第64話 信者ー3
「──待ってよ、神崎さん。」
もうすでに木々の奥へと消えて見えなくなってしまった零華に対して、茜はポツリとこぼす。
「何?」
「うわぁっ!?」
突如木の影から、すでに去ったはずの零華が現れた。
茜は小さく悲鳴を上げる。
「な、なんだ、いたんだ。」
「──あなたも連れ戻しにきたのよ。
さっさといくわよ。
こんな男と関わっていたら、命がいくつあっても足りないわ。」
「行くって言っても、神崎さんって、悠人の家に住んでるんだよね。
すぐに再開することになるよ」
「……何でもいいからさっさと行くわよ」
零華は茜の手を引くと、悠人には背中を向けた。
その後、茜を連れて木々の奥へと歩き出そうとする。
「……そう。」
しかし、茜のその足が動くことはなかった。
黙ってその掴んだ腕を零華は離す。
再び彼女は一人で木々の奥へと歩き出した。
「待って、神崎さん。」
茜の声が響く。
零華は足をとめ、顔は向けずに、しかし耳は傾けた状態で、静かに次の言葉を待っていた。
そんな様子を見て、わずかな期待が悠人の胸にもよぎる。
もしかしたら、まだ、修復の余地があるのではないか。
情けないと分かっていても、悠人はそう思わずにはいられなかった。
「──話せば……
きっと分かるよ。
パーティだし、こういう時こそ、お互い腹を割って話し合おう。」
茜は優しい声で零華へ訴える。
「今のこいつに必要なのは一人で考える時間よ。
甘やかさないで。」
「……神崎さん──」
零華は再び歩き出すと、今度こそ木々の奥へと姿を消す。
歩幅一つ一つに決意が刻まれ、木漏れ日が揺れる林の中で、影は静かに延びていた。
残された茜は一瞬立ち止まり、肩を落とす。
彼女の背中は、まるで糸の切れた人形のように力なく、深い虚無感を漂わせていた。
視線は地面に向けられ、言葉にならない悲しみが胸に残っているように感じさせられる。
悠人はその場から一歩も動けず、去りゆく二人の後ろ姿を、ただ瞳の裏に焼き付けることしかできなかった。
「──ありがとう、茜。」
「……何が?」
「庇ってくれたんだろ?
リリスのこと──」
「……え?」
茜が振り返ると、悠人はリリスの方を向いていた。
愛おしそうに、悠人はリリスのことを見つめている。
彼の瞳には、もはや去っていった戦友の背中ではなく、傍らに佇む美しい「生成物」だけが映っているようであった。
その執着にも似た眼差しに、茜は思わず固唾を呑む。
「……頭大丈夫、悠人。」
「──え?」
「悠人、私も一旦、考えさせて。」
茜は、はっきりとそう告げた。
その声は震えている。
悠人の理解のズレ。
自分が庇おうとしたのは、リリスではない。
リリスを信じたいと願う悠人の”心”だった。
(その心だけは本物だった。
だからこそ、こうして神崎さんを呼び止めてみたりもしたのに───)
悠人は何か見えないものに再び囚われ、ただリリスを守ることに全神経を尖らせる、”信者”と化していた。
茜の頭には、データ信者と化した、あの時の悠人の姿がフラッシュバックする。
耐えられなかった。
「──正直に言うけど、悠人。
あなたは今、リリスちゃんしか見ていない。
こんなの、パーティーじゃないよ。
……じゃあね。
私もその──
今はとにかく、時間が欲しいかな。
──とりあえず、また明日。」
明日、という言葉に込められた彼女の最後の情け。
それは、今の悠人にも感じられるほどの、自分を憐れむための言葉であった。
「ちょっと待ってくれっ──
なんでだよ……
なんで誰もこいつの”心”を信じようとしないんだ……」
膝から地面に崩れ落ちる。
指先が泥と枯れ葉に食い込み、震える唇から漏れるのは、誰にも届かない悲痛な叫びだった。
茜も零華と同じく踵を返し、木々の奥へと消えた。
林に残されたのは、跪く一人の少年と、「リリス」と呼ばれる、少女の形をしている何か。
そして、嘲笑うような木漏れ日だけだった。
◇
「ターゲットと思われるものたちは現在森林の中で留まったままです。」
付近の鉄塔に立っていた男が一人そう告げる。
「そばにいた二人の人間は今、去っていきました。」
無線機から流れるノイズ混じりの報告は、この森を支配する静寂を無慈悲に侵食していく。
男のゴーグルからは、悠人とリリス、去っていく茜と零華の姿が確認できていた。
サーマルイメージが、冷え切った悠人の体温と、それとは対照的に異常な熱源を孕むリリスの存在を鮮明に描き出している。
「よし、今が絶好の機会だな。
人気が少ないところにわざわざ移動してくれて、好都合だ。
準備しろ。」
戦闘スーツを着込み、同じくゴーグルを身につけていた隊長・”鉢川”は、静かに指示を下した。
その声には、一切の迷いも慈悲もない。
彼らにとって悠人は保護対象ではなく、あるいは対等な人間でもなく、ただ回収すべき「研究材料」に過ぎなかった。
「はっ」
彼の後ろには数十名を超える”統率”された”第八”部隊の男たちがいた。
男たちは同じタイミングで返事をし、一斉に動き出していく。
その動きは統率されていた。
影のように音もなく、それでいて確実に、林の中にいる悠人たちを包囲していく。
鉄塔から滑り降り、木々の隙間を縫うその挙動は、熟練の狩人のそれであった。
男は手に持つ銃に弾をこめる。
カチリ、という金属音が、死の宣告のように響いた。
彼らの装備する特殊弾頭には、魔力伝導率を極限まで阻害する特殊合金が施されている。
リアル生成AIという脅威を「無力化」し、「回収」するための、徹底的な備え。
「我らがマスター、ネクロス様のためにも、絶対に天野悠人を回収するぞ」
作戦が始まろうとしていた。




