第76話 最後の賭けー2
恰幅の良い体躯を高級な椅子に沈め、余裕を誇示するように葉巻を燻らす者がいる。
その煙が、無菌室のような会議室の空気を汚していった。
「個の自由を尊重する探索者が増えている。
君の言う“理屈による管理”は……
正直、窮屈すぎるのだ。」
ゲバ郎の言葉に、同意するように、何人かが頷く。
それは単なる理念の対立というよりも、ただの機構内の権力闘争に過ぎなかった。
新たな流行。
新たな価値観。
既存の枠組みに収まらない探索者という強力な”個”の出現が、大衆の熱狂を呼び、管理社会の壁を内側から突き崩そうとしている──
そんな間抜けな大衆しか引っ掛からないような言葉を本気で掲げて、その体で、彼らはネクロスをこの機構から追放しようと試みていた。
ネクロスはただ黙って面々を眺める。
机の上で指を組み、感情を一切、表に出さない。
握りしめた拳が白く震えていることなど、この薄情な円卓の誰にも悟らせはしなかった。
「──感情に任せた探索者は、必ず破綻する」
ようやく、静かにその口を開く。
その声は冷徹で、氷の刃のように鋭かった。
「事故、暴走、違法行為。
それらを防ぐには、理屈と統制しかない。
野放しにされた力は、いずれ社会そのものを焼き尽くす。
私はそれを防ごうとしているのだ。
天野悠人のような不確定要素を放置することは、爆弾を抱えて街を歩くのと同義だ」
「だが支持は集まっていない」
別の幹部が淡々と告げる。
眼鏡の奥の瞳には、ネクロスへの憐憫すら浮かんでいない。
「君の派閥は、次の人事で……
立場が危うい」
それは、ほとんど“宣告”であった。
これまでの功績も、積み上げてきた理論も、今この瞬間の「不人気」と「失敗」、何よりゲバ郎を中心とした、「邪魔者排除の意思」の前では無意味と化している。
結局、会議はそれ以上ネクロスに有利に進むことはなかった。
決定事項だけが事務的に読み上げられ、彼が切り捨てられる準備だけが進む。
追放、剥奪、あるいは更なる「処分」。
ネクロスがこれまで他者に強いてきた運命が、今度は自分の方へと這い寄ってくるのを彼は感じていた。
◇
(──理屈は、常に正しい。)
会議が終わり、ネクロスは廊下を歩きながら、内心でそう反芻する。
革靴が硬い床を叩く音が、虚ろな建物に反響した。
(──だが、人間は理屈を嫌う。)
廊下の窓から見える街並み。
そこでは無数の人々が、論理的とは言い難い動機で動き、笑い、
───争っている。
感情。
偶然。
奇跡。
管理できない要素を、美談として持ち上げる。
泥臭い努力や、根拠のない希望。
そんな不確実なものを、彼らは「輝き」と呼んで賞賛する。
反吐が出る。
そんなものは、本来、憎んで排除すべき対象に過ぎないというのに。
だからいつまで経っても、人類は同じことを繰り返しているのだ。
半端な理性を持っているがゆえに、被害規模だけが時代を経るにつれ、増えていく。
あの少年も、その象徴の一つだ。
天野悠人という存在は、このスキルが発現し始めた社会での爆弾と言える。
理屈の外にあり、なおかつ成長を続ける。
リスクをはらみながら、制御する術を確立できずに肥大化し続けている。
ネクロスが心血を注いで築き上げた管理の塔を、あの一人の少年が、ただそこに存在するというだけで揺るがしていた。
(──もし、天野悠人の力を解析し、この手中に収めることができたなら。)
逆にこの混迷する世界を再び正しき軌道へと戻し、自分を蔑んだ者たちに真の管理を突きつけることができるだろう。
残された時間は少ない。
機構内の敵対勢力は、ネクロスの失脚を虎視眈々と狙っている。
研究所を失い、戦力を削がれた今、正規の手続きで天野悠人を拘束することは不可能に近かった。
(ならば、手段を選んでいる暇はない。)
管理を司る者が、管理の外側にある力に手を伸ばす。
それはネクロスにとって、自らのアイデンティティを否定するに等しい行為でもあった。
しかし、敗北して全てを失うよりは、混沌を飲み込んで支配者として君臨する方が、遥かに合理的である。
執務室に戻ったネクロスは、再び放置されたコントローラーに目をやった。
もはや、これまでの部下たちのような「駒」では足りない。
もっと直接的で、もっと根源的で、もっと暴力的な──
この世界の理を塗り替えるほどの、「それ」が必要だった。
デスクの引き出しの奥。
携帯を取り出す。
全てを賭ける価値はある。
天野悠人を手に入れれば、機構も、この世界も、再び己の掌の上だ。
もはや、ためらう理由はない。
論理は崩壊し、今ここから新しい秩序が始まる。
だからこそ──
「……最後の賭け、か」
ネクロスは、意を決して通信端末を起動した。
呼び出し先は一つ。
探索者の中でも、別格とされる存在。
ネクロスの指先が、端末の画面上で迷いなく特定のコードを叩いた。
それは機構が極秘裏に管理し、通常の命令系統では決して干渉することのない「特例」へと繋がる回線。
ネクロスは、モニターに映る暗号化された通信ログを見つめながら、自らの指先が微かに震えていることに気づく。
それは恐怖ではなく、秩序を維持するために無秩序を招くという、論理的矛盾に対する生理的な拒絶反応だった。
静まり返った執務室に、発信を知らせる無機質な電子音だけが響き渡っている。
窓の外には、薄暗い夕闇に包まれ始めた都市の景色が広がっていた。
◇
「ルンルン、ルルン!」
指定された場所に現れた男は、実に場違いな格好をしていた。
ここは廃工場の最上階。
錆びついた鉄骨が剥き出しになり、冷たい隙間風が吹き抜けていた。




