02. 楽しい時には笑いたい
「僕も一度や二度のことで決めたわけではない。君には何度も直す機会を与えてきたし、そのたびに君も気をつけると言っていた。それなのに、僕が見ていないところへ行けば以前と同じように笑っている。先日の茶会で君を見て、もう難しいのだと思った」
直す機会を与えてきた。その言い方が胸に残り、リーゼはこれまでの三年間を改めて思い返した。誰かを馬鹿にして笑ったことはない。失敗した人を指差して笑ったことも、悲しんでいる人の前で楽しそうに振る舞ったこともない。厳粛な式典で笑い声を上げたことはなく、夜会で周囲が振り返るほど騒いだ経験もなかった。家庭教師から笑い方を注意された記憶もなければ、母から直すよう言われたこともない。
「ヴィルヘルム様。一つだけ、お尋ねしてもよろしいですか」
「ああ。何だ?」
「私が笑っていることが、そんなに気に入りませんか?」
「そういう意味ではない。僕は君に立派な淑女になってほしいだけだ。侯爵夫人ともなれば、多くの人間から見られるようになる。嬉しいことがあったからといってすぐに顔へ出したり、面白いことを聞いたからといって笑ったりしていては、軽い女性だと思われる可能性だってある」
「では、これまで私が礼儀に反する笑い方をしたことはありますか。大声を出したり、口を大きく開けたり、誰かを馬鹿にして笑ったことがあったのでしょうか」
「そういうことをしたとは言っていない。君の所作そのものに問題があるわけではないんだ。僕が言っているのは、淑女ならもっと感情を抑えるべきだという話だよ」
「場所を弁えずに笑ったこともありませんよね」
「ああ。そこを問題にしているわけではない」
そこまで聞いて、リーゼはようやく自分が三年間かけて何を直そうとしていたのか理解した。礼儀作法を間違えていたのでも、笑い方が下品だったのでもない。ヴィルヘルムが思い描いている淑女とは、嬉しい時にも大きく表情を変えず、面白い話を聞いても静かな微笑を浮かべる程度に留め、誰の前でも感情を見せない女性なのだ。そして彼自身は、それを自分の好みだとは考えておらず、侯爵夫人になる女性なら誰もがそうあるべきなのだと信じている。
「分かりました」
「ようやく分かってくれたなら、僕も――」
「婚約破棄をお受けいたします」
続けようとしていたヴィルヘルムの言葉が止まり、彼は意味を理解できないような顔でリーゼを見つめた。
「……受ける?」
「はい。私はヴィルヘルム様がお望みになる淑女にはなれそうにありません。これからも楽しいことがあれば笑いますし、親しい人と話していれば自然に笑顔にもなるでしょう。それを直すつもりもありませんので、婚約を終わらせるのが一番よいと思います」
「待ってくれ。僕は今すぐここで結論を出せと言ったわけではない。今後は改めると約束するなら、僕だって考え直すことはできる」
「婚約破棄して欲しいと仰ったのは、ヴィルヘルム様ですよね」
「君にも、この問題を真剣に考えてもらう必要があったからだ。結婚できなくなるかもしれないと分かれば、今まで以上に気をつけると思ったんだよ」
リーゼは、その言葉を聞いてようやく彼の考えていたことまで理解した。婚約破棄を突きつければ、自分が慌てて謝り、これからはもっと努力すると約束すると思っていたのだろう。ヴィルヘルムはそれを聞いてから婚約を続けることを許し、リーゼは今まで以上に笑わないよう気をつける。彼の中では、きっとそこまで決まっていた。
「私は三年間、ヴィルヘルム様がおっしゃることが正しいのだと思っていました。私自身には分からない欠点があって、侯爵夫人になるためには直さなければならないのだと信じていたんです。でも、もうそうは思いません」
「僕は君のためを思って――」
「ええ。そうだったのでしょうね。だからこそ、難しいのだと思います」
リーゼは長椅子から立ち上がり、向かいに座ったままのヴィルヘルムを見た。いつもなら彼が不機嫌になっていないかを気にして、言葉を選んでいたはずなのに、今日はもうその必要を感じなかった。
「ヴィルヘルム様は、私を傷つけようとしていたわけではないのでしょう。自分が正しいと思っていたから、何度も教えてくださったのですよね。けれど私は、もう笑うたびに自分が間違っているのではないかと考えたくありません。私は楽しい時には笑いたいです。それをやめなければあなたと結婚できないのであれば、私はあなたと結婚しません」
ヴィルヘルムが名前を呼んだものの、リーゼは席へ戻らなかった。三年間も続いた婚約がこんな形で終わることに寂しさがないわけではなく、屋敷へ帰ればきっと色々なことを考えるのだろう。それでも、ここで謝って婚約を続ければ、これから先も笑うたびに彼の顔を見る生活が待っている。その未来を選びたいとは、もう思えなかった。




