第75話 最後の賭け
ネクロスの机には、コントローラーが放置されている。
それは”第8”所属の間抜けな部下を直接操作するための機械であった。
精密機械特有の冷たい光沢を放つそのデバイスは、かつては絶対的な支配の象徴にほかならない。
ボタン一つで人間の自由意志を剥奪し、意のままに操り、盤上の駒として完璧に機能させる。
それこそが、ネクロスにとっての「世界の在るべき姿」でもあった。
しかし、今やそのコントローラーは、持ち主の苛立ちを写し出すかのように薄く埃を被り、沈黙を貫いている。
最後に役立たずの”第8”と、捕獲したミーネスの探索者たちを送り込んで以来、ネクロスは天野悠人へ何もできずにいた。
理由は単純である。
想定外の事態が多すぎたのだ。
ネクロスが信奉する「管理」と「論理」の方程式において、変数は可能な限り排除されなければならない。
しかし、算出された解を嘲笑うかのように、現実は無慈悲なノイズを撒き散らした。
そもそも、一度目の刺客で、全て終わらせるはずだったのだ。
計画通りにいけば、すでに天野悠人は機構の極秘研究所でモルモットにされているはずであった。
しかし、まさかの返り討ちという結果に終わる。
念の為に一人ではなく二人向かわせたのにもかかわらず、二人とも返り討ちに遭ったのだ。
さらに、神崎零華の裏切りまで重なる。
信頼という不確かな言葉はネクロスの辞書にはない。
だが、少なくとも利害の一致という強固な鎖で繋ぎ止めていたはずの駒が、いとも容易く外側へと飛び出していった事実は、ネクロスのプライドを深く抉った。
加えて、隠していた研究所の発見──
再度半ばヤケクソで送り込んだ刺客の返り討ち──
暗い部屋の隅、大型モニターに映し出されるログの羅列を、ネクロスは血走った目で見つめる。
そこには敗北の記録が無機質に刻まれていた。
(あの少年──
天野悠人は、もはや管理可能な範疇に収まらない。)
ネクロスは背もたれに深く体重を預け、天井を仰いだ。
視界の端で、放置されたコントローラーが嘲笑っているように見える。
一度目に刺客を送り込んだ時、どういうわけか部下はまるで別人のようになってしまっていた。
物理的な損傷は軽微。
精神への干渉を受けた形跡も、通常のスキル測定の範囲では検知されなかった。
しかし、帰還した部下たちの瞳からは、かつての冷徹な「兵器」としての輝きが消失していたのだ。
脅したところで、ただ震えるばかりである。
”「私はもう戦いたくありませんっ……」”
”「いやですっ。
平和にいきましょうよっ……」”
そんなうわ言を繰り返すばかりで、決して天野悠人を再び捕らえに行こうとしない。
本人たちも何が起こったのかよくわかっていないようだった。
彼らの内側にこびりついた呪いのようなものが、ネクロスの構築した論理回路を焼き切ってしまっている。
役立たずなので、とっくにネクロスは彼らを”処分”済みだ。
有用性の失われた部品は破棄される。
それがネクロスのルールであり、唯一の慈悲であった。
二度目に送り込んだ刺客も、似たような症状を患っていた。
一度目の失敗を省み、次は精神の脆弱性を排除する手段を選んだのだ。
本人たちの意思など関係なくリモートで操れるヘッドギアを生成し、直接リモコンで操作してみたものの、同じく返り討ちに遭う。
モニター越しに見せつけられたあの光景。
ネクロスが操作する人形たちが、天野悠人の前で次々と無力化されていく様は、悪夢以外の何物でもなかった。
天野悠人の振るう力は、計算式の外側から飛来する。
結局彼らももう使い物にならないので、処分した。
ミーネスの連中はその後に一部がゴーグルを放り出して逃げ出したが、全て追跡して同じくすべて”処分”済みだ。
研究所の部下を失ったのは、かなりの痛手であった。
長年かけて収集した「素材」と、それを維持するための施設。
それらが一夜にして無に帰した虚無感は、ネクロスの胸の内にどろりとした黒い塊を形成させていた。
(───天野悠人のスキルは、ただの生成スキルではないのか……?)
天野悠人の能力に関する断片的なデータを、ネクロスは脳内で何度も再構築する。
通常の生成スキルは、既存の物質やエネルギーを再構成し、既知の物理法則に則った出力を出すものだ。
しかし、天野悠人のそれは、因果そのものを書き換えているかのような違和感があった。
(それとも近くでベタベタくっついている早乙女茜か……?
いや、それはない。)
一度目の刺客が返り討ちにされてからというもの、ネクロスは、天野悠人について、密かに研究を続けている。
古今東西の文献を漁り、禁忌とされる古代の魔力演算理論まで引っ張り出した。
だが、結論は出ない。
答えに辿り着くためのピースが、決定的に欠けている。
これ以上データを入手するには、さらに刺客を送り込む必要があった。
しかし、もはや手元に残された駒は心許ない。
使い捨ての歩兵では、天野悠人の深淵に触れることすら叶わないだろう。
研究の猶予も、もう終わりを迎えつつあった。
外側の世界が、ネクロスの停滞を許さない。
管理という名の鎖が軋み、崩壊の音が聞こえ始めていた。
◇
探索者統制機構・中央会議室。
窓のないその部屋は、人工的な光に満たされ、重苦しい静寂が支配している。
円卓を囲む幹部たちの空気は、ここ最近、明らかに変わっていた。
かつてはネクロスの徹底管理による効率化を支持していた面々も、今や視線を合わせることすら避けている。
彼らにとってネクロスは、利用価値のある秀才から、不祥事の種を抱えた厄介者へと成り下がっていた。
「──時代は変わっているんだよ、ネクロス君」
向かいの男──
”ゼニ山ゲバ郎”が、薄く笑いながら言った。




