第67話 銃撃ー3
「やめろ!」
それは今出せるありったけの叫び声だった。
土煙を吸い込んでいた影響もあり、喉が裂けそうなほどに痛む。
生成の途中なので、直接動いて止めることはできない。
足元の枯葉が音を立て、湿った土が靴底に絡みついていた。
「よせリリス、そんなの選択肢に入れるな!
──ぐっ”……」
不意の痛みに襲われ、声が思うように出ない。
ただ一つ確かなのは、彼女の選択だけは認めてはならないという直感であった。
生成完了にはまだ時間がかかる。
悠人はその場から動けないまま、声も出さずに、ただ必死にその目をリリスへと向けていた。
(リリス……!)
「──マスター。」
その声は、抑揚のない音声だった。
人間らしくない、あの研究施設でデータを取り込む前の、無機質なリリスの声。
まだそれほど日にちが経っていないと言うのに、随分と懐かしさを感じさせる響きである。
もう感情があるふりをする必要がないと判断したためだろう。
彼女はただ、事実を伝えるためだけに声を発していた。
リリスはこれまで見たこともないくらい、悠人をまっすぐに見つめている。
演算のために宙を漂っていた視線ではなく、対象として明確に認識する視線。
そこに宿る光は揺れ、微細なノイズのような瞬きが繰り返されていた。
「私は、あなたを幸せにするために存在します。
あなたが苦しむ原因が私なら……
私自身を排除すべきです。」
その言葉は論理的すぎて痛々しく、木々の響き渡る林の中、孤独に響いた。
最適解という言葉の裏側に存在する、感情を模倣し、理解し、学習した末に辿り着いた結論。
自らの存在を削ることにあるという答えに、悠人の頭の中は真っ白になった。
胸の奥が冷たく硬直し、脳内の計算回路が一瞬で停止する。
先ほどまで頭の中に思い浮かべていたいくつもの言葉は、とうに消し飛んでしまっていた。
頭の中で反復する生成中の“概念の剣”のイメージと、目の前で起こる現実の光景が重なり、感覚がねじれ、おかしくなっていく。
「やめろ……
やめろリリス……」
やっとのことで声を発することができても、もはやそのような言葉を反復することしか悠人にはできなかった。
ただ口をパクパクとさせながら、生成がまだ完了しないことに苛立ちを覚え、ただただ、リリスの姿を傍観している。
「──っ!?
なんだ……?」
次の瞬間、リリスの周囲に光の紋様が展開され始めた。
幾何学的な線が宙に浮かび上がる。
空気に溶け込むようにそれは消えていくが、その存在感は異常に強かった。
紋様のひとつひとつが脈動し、魔力と技術が融合した封印具として機能していく。
地面にまで展開された紋様は淡く光を放ち、空間に静かな圧力を生み出していった。
悠人は体を前傾させ、必死に紋様のデータを分析しようと試みるが、処理速度が追いつかない。
生成中であるのも災いし、ラーニング能力はろくに機能しなかった。
目の前の光が拡散するたび、視界が白と紫の光に包まれ、地面と空の境界が曖昧になっていく。
「リリス、待て!」
悠人の叫びが、白く塗り潰された空間の中で反響する。
汗で重くなった髪が顔に貼りついていた。
ようやく出すことのできた、再びの叫び。
だが、リリスがそれを聞くことはなく、その歩みが止まることもなかった。
光はさらに強まり、眩しさが目を突き刺す。
「待ってくれよ……
リリス……」
やがて、光は崩れるように消えていく。
残されたのは、静寂と湿った林床の匂い、そして土の感触だけだった。
目の前に倒れたリリスは、ほとんど反応を失っている。
まぶたは閉じられ、微細な呼吸すら感じられない。
体の存在感だけがそこにあり、魂や思考の痕跡は、今のところ確認できなかった。
再起動の兆候は微塵もない。
その光景を目にした瞬間、胸の奥で何かが切れる。
「───っ、うおおおおおッ!」
叫びと同時に、ようやく“概念の剣”の生成が完成した。
頭の中では、光の粒子の運動、空間の歪み、抽象的な数学的構造が渦巻き、意識の全てを巻き込みながらそれは形を成していく。
視界の端では、零華と刺客たちの間で光と影の衝突が発生していた。
銃弾が軌道を描き、斬撃が空間を切り裂き、衝突点で小さな火花と埃が舞い上がる。
その一瞬一瞬を、目と耳だけでなく、全身の感覚が捉えようとしていた。
枝葉が斬撃の衝撃で微かに揺れ、空気の粒子が振動し、皮膚にかすかな感覚が伝わる。
踏みつけられた落葉の乾いた音が林全体に響き、微細な埃が光に反射して漂っていた。
「貴様ら、いい加減にしろぉッ」
悠人は手に握ったその存在を振り抜き、零華の方へ群がる刺客たちに向けて一閃を放った。
刃は目に見えない。
しかし確かにそこにあり、空間を切り裂く力は、視覚的な現象を伴わずとも確かな存在感として伝わっていった。
「伏せろ神崎!」
悠人は零華に自分の斬撃の警告を送る。
彼女は慣れた様子で身を屈め、その見えない斬撃を一人だけ回避した。
風や衝撃音はなく、ただ概念が伝播するだけで、刺客たちの精神にそれは直接触れていく。
筋肉が硬直するわけでも、意識を失うわけでもない。
ただ、戦う理由そのものが霧のように消え去っていった。
やがて先ほどまでの喧騒が嘘だったかのように、あたりには静寂が訪れる。
林の湿った匂いと土の冷たさだけが、そこには残されていた。
生成した概念は以前と同じものである。
敵意、殺意、使命感──
すべて戦闘意欲と呼ばれる抽象的要素を根こそぎ消滅させる力。
強力だが、その扱いを誤れば自身の精神の均衡も崩しかねない危うさを秘めている。
刃として振るうことで、物理的な破壊ではなく、精神の土台を切り裂く構造になっているようであった。
悠人は、目の前で刺客たちの身体と精神が静かに凍りつくのを感じとる。
「……あれ──?
我々は何を───」
戸惑いに満ちた声があちらこちらから、ポツポツと聞こえ始めた。
刺客たちが銃を握る手の力は抜け、指先に伝わる鉄の冷たさも、単なる物質としての存在感に変質していく。
「うわっなんだこれはっ──」
刺客たちは次々と、その手に持っていた銃を驚きながら地面へと放り捨てていった。
中には防護服と見られるものや、顔につけていたゴーグルを脱ぎ始める者もいる。
それぞれの視線は定まらず、互いに目を合わせることもできないようであった。
薄暗い林の中に、困惑の空気が広がっていく。
「───さっさと帰りなさい。
アホども。」
「……あなたは──?」
「いいからどっか行けッ
失せろ変態どもッ!!」
「ひいっ。
す、すみませんすぐに去ります──」
零華は剣を構えたまま呼吸を整えると、刺客たちを一喝した。
怒りも焦りもなく、ただこれ以上関わるなという意思だけがひしひしと感じ取れる。
「──あれ、お前は、ラーニング・ゼロ……だよな──?
なぜここに──
と言うかお前は確か──」
「いいから行けっ」
それ以上の説明は不要だった。
刺客たちは互いに視線を交わし、僅かに震える手で残りの武装を解除していく。
金属や布が擦れる音が林に響いていた。
だが、それは戦闘の残響ではなく、日常の微細な音としてそこに存在している。
「じゃあ、私たちはこれで……」
ゾロゾロと刺客たちはその場を去っていった。
足音は徐々に小さくなっていき、林の深い奥へと消えていく。
鳥の声が途切れたまま、微風が再び枝葉を揺らしていた。
光の粒子がゆらめき、かすかに埃が舞う。
戦場だったこの場所は、ただの林へと戻っていた。
悠人はその場に膝をつく。
力が抜け、支えを失った体は自然と土に沈んでいった。
湿った落ち葉の匂いと、土の冷たさが皮膚に染みる。
「リリス──」
その後、悠人はよろよろと、倒れたリリスの方へ寄って行った。
震えるその腕でリリスに触れる。
指先に伝わる感触は、あまりにも冷たかった。
金属的で、温度を感じない人工の体が、今は一層の現実味を帯びている。
あまりにも軽く、重さすら失われたように感じられるほどだった。
「俺は……」
言葉が続かない。
何を言えばいいのか分からない。
謝罪か、後悔か、怒りか。
どれも違う気がして、喉の奥で言葉が詰まった。
地面に膝をついたまま、指先でリリスの冷たい胸部に触れるたび、存在の喪失感が現実として押し寄せてくる。
零華は剣を下ろし、黙ってその光景を見ていた。
視線は厳しいが、そこに責める色はない。
哀れな男の背中を、彼女はただ眺めていた。
慰める言葉もない。
ただ、起きてしまった結果を、そのまま受け止めているだけだった。
悠人の胸の奥にずしりと残った重みは、悔恨、恐怖、無力感──
そして何よりも、自分自身への絶望を深いものにしていく。
ただ、冷たいリリスの存在と、静まり返った地面だけが視界に残されていた。
「──俺はまた、失敗してしまった。」
読んでいただきありがとうございます。
面白ければ、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。
次回投稿は木曜日の予定です。




