第78話 最後の賭けー4
「──隠れていても、状況は良くならないわ。」
只野区探索者施設の休憩スペースで、神崎零華はそう言い切った。
窓から差し込む午後の光が、円卓の表面で冷たく反射している。
喧騒に包まれた施設内において、この一角だけが切り取られたかのように静まり返っていた。
零華の言葉は、その静寂を鋭く切り裂き、停滞していた空気を強制的に動かしていく。
凛とした立ち居振る舞い、一切の迷いを感じさせない眼差し。
かつてネクロスの懐刀として動いていた経験があるからこそ、その警告には無視できない重みがあった。
「それはわかってるけどよ……」
ネクロスの刺客が自宅に襲撃してきてから数日。
しばらく平穏な日々が続いていた。
それに甘え、悠人たちは今、どこか“様子見”の状態に入っている。
窓の外に見える穏やかな街並み、ギルドを行き交う探索者たちの日常的な話し声。
そういった平穏が、まるで嵐が過ぎ去った後の凪のように感じられ、知らず知らずのうちに警戒心を緩ませていた。
現在、夏休みの終わりもそろそろ終わりを迎える頃。
悠人のスキルは強力で、ネクロスの刺客を二度返り討ちにしている。
あの圧倒的な勝利の記憶が、どこかで
「もう大丈夫だ」
という根拠のない自信にすり替わっていたのかもしれない。
あれから表立ってこの襲撃に関して騒動になることもなく、ネクロスも事が大きくなることを望んでいないのが分かった。
そう考えると、ネクロスも諦めたのだろうとも思える。
だが、神崎零華は首を横に振った。
その否定の仕草は、静かではあったが、冷徹な現実を突きつけてくる。
「ネクロスという男を、あなたたちは知らないだけだわ。
論理と理屈を信奉するあの男にとって、想定外の敗北はデータの不足を意味するに過ぎない。
やつだって学習しているのよ。
私たちは奴が自分自身の力をさらに強化するためのサンドバッグに過ぎないの。
ケリをつけなくてはいけない」
その言葉に、悠人は小さく息を呑んだ。
休息という名の停滞が、最も無防備な瞬間であった事実を突きつけられる。
「……けど、どうするんだ。
俺たちだけじゃどうしようもない。
テレビ局の奴らも、ネットも、中途半端な告発とかをしたところで、意味なんてないぞ。
矮小化されて終わりだ。」
悠人の言葉には、困惑と、わずかな拒絶反応が混じっていた。
ミーネスや機構に狙われる日々で、もはや”世間”に対しての信用は失墜している。
結局、”世間”というのは簡単に煽動される凶暴な能無し集団という考えが、悠人の脳内を支配していた。
周りの人間たちは頼りにならない。
むしろメディアが作り出す扇動によって、自分たちを攻撃してくる存在になる可能性の方が高かった。
ネクロスから逃れるためには、むしろ目立たぬよう、影に潜むべきではないか。
そんな素人の考えを、神崎零華は容易く見透かす。
「ランクを上げて、実績を積むだけよ。
”注目せざるを得ない存在”──
それこそ、私と同じA級探索者にでもなれば、向こうも雑な手は使えなくなるはず。
メディアをくだらないものだと諦めないで、その性質を逆に利用するのよ」
探索者統制機構という巨大な組織の中で、個人の失踪や「事故」を隠蔽するのは、対象が無名の弱者であれば造作もないことに違いない。
事実、今までの襲撃事件は全て表に出ることはなかった。
今更気づいたことだが、すでにこの国には機構の都合で好き勝手にSNS上の情報を削除できる法律まで存在している。
こんな数人のパーティーだけでは、立ち向かうことすら叶わない。
一応無理やり注目を集める方法は存在はしている。
テロや、削除されるのを承知で、”炎上”を巻き起こしながらのSNSでの発信など。
だがそれは、大した効力を持たない。
それを放ったところで、”利益”を享受できる者が少ないからだ。
せいぜい利益を享受できるのは、機構が邪魔な国外勢力くらいだろうが、そもそも機構は積極的に国外勢力と協力する姿勢を見せている。
人々の良心や、注目度に訴えかけるだけではどうにもならない。
しかし、探索者として実力を上げて目立つとなれば、話は変わってくる。
上位の探索者に対しては、今も多額の”金”が動いているのが現実だ。
当然、物理的な力も持っていることになる。
気候も当然、多くの”スポンサー”によって支えられている。
それはこの国も政府でさえそうだ。
どいつもこいつも富の享受によって動く。
”実力を持ち、利益をもたらす集団”として悠人たちが目立っていけば、当然機構を支えている数多くの”スポンサー”たちの反応も変わってくるだろう。
そして”スポンサー”たちに日夜煽動されている”世間”も示す反応は異なってくる──
はず。
コソコソしているネクロス側も、決して一枚岩でないことはわかっている。
世間の目に晒されており、かつ利益を生み出す実力者たちを排除するのは、ネクロスにとってもリスクが跳ね上がるのは明らかだ。
そうして地位を気づいた上で、ネクロス一派を、彼と中のよくない派閥と協力して機構から追い出してしまえばいい。
零華の考えは理にかなっていた。
「けどよ……」
だが同時に、それは危険と隣り合わせの毎日を、自ら始めるということも意味している。
やると決めたからには、当然なるべく早くダンジョン攻略を始め、実績を積んでいかなくてはいけない。
ゆっくり進めていては、ネクロスの妨害が激しくなるのは目に見えていた。
──階段を駆け上がるように探索者の階級を上げる。
それは、薄氷の上を全速力で走り抜けるような危うい賭けだ。
ダンジョン攻略も当然簡単なものではない。
モンスターに殺されてしまっては、元も子もなかった。
悠人は、隣に座る茜とリリスに視線を向ける。
柔らかな日差しに照らされた二人の横顔を。
二人とも──
少なくとも茜は、不安を隠しきれてはいない。
テーブルの下で、茜が自身の指を弄っているのが分かった。
リリスの端正な顔立ちにも、珍しく緊張の影が差しているように見える。
しかし、その瞳の奥には、不安以上に強い意志の光が宿っていた。
震えを抑え、自らの足で立とうとする、そんな前を向く覚悟を感じさせる。
「──私は、賛成だよ」
茜は口を開いた。
その声は、震えてはいない。
むしろ、悠人を奮い立たせるような、確かな強さを孕んでいる。
「このまま怯えてるだけじゃ、何も変わらない。
これ以上、いつ襲われるかビクビクして過ごすなんて、もう嫌だよ。
それに……
なんかいつまで経ってもネクロスとかいうのが、私たちにコソコソ刺客を送ってきてるの、すごく腹が立つよ!」
茜は悠人を真っ直ぐに見つめた。
そこには確かな信頼がある。
「これまでに何度も窮地を乗り越えてきた。
共に不可能を可能にしてきた。
私は近くで見てきたから、確信しているよ。
このパーティなら、どんな壁も越えられるって。」
希望が、彼女の言葉には宿っていた。
その瞳に宿る光が、眩しい。
「私も同意です」
小さく頷きながら、リリスも言葉を紡ぐ。
その決断は常に論理的で、それでいて悠人に対する絶対的な献身に基づいていた。
「マスターの力と、皆の連携があれば、A級ダンジョン程度なら何も問題ありません。
解析の結果、私たちの成長速度は既存のデータを遥かに凌駕しています。」
冷静な分析の中に、リリス特有の情熱が混じる。
「待機し続けることは、リソースの浪費に他なりません。
攻勢に転じるべきです。
マスターを守るために、私自身もまた、最強の盾であり矛であらねばなりません。」
リリスの決意は岩のように固かった。
全員の視線が、悠人に集まっている。
「……そっか。」
ギルドの喧騒が、遠い世界の出来事のように感じられた。
目の前にあるのは、自分を信じてついてきてくれる仲間たちの瞳。
そして、その裏側に潜む、避けては通れない過酷な運命。
(──俺は、このパーティーメンバーを守り、導いていけるだろうか。)
胸の奥に、重い問いが浮かぶ。
かつてはただ、生きるために、力を手に入れるために必死だった。
自分の持てる力で、細々と、だが堅実に進んでいければいい。
そう願っていた時期もあった。
しかし、こうして狙われる力を持ってしまった以上、
ネクロスという強大な敵に目をつけられた以上、
もはや「平穏」という贅沢は、
戦わないという選択肢を選ぶ贅沢は、
許されない。
まだ口に出してはっきり決めたわけではない。
だが、悠人を中心に、このパーティはすでに動き始めていた。
悠人がリーダーだ。
皆を導く責任がある。
その重みが、胃の辺りをきりきりと締め付けていた。
できる事ならもっと安全な道を模索したかったが、ここで立ち止まることはできない。
立ち止まることは、緩やかな死を意味する。
ならば、自らの手で道を切り拓くしかない。
生きるための道を。
悠人は深く息を吸い込む。
肺を満たす空気には、ギルド特有の、少し焦げたような香りと人の熱気が混ざっていた。
「……分かった」
その熱を自らの血肉に変えるかのように、悠人は決断を言葉にする。
「やろう。
A級探索者になるためにも、ダンジョン攻略を。」
ゆっくりと、しかし力強く頷く。
零華は、その答えを待っていたかのように、わずかに口角を上げた。
悠人の決断の声が、周囲にいた他の探索者たちの耳にも届いたかもしれない。
だが、そんなことはもうどうでもよかった。
周囲の視線も、ネクロスの陰謀も、全てを飲み込んで進むしかない。
今、目の前に広がる道は、険しく、暗いかもしれない。
それでも、隣には信じ合える仲間がいる。
自分の手には、理屈を越えた可能性を秘めたリアル生成AIスキルがあった。
恐怖を消し去ることはできない。
しかし、その恐怖を抱えたまま、一歩を踏み出す力。
それこそが、探索者に──
”本物の生成者”に求められる真の資質であるはずだ。
「やろう、俺たちが、前に進むためにも。」
悠人は拳を強く握った。




