第74話 更新後ー2
破壊された扉の破片は庭先に散乱し、木片と金属片が混じり合って地面に突き刺さっている。
先ほどまでの緊張が嘘のように、空は穏やかな色を取り戻していた。
だが、空気の奥にはまだ戦闘の名残がわずかに漂っている。
焦げた土の匂い、踏み荒らされた芝生、そして静寂。
すべてが「終わった後」の感覚を強く訴えかけてくる。
悠人たちはその後、気絶して動かない刺客たちを付近の空き地へ運び、放置した。
運ぶたびに重さが腕に伝わり、現実味が増していく。
誰一人として冗談を言う余裕はなかった。
呼吸の音、衣擦れの音、地面に体を下ろす鈍い音だけが淡々と繰り返される。
放っておいても死にはしないだろうし、目覚めれば再び戦意を喪失した状態でどこかに行くはずだ。
判断に迷いはなかったが、割り切りきれない感情が胸の底に沈殿していた。
◇
「──しかし、ここまでするのかよ、ネクロスってやつは」
家へ戻り、生成した新しい扉を枠にはめ込みながら、悠人は深く息を吐き出す。
指先に集中する意識の裏で、思考だけが止まらずに巡り続けていた。
いくら追い払っても、再びやってくる可能性は限りなく高い。
ミーネスの探索者たちさえもあのように扱い、自宅に直接襲撃させてきた以上、相手はもう遠慮などしてこないだろう。
次は正面突破ではなく、別の形で追い詰めてくる可能性が高かった。
社会的に追い込まれる未来が脳裏をよぎる。
身に覚えのない容疑、歪められた情報、理解を得られない世間。
あるいは、より直接的な力。
ミサイルという言葉が浮かんだ瞬間、背すじに冷たいものが走っていく。
現実的ではないと否定しきれない状況が、すでに異常なのだ。
完全に塞がったはずの、銃撃された際の痛みが蘇ってくる。
「大丈夫ですよ、マスター」
扉の修復作業を支えていたリリスが、静かにそう告げた。
「私たちがついています」
声は落ち着いていて、以前の無機質さとも、暴走していた頃とも違う。
柔らかいが、確かに芯があった。
その声を聞き、悠人の胸の奥にあった重石が、わずかに軽くなる。
「……ああ。
ありがとう、リリス」
短く返事をしながら、悠人は視線を落とした。
リリスは工具の代わりに生成した補助構造を正確に配置し、効率よく作業を進めている。
動きに迷いはなく、それでいて周囲をよく見ていた。
以前なら、最適解だけを淡々と選び続けていたはずだ。
しかし今は違う。
彼女は今、悠人という他人を気遣いながら作業をしていた。
「ちょっと、何を二人でベタベタと話しているの」
少し尖った声が割り込んでくる。
振り向くと、零華が腕を組んで立っていた。
視線は鋭いものの、その奥にある感情は単純な怒りではない。
「リリス、ここはこの”頼もしいパーティーメンバー”に任せなさい。
あなたはゆっくりリビングで休むべきだわ」
言葉の端々に、不器用な気遣いと少しの対抗心のようなものが滲んでいる。
零華自身もそれを自覚しているのか、言い終わった後にわずかに視線を逸らした。
「ですが、作業効率は──」
「効率より回復よ、今は」
零華はきっぱりと言い切る。
その声には、譲らないという意思がはっきりと宿っていた。
「あの~お茶買ってきたんだ。
一旦休憩して、皆で食べる?」
そこで、少し明るい声が響き、空気を変えていく。
買い物に出ていた茜が、両手にビニール袋を提げて戻ってきた。
袋の中から取り出されたのは、割引シールが貼られたシュークリーム。
ハイパーカメムシ味と書いてある。
完璧とは言えない選択だが、その不完全さが今はありがたかった。
「いいですね。
糖分補給も大事ですし、いきましょうマスター」
リリスは小さく微笑むと悠人の手を握った。
「ちょっとっ!
天野に必要以上にベタベタ触るのはやめなさいよっ」
零華が一歩踏み出す。
「わ、私が代わりにやるわ。
ほらいくわよ天野!!」
「ちょ、落ち着けって。
ドアの修理やってくれるんじゃなかったのかよ」
抗議する間もなく、悠人は零華に引っ張られる。
強引ではあるが、不思議と嫌な感じはしなかった。
悠人は零華とリリスに引っ張られながら家の奥へと消えていく。
「ちょっと!
待ってってば~」
慌てて茜も後を追った。
足音が重なり、声が交錯し、廊下は一気に騒がしくなる。
先ほどまでの緊迫した静けさが、嘘のように塗り替えられていった。
◇
リビングに集まり、四人はゆっくりとくつろぐ。
ソファに腰を下ろし、テーブルを囲み、甘い匂いが部屋に広がっていた。
何気ない時間。
戦闘でも、分析でもない、ただの休息。
その価値を、悠人は以前よりも深く理解している。
リリスも、静かにその空間に溶け込んでいた。
視線を巡らせ、会話の間を読み、必要以上に前に出ることも、引くこともしない。
そこにあるのは、役割ではなく存在であった。
今、彼女は完全なAIではなく、不完全な“仲間”として、悠人たちの中に確かに存在している。
そんな中で、茜の胸元を見ながら、リリスが突然口を開いた。
「マスター、私の背丈とお尻とおっぱいをもっと茜さん並みに大きく生成しなおしてくれませんか。
そうすればより私は魅力的になると思います」
言葉そのものは、淡々としていた。
羞恥も、冗談めいた抑揚もない。
純粋な提案として提示された内容が、かえって場の空気を奇妙に歪めてしまう。
「心だけでなく、肉体にもアップデートが必要だと思われます」
零華と茜は、ほぼ同時に顔を見合わせた。
「ちょっと、リリスちゃん!?
それは──」
零華の口元がわずかに歪み、茜は助けを求めるように視線を動かした。
「何を勘違いしているかわからないけど、平たい方が機動力が上がるわよ。
わかってないわね」
零華は優雅にティーカップを口元に運ぶ。
「確かに俺はでかいのが好きだよ」
その中で、悠人は一度も視線を逸らさず、リリスの方へ体を向けた。
まっすぐリリスの目を見て、真剣な眼差しではっきりと言い放つ。
迷いも、照れも、取り繕いもない。
「悠人!?」
茜の声は裏返り、零華は飲みかけていたコーヒーを吹き出す。
「──でも、散々言ってるだろ?
重要なのは心さ。
リリスも今回の一件で、よくわかっただろう」
続く言葉は、落ち着いていた。
リリスは一瞬、思考を停止させたような様子を見せる。
演算が脳内で走っているかのように見えた。
直前の発言と今の返答を照合し、仮説を修正していく。
魅力=形状という単純な式が、完全ではないと理解するまでに、ほんのわずかな時間を要していた。
「──それにもう、十分お前は、見た目も含めて、魅力的だよ」
「ゲホっゲホッ───」
零華はむせて咳をする。
「……そうですね、マスター。
もっと魅力的になれるよう、これからも、マスターに頼らず、地道に頑張ります」
「最初はみんなで学び合って、成長していけばいい。
それが一番だ。
俺たちはそこら辺の動物じゃないんだし」
その言葉は、誰かを諭すためだけのものではなかった。
自分自身に向けた確認でもある。
短絡的な欲求や反射的な選択ではなく、理解と対話を積み重ねること。
それがこのパーティーの在り方なのだと、改めて言葉にする必要があった。
悠人は目を閉じて深く息を吸い込む。
肺に入る空気は冷たく、まだ先ほどの戦闘の際に発生した焦げくささが残っている。
吐き出す息と共に、余分な緊張がゆっくりと抜けていった。
心の奥では、静かな決意が形を取っている。
衝突も、誤解も、突飛な発言もあるだろう。
それでも、この集まりなら前に進めるという感覚が、確かに存在していた。
(──このパーティーなら、きっと、ネクロスの問題も乗り越えることができる。)
確証はない。
それでも、これまでの経験と、今この場で交わされたやり取りが、その可能性を十分に示していた。
「さ、ドア修理の続き、やらないとな」
それは、日常へ戻るための一言だった。
戦闘でも、議論でもなく、壊れたものを直すという現実的な作業。
その言葉が発せられたことで、場の空気は完全に切り替わる。
誰も反論せず、自然に次の行動を思い描いた。
悠人はゆっくりと、腰を上げる。
◇
「終わったよ、これでいいかな。
ったく、最後まで本当に逃げ惑うばかりで抵抗してこなかったよ、このミーネスの探索者」
S級探索者、風間次郎は、切断したターゲットの首を付近のゴミ山に放り投げる。
「───あぁ、よくやった。
研究所の一件に関与したと見られるミーネスの奴らは一通りこちらで処分できたが、いくつか逃してしまってな。
さすがS級探索者だ。
私の間抜けな部下とは違って、言われたことはきちんとやってくれる」
彼の片手には黒い携帯電話が握られていた。
通話の先の男は返事をする。
「全く、これが国民を守るために設立された組織が依頼する仕事かよ」
風間次郎は投げ捨てた首を静かに眺めた。
それはモンスターではなく、人間のものだ。
「───勘違いするな。
あくまで統率すること、それが我々、機構の使命だ」
電話の向こう側の男──
ネクロスは静かにそう告げると、電話を一方的にプツリと切る。
間もなくして首が捨てられた寂れた倉庫には、静寂が戻ってくる。
そこにはすでに誰の姿もなかった。
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