第81話 脅迫ー2
「──言わずもがな、倒したのはかなりの手練れです。」
リリスの冷静な分析の声が響く。
「魔法や武器による単純な攻撃ではなく、圧倒的な力の差によって、反撃の暇もなく一撃で仕留められているようです。
ここまで辿り着くまでに見た戦いの痕跡もこれで全て探索者による戦闘だということが証明できました。
ここのボスモンスターとの戦闘時間は、おそらく五秒足らず……」
その響きが、事態の深刻さをさらに際立たせていた。
それほどの実力者が、なぜ先行して自分たちの予約しているダンジョン内にいるのか。
「正解!」
軽い声が、空間に響く。
重苦しい空気とは不釣り合いな、あまりに場違いなほど軽薄なトーン。
その声は、広間のどこから響いているのか判別できないほど、空間全体に染み渡っていた。
悠人たちが一斉に声のする方を模索して視線を向けると、ボス部屋の奥──
玉座のような瓦礫の上に、男がいた。
「──!?」
今まで気づかなかった。
男が意図的に体内の魔力を解放したことで、初めてその存在を悠人たちは認める。
その男はそこに腰掛けていた。
姿勢はどこまでも無防備で、しかし絶対的な隙のなさを感じさせてくる。
ラフな服装。
どこにでもいるような、あるいは都会の雑踏に紛れ込めば二度と見つけ出せないような、ありふれたジャケット姿。
男は近くに突き刺していた剣を抜いて立ち上がる。
肩に担いだ武器は、その外見に似合わず異様な威圧感を放っていた。
それはただの金属の塊ではなく、数多の強敵を屠ってきた記憶を刻んだ、呪物にも似た輝きを持っている。
加えて、場違いなほどの余裕ある笑み。
男の瞳には、一切の緊張感がない。
ただ退屈を紛らわす玩具を見つけた子供のような、無邪気で残酷な輝きだけが宿っていた。
「やあ。
君が、噂の生成君か」
男の視線が悠人を射抜く。
その瞬間、彼の背筋に氷を突き立てられたような悪寒が走った。
これまで対峙してきたどの刺客とも違う。
生物としての格が、根底から異なっている。
そもそも、刺客と言っていいのだろうか。
彼を本当の意味で指揮下に置ける者など、この世界にそうそういないはずだ。
──ネクロスでさえも。
まるで深海に引きずり込まれるような、抗いようのない威圧。
それは「強さ」という言葉で片付けるには、あまりに暴力的な何かだった。
神崎零華の表情が、明らかに変化する。
強張った横顔、僅かに震える剣先。
あの冷静で、強い意志を持った神崎零華が、目に見えて動揺していた。
彼女の視線は、男自身ではなく、”男がここにいる意味”自体に向けられているようであった。
「……まさか」
零華の唇が、震えながらその名前を形作ろうとしていた。
男は、楽しそうに手を振る。
瓦礫から飛び降り、悠人たちの方へとゆっくり歩き始めた。
一歩一歩が、広間の空気を塗り替えていく。
物理的な圧力ではない。
存在そのものが持つ圧倒的な質量が、悠人たちの呼吸を奪っていく。
彼が近づくにつれ、空間の密度が濃くなり、音さえも歪んでいくような錯覚に陥った。
「自己紹介、しといた方がいいよね。
S級探索者、風間次郎さ」
その名を聞いた瞬間、空気が凍りついた。
思考が停止するほどの衝撃。
脳がその情報を理解することを拒否する。
──S級探索者。
探索者の頂点。
別格の存在。
国家機密のため、S級探索者の多くはその情報が伏せられており、彼の名前自体は聞いたことがなかった。
ただ、この状況、何より本人から感じる圧倒的な圧が、それが嘘ではないと理解させる。
テレビの向こう側、あるいは教科書に、存在だけが記されている英雄が、今、目の前で死骸の上に立っていた。
その事実が、この場にいる全員の生存本能を最大級に逆なでする。
「なんで、そんな人が……」
茜の声は、囁きに近かった。
本来、S級がB級ダンジョンの低層に現れることなどあり得ない。
それは、プロの格闘家が幼児の喧嘩に割って入るような、あまりに不自然な構図だった。
この出会いが偶然であるはずがない。
悠人は歯を食いしばり、必死に足を動かして茜たちの前に一歩出た。
夢だと思いたかったが、これはどう足掻いても現実だ。
向き合わなくてはならない。
──戦わなくてはならない。
目の前の男が放つのは、明確な敵意ではなかった。
だが、それ以上に恐ろしい、絶対的な強者が持つ冷酷な好奇心のようなものを感じさせる。
風間の瞳に映る自分たちが、あまりに矮小な存在に見えてしまいそうで、悠人は拳を強く握り、己の存在を繋ぎ止めた。
「俺はね、”仕事”で来たんだ」
風間は、あっさりと言う。
「……」
「はははっ!
安心してくれよ。
今日は殺しじゃない」
その言葉に、逆に背筋が寒くさせていった。
風間次郎と名乗った男の口元には、歪な笑みが張り付いている。
生物が放つ最も鋭利な警告たる「殺意」がない。
代わりにそこにあるのは、無機質で圧倒的な「義務」と、それを楽しもうとする歪んだ「好奇心」だけだった。
殺す価値さえないと宣告されたかのような屈辱、そして死よりも残酷な運命が待ち受けているという予感が、ボス部屋の冷気をさらに研ぎ澄ませていく。
「誘拐だからさ。
本当だ。」
次の瞬間だった。
風間の姿が、消えた。
視覚が捉える情報の連続性が、物理法則を無視して断絶していく。
網膜に焼き付いていた男の残像が、粒子となって空気に溶け出すよりも早く、空間そのものが悲鳴を上げた。
「──っ!」
悠人が反応するよりも早く、衝撃がやって来る。
言葉より先に空気が爆ぜた。




