第79話 最後の賭けー5
それからの日々は、忙しさの連続だった。
窓から差し込む朝日の眩しささえ、準備に追われる慌ただしさの中では、どこか遠い世界の出来事のように感じられるほどだ。
かつての静かで、どこか停滞していた日常は完全に過去のものとなった。
代わりに、常に死と隣り合わせの緊張感が支配する、剣と魔法の実戦の日々が幕を開けている。
ギルドの受付でクエストを受領し、装備の点検を行い、消耗品を購入、あるいは生成して補充する。
それら一連の動作に、もはや淀みはなくなっていた。
程なくして、一行はB級ダンジョンへの挑戦を行う。
「いくぞ、みんな!」
「あぁ」
「うん!」
「はい、マスター」
ダンジョンゲートは、これまでとは異なり、人気のある場所に出現しているものを選んでいた。
人目につく方が、たとえネクロスが何か妨害を企んでいたとしても、動きづらいはずだ。
悠人はダンジョンに足を踏み入れると、深く息を吐き出す。
これまでの訓練や小規模な戦いとは一線を画す、本格的かつ久しぶりの迷宮探索。
湿り気を帯びた石壁の匂いや、暗がりから漂ってくるモンスターの殺気が、肌を粟立たせる。
今の実力とメンバーなら余裕ではあるが、油断すれば命を落とす危険は依然として存在していた。
一歩踏み外せば底の見えない暗闇に落ち、一度の判断ミスが致命的な傷へと繋がる。
ダンジョンという場所は、決して人間の傲慢を許してはくれない。
「前、私が引きつけるわ!」
先陣を切って飛び出したのは、神崎零華だった。
かつてネクロスの懐刀として磨かれたその剣技には、一切の迷いがない。
流れるような抜刀と共に、群がるモンスターの先頭を鮮やかに断ち切る。
その背中は、単なる強さだけでなく、悩みを振り払い、新たな道を行こうとする強靭な意志を感じさせた。
「リリス、茜、後衛で支援を頼む!」
悠人の鋭い指示が、重苦しいダンジョンの空気を震わせる。
その声には、いつの間にかリーダーとしての重みが加わっていた。
「了解です」
リリスの声は、どこまでも冷静だった。
感情を排したその応答は、戦場において非常に心強い。
悠人が生成した弓を持ったリリスは、タイミングを見計っては正確に矢を放った。
一方で茜は攻撃を極力控え、治癒魔法発動のために魔法陣を展開したまま、周囲を注意深く見渡す。
戦闘を重ねる中で、チームワークは確実に洗練されていった。
神崎零華は前に出て、敵を次々と薙ぎ倒していく。
銀色の軌跡が暗闇を切り裂くたび、魔石の砕ける乾いた音が響いた。
戦況に余裕が出てくると、茜も魔法で攻撃に加わり、炎や雷の奔流を操って敵の退路を断ち切る。
その魔法の精度は、日を追うごとに増していた。
魔法スキルの優れているところは、その手数の多さだ。
茜は治癒魔法に加えて、一般の魔法スキル保持者が使用できる、攻撃系統の魔法も使用することができる。
その練度は日ごとに増していた。
リリスは弓矢に加えて、悠人が生成した妨害ポーションを時には用いながら、正確無比な支援で隙を突く。
矢を放つタイミング、強化を施す一瞬、全てが計算され尽くした最適解として、前衛を強固に支えていた。
天野悠人は、全体を俯瞰し、致命的なミスが起きないよう立ち回る。
激しく入れ替わる戦況の中で、誰が消耗し、どこから新たな脅威が迫っているのか、視界の隅々まで、ラーニング機能を活かしつつ、意識を研ぎ澄ませていた。
時折”概念の剣”を用いて、敵の弱体化も試みる。
生成した不可視の刃が空間を歪め、モンスターが持つ防御の理を食い破っていった。
一太刀浴びせるごとに敵の動きは鈍り、勝機が確固たる形へと収束していく。
(──俺が、みんなを導かないとっ)
悠人は、無意識にそう考えていた。
剣を振るう腕の重み、乱れる呼吸、それら全てを責任という名のエネルギーで塗りつぶす。
危険があれば、自分が引き受けるつもりだった。
仲間を守るために。
かつて無力だった自分、ただ逃げ惑うしかなかったあの日の記憶が、今の悠人を突き動かしている。
二度と、大切なものを失いたくない。
その切実な願いが、背負うべき重圧を確かな力に変えていく。
(この手に入れた力を、使いこなしてみせるんだッ)
リアル生成AIスキル。
それは未知であり、底知れない可能性を秘めている。
だが、それを使う人間が未熟であれば、ただの歪な道具で終わってしまうだろう。
力を己の一部とし、意志のままに世界を再定義する。
激しい戦いの中で、悠人はその感覚をどこまでも研ぎ澄ませていった。
◇
それから数日、夏休みもあと数日で終わるという頃、数度のダンジョン攻略を経て、確かな結果が出始めていた。
ギルドのホールには、相変わらず多くの探索者たちが溢れ、喧騒と熱気が渦巻いている。
その一角で、呼び出しを受けた悠人たちは、カウンターの前に並んでいた。
「”B級ダンジョンを、A級探索者一人の付き添いで、3回も完全攻略”──
すごいですね。
天野悠人、早乙女茜。
本日付で、C級探索者への昇格を認定する。
なお、これより先、年に3回以上、C級以上のダンジョン攻略実績が確認できない場合、降格処分となるので注意すること」
ギルド職員の淡々とした、しかし格式のある言葉に、茜が目を見開く。
その瞳には、驚きと、それから込み上げてくる歓喜の光が滲んでいた。
「……ほんとに?」
「やったぜ、茜!」
二人はハイタッチを交わす。
茜は頬を朱に染め、手元のカードを愛おしそうに見つめていた。
「順調だね。
これで、少しは胸を張れるかな」
茜の声には、安堵が混じっている。
自分たちが歩んできた道が、正当な評価として着実に結実していることへの喜びだった。
後方で見守るリリスも、どこか誇らしげに見える。
無機質な表情の奥で、主の成長を喜ぶような、温かな光が灯っていた。
一方、零華は腕を組んだまま、静かに二人を見つめている。
その瞳には、まだ先を見据える厳しい色が残っていた。
「今の所、いいペースだわ。
……少し、順調すぎるくらい」
零華の言葉は、祝いの場にわずかな冷気を運ぶ。
それは、頂点を知る者だけが持つ、嵐の前の静けさに対する予感であった。
◇
その頃から、周りの空気も変わり始めた。
施設の受付で、あるいは広場ですれ違う際、向けられる視線の質が明らかに変化していることに気づく。
「あのパーティ、知ってるか?」
「最近C級に上がった高校生の?
C級って平均三年はかかるぞ」
「この前までF級だったんだよな。
成長速度、おかしくないか?」
「神崎零華のおかげだろ。
税金対策でS級になってないだけで、彼女はS級みたいなもんだぜ。
多分」
囁き声が、波紋のように広がっていく。
確実に視線が集まっていた。
好奇と、警戒と、わずかな羨望。
それらは、これまで無名の存在として埋もれていた頃には決して味わうことのなかった、鋭い棘を含んだ関心だ。
背中に突き刺さる無数の視線。
それらは時に、物理的な攻撃よりも重く心にのしかかる。
(──”表”に出ていく、というのは、こういうことか)
見知らぬ多数の人間に注目されることに、今、悠人は恐怖ばかりを感じていた。
スキルを手に入れる前ならば、単純に名声を得ることを喜んで、気持ち良くなれていただろう。
脚光を浴び、英雄として──
この世界の”主人公”として扱われる快感に浸っていたかもしれない。
だが今、悠人の脳裏には、自分達を狙うネクロスの存在がこびりついて離れなかった。
闇の中から見つめる冷徹な瞳。
管理という名の鎖。
逃げ場のない研究所の冷たい壁。
これはトラウマというものなのだろうか。
今でも時々、追い詰められてダンジョンへ一人、刺客を挑発しながら逃げたあの時の恐怖が蘇ってくる。
足が震え、呼吸が乱れた。
どれほど強くなろうとも、あの夜に刻まれた「獲物」としての感覚が、どうしても拭いきれずに残っている。
注目が集まれば集まるほど、ネクロスにとってのターゲットとしての輪郭も鮮明になっていくのではないか。
そんな恐怖が、静かに心を蝕んでいた。
だが、もう止まれはしない。
たとえ足元が震えていようとも、視界が恐怖で曇ろうとも、歩みを止めるわけにはいかないのだ。
これは、自分たちで選んだ道なのだから。
安全な場所に引きこもり、誰かが助けてくれるのを待つ時間は終わった。
自分たちの自由を、自分たちの居場所を勝ち取るためには、この濁流の中を突き進むしかない。
注目という名の嵐を隠れ蓑にするのではなく、それをねじ伏せるほどの存在にならなくてはいけないのだ。
悠人は、傍らを歩く仲間たちの背中を見つめる。
前方を歩く零華の、一点の曇りもない凛とした背中。
隣で未来を信じる茜の、どこか危うくも健気な足取り。
そして、常に後ろを固め、絶対的な守護を誓うリリスの存在。
自分一人のためなら、とっくに心が折れていたかもしれない。
だが、今の悠人には、守るべき対象がある。
共有する未来がある。
それだけが、震える足を踏み出すための、唯一にして最大の支えであった。
(──ネクロス……
それだけじゃない。
これから現れるであろう、さらなる脅威に、俺は屈しない。
A級探索者になって、このパーティをこの暗闇から連れ出してやるんだ)
悠人は拳を強く握りしめた。
◇
「着いたぞ」
視線を上げれば、今日挑むダンジョンゲートが見えた。
B級ダンジョン・『濃山の老宮殿』。
それは今の悠人たちにとって、自らを試し、高めていくための試練の場所。
B級ダンジョンに来るのは、実に零華を最初に救った時以来のことだ。
あの時はボスの弱点を見出すだけで精一杯だった。
だが今は、この実力でB級モンスターたちを粉砕していかなくてはならない。
(──上等だ。
俺は、このパーティーを守る。
全部ぶっ倒して、A級探索者になってやるぜ。)
悠人は仲間たちの背中を見つめ、心の中で改めて誓った。




