第63話 信者ー2
「おい天野───
本当にこれでいいのか?
お前はさっきから、リリスのことばかり。
パーティパーティ言うのなら、私たちのっ──
私の言うことも聞いたらどうだっ!」
零華の瞳は揺れ、唇はわずかに震えている。
「ま、待てよ落ち着け神崎。
……悪かった。
けど、今はリリスを優先して──」
言葉を紡ぐのに精一杯で、自分でも何を言っているのかよく分からなかった。
零華が胸ぐらを掴むその手を離すと、悠人は力無く地面へと叩きつけられる。
打った尻が痛い。
「俺はっ──
”心”の可能性を信じたいんだっ!!」
悠人は叫んだ。
理解してもらえると信じて、胸の内をとにかく曝け出す。
「俺はっ──
理屈ばっかり信じて失敗したっ
……だから信じたいんだよ──
”心”をっ───
頼むっ」
悠人はその場に土下座する。
「──なら、私たちの”心”はどうなの?」
返ってきた零華の言葉は端的で、それでいて、冷ややかだった。
悠人の心は静かに、次の行動を模索し始める。
静まり返った林の中で、空気だけが重く沈んでいた。
湿った土と朽ちた葉の匂いが鼻腔をくすぐり、森の奥深くに差し込むわずかな光が、木漏れ日となって地面に不規則な模様を描く。
頭上では葉と葉が擦れ合う微かな音が波のように押し寄せ、それがかえって耳の奥に痛いほどの静寂を際立たせていた。
悠人の前に立つ零華の表情は、失望を超えて、諦めに近い。
茜は視線をそらし、拳を強く握りしめる。
その手のひらは白く、指先の震えが微かに見えた。
彼女は、今の状況を「最悪」だと静かに叫んでいる。
仲裁に入ることも、笑って誤魔化すこともできない。
リリスという存在が突きつけた非情な論理と、それを真っ向から否定しきれなかった悠人への拒絶感が、彼女の言葉を奪っていた。
「もう無理よ」
零華はポツリと告げる。
すると、地面にうずくまって顔だけ上げているみっともない男に背を向けた。
「リリスを止められなかったのも、あんな宣言を許したのも……
天野、お前が決断しなかったからだ」
その言葉は冷たい刃のように悠人の心を突き刺す。
頭では理屈が理解できても、心は受け入れることができず、胸の奥で後悔と無力感が渦を巻いていた。
まだ悠人の心の中では、リリスに対する対応は変わっていない。
今も頭の中には、どう周りを説得するかしかなかった。
肺に吸い込まれる空気は鉛のように重く、吐き出すたびに体温を奪っていく。
目の前の二人の存在感、視線の鋭さ、空気のすべてが、理屈や言い訳を許さない。
彼女たちが求めていたのは、リリスに対しての主としての冷徹な命令か、あるいは共に歩む仲間としての誠実な対話だった。
そのどちらも選べず、ただリリスという奇跡に縋りついた悠人の弱さが、今はっきりと弾劾されている。
木漏れ日の中で影が揺れ、零華が歩き出し、その足が地面に触れるたびに落ち葉の乾いた音が自分の内側にも響いていった。
そのカサリという音が、まるで心の一部が剥がれ落ちる音のように聞こえてくる。
「待ってくれっ───」
反射的に零華を止めかけたが、すぐに言葉を失った。
説得できるだけの根拠はなく、目の前の二人の視線と表情が、その言葉を無効化する。
これまで「リアル生成AI」という未知の力を巡って散々会話してきた。
だが、今回リリスが放った
「ライバルの排除」
という言葉は、パーティという絆の根底を破壊するには十分すぎる毒を持つものだった。
しばらく零華が歩くと、一瞬立ち止まり、悠人の方へ、少しだけ顔を動かした。
悠人の位置からでは、彼女の表情を認識することはできない。
「私は……
これ以上、理屈だけで人を傷つける存在を見過ごせない。
パーティ遊びは……
ここまでよ」
冷たい声でそう告げると、再び零華は歩き出した。
声の奥には理屈を超えた感情の重みがあり、その響きは林の奥まで届く。
静寂の中に彼女の決意がじわじわと染み渡り、森全体がその決意に包まれるかのように静まり返っていった。
鳥のさえずりさえも消え、ただ風が吹き抜ける音だけが、世界の終わりのように鳴り響いている。
叫びもなく、涙も流れない。
ただ、信頼と絆の断絶が静かに確定していた。
それは死よりも重く、回復魔法でも癒やせない致命的な裂傷に他ならない。
葉の揺れ、枝が折れる微かな音、落ち葉が踏まれる音……
すべてが緊張と沈黙を増幅させ、悠人に重くのしかかってきた。
零華はそのまま木々の奥へと姿を消す。
その背中はあまりにも頑なで、もはや何を言っても届かない絶望を突きつけていた。




