相手だというのに、一度同じ卓で昼食を取ってしまえば、二度目はずっと気楽だった。
昼食を終えたところで、リーゼは持ってきた包みを取り出した。
「そうだ。昨日、焼き菓子を作ったの。少し多めに作ったから、よかったら食べて」
「まあ、久しぶりね。最近は全然持ってきてくれなかったでしょう?」
「しばらく作っていなかったもの。日持ちするように焼いたから、今日食べなくても大丈夫よ」
友人たちは慣れた様子で受け取っていく。以前からリーゼが料理を好んでいることを知っているため、特に珍しがる者はいなかった。
その中で、アルノルトだけが手元の焼き菓子とリーゼを交互に見ていた。
「これを、エルフェルトさんが?」
「ええ。昨日作りました」
「料理人と一緒に?」
「いいえ。最初から私が作りましたよ」
アルノルトは焼き菓子をもう一度眺めた。伯爵家の令嬢が自分で厨房へ入り、菓子を焼いて学院へ持ってくるとは思っていなかったらしい。
やがて一つ口にすると、固めに焼いた生地が小さく割れる。細かく刻んだ木の実の香ばしさが広がり、それを確かめるようにゆっくり食べてから、アルノルトはリーゼへ顔を向けた。
「美味しいな」
「ありがとうございます」
「本当に上手なのよ、リーゼは。昔から料理が好きで、厨房へ入り浸っていたくらいだもの」
「入り浸ってはいないわ。少し頻繁に行っていただけよ」
「料理長に今日はもう駄目だって追い出されたことがあったでしょう?」
「……あれは一度だけよ」
友人に昔のことを持ち出され、リーゼは困ったように笑った。
幼い頃から厨房は好きな場所だった。料理人がいくつもの材料を組み合わせ、一つの料理を完成させていく様子を眺めているだけでも楽しかったし、成長して自分でも包丁や火を扱えるようになってからは、教えてもらいながら様々な料理を覚えていった。
「菓子だけ作るのか?」
「いいえ。普通の料理も作りますよ。煮込み料理やスープも好きですし、パンを焼くこともあります」
「パンまで?」
「時間はかかりますけれど、面白いですよ。生地の状態が毎回少しずつ違いますから」
尋ねられるまま答えているうちに、リーゼの声は自然と弾んでいた。料理の話なら、いくらでも話せる。使う材料や季節によって作れるものも変わり、同じ料理でも少し手順を変えるだけで仕上がりが違ってくる。
アルノルトも単に珍しがっているわけではないらしく、時折質問を挟みながら聞いていた。
「この木の実は、先に煎っているのか?」
「分かるのですか?」
「少し香りが違うからね」
「ええ。そのまま入れるより香りが出るので、軽く煎ってから刻みました」
思いがけないところを指摘され、今度はリーゼが驚く番だった。
「アルノルトさんも料理をされるのですか?」
「菓子なんて立派なものは作れないよ。簡単なものなら、必要な時にはね」
「それでも珍しいですね」
アルノルトは曖昧に笑うだけで、それ以上は詳しく話さなかった。
昨日初めてまともに話した時にも思ったが、学院で遠くから見ていた時の印象とは少し違う。勉強ができて真面目な生徒という認識しかなかったのに、話してみれば意外なところがいくつも見つかった。
その日の放課後、リーゼが帰り支度をしていると、教室の外を通りかかったアルノルトが足を止めた。
「エルフェルトさん。少しいいかい?」
「はい。どうしました?」
「昼の焼き菓子なんだが、まだ日持ちするんだったな」
「ええ。数日なら問題ありませんよ」
アルノルトは手元に残していた包みへ視線を落とした。
「良かったら……作り方を教えてくれないか?」
「えぇ良いですよ。それにこの余ったお菓子を全て差し上げますので、どうぞご家族とご一緒に」
「本当か!ありがとう!!弟や妹がこういう菓子を好きなんだ」
「ご兄弟がいらっしゃるのですね」
「そう。俺が一番上なんだ。下は賑やかな連中ばかりで、菓子なんて持って帰ったら一瞬でなくなると思う」
口では困ったように言っているのに、その表情は少し楽しそうだった。
「そんなに賑やかなのですか?」
「朝からうるさいぞ。誰が先に何を使うとか、誰が余計に食べたとか、そんなことで騒いでいる」
「楽しそうですね」
「一日一緒にいれば、その感想も変わると思う」
アルノルトは苦笑した。
それでも嫌そうには見えなかったため、リーゼもつられて笑う。学院で見る彼しか知らなかった昨日までなら、年下の弟や妹たちに囲まれている姿など考えもしなかっただろう。
「弟さんと妹さんのお口にも合えば嬉しいです」
「明日、感想を伝えるよ。今日は本当にありがとう」
アルノルトは大切そうに包みを鞄へしまい、友人の待つ廊下へ出ていった。
リーゼはその背中を見送ってから、自分も帰り支度を終える。昨日までは名前と顔を知っているだけだった相手について、今日は料理が少しできることと、弟や妹がいることを知った。
そして帰宅したリーゼが自室へ戻る前に足を向けたのは、やはり厨房だった。
「お嬢様、まさか今日も何かお作りになるので?」
昨日に続いて現れたリーゼを見て、料理長が目を丸くする。リーゼは並べられている食材へ視線を向けながら、昨日使った木の実がまだ残っていたことを思い出した。
「今すぐ作るわけではないわ。ただ、昨日の材料がどれくらい残っているのか気になって」
「まだございますよ。また同じものを?」
「ええ。今度は、もう少し多めに作ってみようかと思って」
友人たちも喜んでくれたのだから、また学院へ持っていけばいい。
そう考えながら材料を確かめるリーゼの頭には、今日初めて聞いた、アルノルトの賑やかな弟や妹たちのことも残っていた。




