第66話 銃撃ー2
悠人たちは包囲され、リリスを庇うようにしながら、ゴーレムの残骸へとゆっくり後ずさる。
踏みしめた地面の感触が、やけに現実味を帯びて伝わってくる。
湿った土の冷たさが靴底越しに伝わり、足首に微かに絡みつく草の感触まで鮮明に感じられた。
背後に転がるゴーレムの破片は、砕けた石と魔力の残滓をまとい、不規則な影を落としている。
木々の間から点々と差し込む光が破片の角を鋭く浮かび上がらせ、まるで小さな影の刃がそこに潜んでいるかのように見えた。
「!!
……鉢川隊長、こいつ、例の生成スキルの持ち主、天野悠人ですよ」
告げ口のような声が、無遠慮に空気を切り裂く。
木々の隙間にこだまするその音は、静寂の中で鋭く響き、悠人の耳に針を突き刺すようだった。
その瞬間、視線が一斉に集まる。
黒いゴーグルの奥で光が反射し、複数の視線が絡みつくように悠人を捉えた。
肌に突き刺さるような注目を受け、心臓が強く脈打つ。
自分の名前が標的として呼ばれた事実が、遅れて実感となって押し寄せた。
胸の奥の血流まで巻き込むように動揺が広がっていく。
「何?」
短い問いかけには、興味と警戒が混じっている。
価値を測るような冷徹で無機質な響き。
悠人はわずかに息を詰め、周囲の音へ意識を集中させた。
「……やっぱりネクロスの刺客か、お前ら」
言葉は自然と口から零れた。
確認であり、同時に諦めに近い納得でもある。
これまで断片的に繋がっていた不安が、ここで一本の線になった。
あの研究施設、”心”のデータ、異常な追跡、その全てが同じ意図に基づいていたことを胸の奥で理解する。
「──また返り討ちにしてやるぜ」
悠人は誰にも聞こえないほどの声でそう呟くと、早速生成を開始し、敵を倒そうと試みた。
「!?
ぁあ”っ”……」
(撃たれた……?
撃たれたっ──)
「マスター!」
痛みで思考がまとまらない。
遠くでリリスの叫び声が聞こえた気がしたが、よく分からなかった。
「っ──」
右腕に大きな衝撃が走る。
頭の中が明滅するように揺れた。
痛い、痛い、痛い、痛い。
状況を把握しようとする理性は、その全てが痛みに塗り潰されていく。
燃えるような熱さもあった。
体内から溢れてはいけない何かが流れ出ている。
熱いものが。
まるで男に腹を思い切り蹴られたような衝撃だった。
「動くなクソガキ!!
そこのガキのモンスターもだっ!
これより先、少しでも動いたらお前を蜂の巣にする」
黒いゴーグルと、周囲の人間よりも頑丈そうな装備を纏った男が、銃を構えながら悠人たちを恫喝する。
銃口は寸分の迷いもなく向けられており、引き金にかかった指には、いつでも次の一発を撃てる余裕が見て取れた。
その存在は静寂を切り裂くだけでなく、視界の全てを支配している。
だが、その声色には殺害よりも制圧を優先する響きが混じっていた。
悠人はその微妙な差異を理解し、頭の奥で戦況を計算する。
ネクロスの刺客は、先の一件からあくまで自分の”捕獲”が目的であることを知っていた。
殺意は即時のものではない。
しかし、とにかく痛い。
殺す気はなくとも、痛めつける気は満々なのが見て取れた。
それでもスキルを起動し、いつでも“概念の剣”を生成できるよう、うずくまりながらも体勢を整える。
体の震えが止まらない。
得体の知れない人間たちに囲まれ、逃げ場を断たれているという事実が、じわじわと精神を侵食していた。
痛みに恐怖と焦燥が加わり、吐き気と寒気が押し寄せてくる。
「天野!!」
突如、ある方向から聞き覚えのある声が響く。
振り向く暇はなかったが、声の主は明白だった。
神崎零華が異変を察知して戻ってきたらしい。
その声には緊張と怒り、焦燥が混じっていた。
胸の奥が締めつけられる。
心臓の鼓動が耳まで響いていた。
戻るな、来るな。
そう叫びたかったが、状況はすでに動き始めて止まらなかった。
悠人は刺客たちの注意が零華へ逸れた隙を見逃さず、体の奥から意識を剥き出しにする。
汗と血液で指先が滑る感覚、地面の微妙な傾き、木の根の存在。
全てが戦況の情報として流れ込んでくる。
即座に“概念の剣”を生成し、零華を守る準備を開始した。
リリスと悠人は捕獲対象であるため、殺害される可能性は低い。
だが、零華は違う。
明確な戦力と見なされ、排除対象になる危険が高かった。
先の一件で死にかけた零華の姿が鮮明に蘇ってくる。
攻撃が加わる前に、即座に無力化しなければならない。
闇のように黒い装束と、冷たい金属が視界の端で光を反射していた。
目に見えるものも、全てが危険だ。
思考は極限まで研ぎ澄まされ、戦う準備が体全体へ浸透していった。
悠人の手から光が発せられ、目には見えない“概念の剣”の生成が始まる。
頭の中で数式とイメージを重ね、必死に形を結んだ。
だが、生成は遅い。
林の中は異様な緊張感に満たされ、空気は重く、湿り気を帯びた土の匂いが鼻を刺す。
悠人は両足を広げ、がっしりと構えをとった。
体勢が悪いからなのだろうか。
生成を中断し、もう一度一から“概念の剣”の生成を試みる。
足元の落ち葉は湿っており、踏みしめるたびに軋んで音を立てていた。
枝や小石が靴に当たる感触が、理性の外へ押し出されそうな恐怖と共鳴し、体を震わせる。
全てが異常なまでに鮮明で、感覚が過剰に反応していることがわかった。
その瞬間、無数の発砲音が林に響き渡る。
乾いた炸裂音が木々の幹を叩き、その振動が足裏から腰まで伝わってきた。
弾丸が樹皮に突き刺さる衝撃は木々を震わせ、破片が空中に舞い散る。
音の方向と響き方だけで、零華と刺客たちの位置関係がわずかに把握できるほどである。
零華は動じず、一歩も引かずに剣を振るっていた。
表情は冷静を装っているが、呼吸は微かに乱れ、その動きから緊張が伝わってくる。
踏み込む。
斬る。
衝撃を受け流す。
回避する。
一連の動作は無駄なく正確で、同時に極限の集中を要することがひしひしと伝わってきていた。
「──くそっ、しかしあの施設、本当にネクロスのものだったかよ。
”心”のデータなんか集めて何をする気だったんだ」
短く呟かれた言葉が空気を震わせる。
零華の剣が振り下ろされ、斬撃が木々の幹に深い傷を刻んでいた。
葉が舞い、樹皮が削れ、枝が折れ、戦場の風景が刻々と変化していく。
空気は剣と弾丸の軌道によって揺らぎ、土埃が舞い上がる。
冷たい汗が背筋を伝った。
刺客たちは無言で動き、その連携に無駄はない。
殺意を帯び、零華の動きを封じるためだけに動いている。
圧倒的な戦力差と精度が存在し、悠人は体が硬直するのを感じた。
生成が一向に終わらず、傍観せざるを得ない無力さが胸を鋭く締め付ける。
「くそっ、さっきゴーレムを無理に生成したのと、勝手に脳内へアクセス、それらが重なったのが原因かっ。
うまくデータが構築できないっ──
早く……
早く生成してくれっ」
歯を食いしばる。
手のひらに汗がにじみ、指先が震えた。
思考を振り絞り、計算式とイメージを脳内で重ね合わせる。
だが生成は遅く、形は安定しない。
焦燥が思考を乱し、さらに制御を難しくしていた。
発砲音、剣の軌道、飛び散る木片、風に揺れる枝葉──
全てが解析すべき情報として脳内へ流れ込み、混乱と恐怖が交錯する。
時間がない。
悠人が招いた結果だ。
リリスに感情を与え、制御できると思い込んだことが、今まさに現実として突きつけられている。
足元の落ち葉、湿った土、砕けた枝、飛散する埃。
それらが目に見えぬ圧迫となって体を覆っていた。
「マスター」
背後からリリスの声が聞こえる。
無機質なはずの声に、かすかな震えが混じっていた。
悠人の神経はさらに尖り、心臓が跳ねる。
振り返ることすら躊躇われた。
だが、振り返らねばならない。
「どうしたリリス」
「解析結果を報告します。
このままでは、神崎零華が重大な損傷を受ける確率は高いです」
言葉は冷徹だが、その情報の重みが胸にずしりと食い込んだ。
零華は、大量の攻撃に晒されている。
そんなことは分かっている。
悠人の体は自然に前傾し、背筋の震えが強まった。
「だったら……
助けてくれ!」
叫ぶ声に理性はない。
感情が先に溢れ出る。
右腕から血液がぼたぼたと地面へ垂れる。
指先の震えは止まらない。
リリスは一瞬沈黙し、瞳の光を激しく明滅させた。
演算と葛藤、計算と制御が交錯する様子が、視覚的にも伝わるほどだ。
「しかし、私が稼働を続ける限り、追跡と戦闘は終わりません」
その言葉は、悠人の胸を冷たく締め付ける。
理解が追いつかない。
周囲の音、光、振動の全てが過剰に感じられ、脳内で混濁していく。
視界が狭まり、時間の流れさえ意識の外へ押し出された。
「何?」
「私があの研究施設のコンピューターにアクセスした際、どうやら余分な要素まで自分の体にインストールしてしまったようです。
そのせいで、敵はいつでも私の居場所を追跡可能となっています」
その事実は静かに、決定的に突きつけられる。
血流が止まったかのように感覚が痺れ、胸騒ぎが広がった。
林の奥では変わらず零華と刺客たちが交錯する音が響いている。
それは遠くではなく、耳元で反響しているかのようだった。
「っ──
とにかく、今は神崎を助けるっ!
リリスも何かできることをしてくれっ」
思考を振り切るように叫ぶ。
筋肉が強張り、全身に力が入っていた。
脳は極限まで情報を処理し、体は反応の準備を整えている。
だが、リリスの声がそれを遮った。
「最適解は──」
リリスは静かに、自らの胸元へ手を当てた。
演算と葛藤の末に選択した、人間的とも言える仕草。
手の温もりはない。
それでも、その動作は悠人の胸に何かを突き刺す。
冷徹で無機質な存在が、今まさに自己を制御し、意思を示していた。
「自己凍結です」




