第72話 アップデートー5
この家──
地下施設は本来、外界から切り離された安全圏であると、どことなく思えていた。
厚い壁、防音処理、なけなしのセキュリティ。
どれも長い間、一人の悠人を守り続けてきた。
それでも、今はその安心感が音を立てて崩れていく。
地面を伝う振動は、意思を持ったかのように連続し、次第に明確な「侵入」の輪郭を帯びていった。
「──まさか、またあいつらか」
悠人の声が反射的に口から漏れる。
心拍が一段跳ね上がり、意識が一気に研ぎ澄まされた。
完治したはずの銃撃の痛みが、蘇ったかのような感覚に襲われる。
生成スキルの感覚が脳裏に浮かび、いつでも発動できる状態へと身体が移行していった。
「先ほどの刺客のようです、マスター。
私の体から先ほどまで発信されていた位置情報と同じような“電波”が複数、
上の階から感じられます」
「くそ……
こんな堂々とやってきやがって」
リリスの声は落ち着いているが、情報量は多い。
単なる感覚ではなく、解析結果としての確信が込められていた。
地下にいる全員の位置関係、侵入者の移動経路、反応速度。
そのすべてが短い報告の裏側に圧縮されている。
悠人たちは床を伝う振動を足先で感じ取りながら、一階へと続くドアへ視線を向けた。
振動の周期、間隔、衝撃の方向。
訓練ではなく実戦で積み重ねてきた経験が、無意識のうちに情報を整理していく。
静かな地下室に、見えない刃のような警戒心が張り付いていた。
「──やるしかないわ。
ここにいてはジリ貧よ。
さっさとこちらから仕掛けましょう」
零華は、迷いなく剣を抜いた。
金属が擦れる乾いた音が、張り詰めた空気をさらに引き締める。
「バックアップは任せて。
装備は持ってきてないけど、大丈夫だよ」
茜はその手のひらを光らせると、皆の顔を見て頷いた。
「──よし」
ためらいはなかった。
悠人たちは即座に反応し、零華を先頭に一階へと駆け上がる。
階段を踏みしめるたび、金属製のステップが高い音を立てて鳴り、その反響が空間を満たしていった。
狭い通路、視界の悪さ、逃げ場の少なさ。
すべてが不利な条件であることは理解していたが、それでも止まる選択肢はない。
心拍は速いものの、恐怖に支配されてはいなかった。
「た!
タタタタタタタタ、対象を発見ンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンン”ン”ン”ン”!」
一階の奥から、歪んだ電子音混じりの声が響く。
機械的でありながら、人為的な悪意を帯びた音だった。
ゴーグルのセンサーが何かを捉え、無機質な処理音が重なっていく。
床を走る細かな光、壁をなぞる赤いライン。
照準が次々と設定されていることが、視覚情報だけで理解できた。
「うげっ──
なんだこいつら……」
空間の密度が変わる。
音が増え、影が増え、気配が増していった。
侵入者は一方向からではない。
複数の経路を使い、包囲を意識した動きで迫ってくる。
全員が頭部に黒ゴーグルのようなものを装着していた。
動きには無駄がなく、事前に地形を把握していたことが明らかである。
悠人は歯を食いしばり、生成のイメージを強く描いた。
「林の時のやつと予想通り同じ──
と、思ったけど、何か様子がおかしいわね」
零華は一歩前に出て、剣先を低く構え直した。
「それだけじゃない。
ゴーグルでぱっと見はわからなかったけど、悠人が概念を植え付けたはずの、 あのミーネスの探索者の人たちもいるよ」
茜は距離を保ちながら、全体を見渡せる位置へと移動する。
リリスは一瞬で状況を再解析し、次の報告を準備していた。
逃げ場はない。
交渉の余地も薄い。
選択肢は、迎え撃つか、このまま撲殺されるか。
その境界線に、全員が立っていた。
影が完全に姿を現す。
黒い装備、無機質な動き、複数の熱源反応。
空間が一気に狭く感じられ、時間の流れがわずかに遅くなったような錯覚が走る。
動きが速い、複数の対象が同時に迫ってきた。
「くるぞっ」
声が口から飛び出した瞬間、時間がわずかに引き伸ばされた感覚に襲われる。
視界に映る複数の人影、床を踏みしめる足音、破壊されたドアの破片がまだ空中に漂っていた。
悠人の脳裏に、林で遭遇した刺客の姿が鮮明に蘇る。
湿った土の匂い、木々の影が作る不規則な暗闇、殺気だけが異様に澄んでいたあの瞬間。
目の前にいる侵入者たちは、同じ体格、同じ戦闘服を装着しており、同一人物であるとみられた。
しかし、決定的に違う点がある。
それはおかしな言動ではない。
──頭部のゴーグルだ。
装着されている装置は、以前見たものよりも明らかに異質であった。
レンズの奥で微細な光が周期的に明滅している。
側面から伸びたアンテナ状のパーツが空気中に不可視の信号を放っていた。
耳鳴りのような圧迫感が、皮膚の内側を撫でる。
「ゴーグル──
これが原因なのかしら」
零華も同じようなことを考えていたようだ。
視線を前に見据えたまま、その言葉が口から漏れる。
床を伝う重さが、自然な足運びとは異なる規則性を帯びていた。
侵入者たちの動きは荒々しいが、そこに迷いはない。
いや、正確には、迷う余地がない動きであった。
それはまさに、赤ん坊に振り回される人形のよう。
「あのゴーグルで遠隔操作されているようです、マスター」
「……そうみたいだな」
リリスの解析は、感情の揺らぎを含まず、即座に結論へと至った。
淡々とした声の奥に、膨大な演算が折り重なっているのが分かる。
悠人はその情報を受け取り、脳内で即座に組み替えていった。
個々の動き、電波の波形、装置の配置。
林で感じた違和感の正体が、一本の線としてつながっていく。
「……そしてあの変なゴーグルは、ネクロスのスキルによって生み出されたもののようだな」
口に出す中で、それは確信に変わっていった。
意志を奪われ、身体だけを使われている存在。
だからこその動き。
躊躇がなく、恐怖も感じていない不気味な動作であった。
こんなことができるのは、こんなことをさせるゴーグルを生成できるのは、ネクロスしかいない。
視線が交わっても、そこに意思の揺らぎは感じられなかった。
ただ命令を実行するための動作だけがある。
迫る気配。
床が軋み、空気が押し出される。
悠人は一歩踏み込み、体勢を低く取った。
前回遭遇した者と異なり、完全に意志が感じられない存在たち。
視界の端で、零華の重心が前に移動するのが見える。
「マスター、きます」
「あぁ。みんな、いくぞ!」
最初に動いたのは零華であった。
剣が抜かれる音は、鋭く短い。
次の瞬間、金属が空気を切り裂き、侵入者の腕を弾いた。
衝撃が床に伝わり、振動が足裏から駆け上がる。
受け止めきれなかった力が、壁を揺らした。
茜は間髪入れずに詠唱へ移る。
掌に集まる魔力が、淡い光として膨らみ、圧縮されていった。
放たれた魔法は直線的に飛び、侵入者の身体を吹き飛ばす。
衝突音、破砕音、そして鈍い着地音が重なり、室内は一気に戦場の色を帯びていった。
熱と冷気が入り混じり、視界が揺れる。
悠人はその中で、ひときわ強い信号を発するゴーグルを見定めた。
リーダー格と思われる個体。
動きの指示が、そこから広がっている。
「マスター、私の分析したデータも使用してください。
電波を無効化するプログラムをとりあえず彼らのゴーグルに流し込みましょう!」
リリスはそう言いながら悠人の元へ駆け寄ると、その腕に触れる。
彼女の情報が脳内に流れ込んできた。
回路構成、遮断ポイント、最小限で効果を発揮するコード。
やがて悠人は駆け出すと、迷わず踏み込む。
剣撃と魔法の隙間を縫い、侵入者の懐へ入っていった。
指先がゴーグルに触れた瞬間、光が走る。
生成されたプログラムが、装置内部へと流れ込み、信号が乱れていった。
侵入者の動きが一拍遅れ、次の瞬間、完全に停止する。
「よしいけるっ」
零華も茜も、相手は人間であり、ここはダンジョンではなく現実の家なので、攻撃はどれも控えめだった。
無力化に手こずる中で、悠人は次々と刺客に近づき、無力化のコードを流し込んでいく。
「これで最後だっ!」
最後に悠人はリーダー格の装置に触れ、同じ処理を流し込んだ。
抵抗はない。
金属音とともに力が抜け、重たい身体が床に倒れ込む。
その音が、戦闘の終わりを明確に告げていた。
静寂が戻る。
残るのは、激しい呼吸と、まだ漂う熱気だけだった。
「お手を煩わせてしまい、申し訳ありませんマスター。
もっと詳しく分析していれば、効率よく敵を無力化できていたかも知れません」
リリスの声には、わずかな揺らぎがあった。
それは失敗を評価する演算ではなく、結果に対する感情に近い。
「いいんだよ、みんなで学んでいけば」
悠人は笑いかける。
完璧を求めた結果が、先ほどまでの暴走だったことを、誰よりも理解していたが故の言葉であった。
「不完全だけど……
それでいいのかもしれないわね」
「うん。
リリスちゃんが、完璧だったら、私たちの居場所も無くなってしまうし」
言葉が重なり、空気が少しずつ和らいでいく。
リリスはゆっくりと顔を上げた。
淡い光を帯びた瞳が、悠人を真っ直ぐに捉える。
その視線には、かつてあった冷たい判断基準はなかった。
「マスター、私はまだ“心”を理解していません。
ですが……
学習を、続けたい」
その一言が、胸の奥に深く染み込む。
制御でも命令でもない、自発的な意志。
その重みを感じ、悠人はさらに笑みをこぼした。
久しぶりに心から笑えた気がした。
「俺もだ。
一緒に──
頑張ろうぜ」




