第61話 恋愛ゴーレムー3
散らばる瓦礫を器用に踏み越え、破壊された壁の死角へと身を投じていく。
遠ざかるその背中に、一切の迷いは見えなかった。
「待ちなさい、神崎零華。
あなたのその姿は、客観的に見てまさに敗走。
負けヒロインにふさわしい醜態ですが、今の状況においては死んでもらうのが最適解です。
速やかに潰されてください。」
それは、どこまでも冷酷な機械音声だった。
感情の抑揚は完全に排除され、ただ冷徹な結論だけを告げる。
リリスはゴーレムを操り、茂みの方へと逃げ延びた神崎を追って本格的に動き出し始めた。
一般人のいない街外れまで敵を巧みに誘導すると、零華は意を決してリリスの方へ振り向く。
舗装されていた道路はいつの間にか途切れ、踏み固められた土と青々とした雑草が目立つ場所へと、周囲の景色は様変わりしていた。
背後に遠く見える街並みは、離れた距離に伴って徐々に小さくなり、建物の輪郭もどこか曖昧に霞んでいる。
人の気配は周囲にほとんどなく、代わりに風に揺れる草葉の音と、遠くで小さく鳴く鳥の声だけが耳に届いた。
(──ここまで引き付ければ、十分ね。)
零華はそう心の中で判断し、勢いよく足を止めた。
「今よ、悠人!!」
限界まで張り上げた声が、周囲の張り詰めた空気をビリビリと震わせた。
放たれた合図は短く、明確。
それ以上の長々とした説明など不要だった。
これまでの過酷なやり取りと、泥臭い動きの積み重ねが、互いの意図を十分に共有させている。
「マスター……?」
ゴーレムの頭部に乗っていたリリスが、不審そうに振り返る。
その方向転換の動作は機械的でありながらも、先ほど見せたようなわずかな遅れを含んでいた。
光学センサーとしての視線が下方へと向けられ、現在の状況を再確認するための膨大な演算が脳内で走る。
リリスの眼下には、全速力でゴーレムの進路を追いかけてくる悠人の姿があった。
激しく息を切らし、足元の不安定な土壌を必死に踏みしめながらも、その前進の動きは決して止まらない。
その背には茜がしっかりと背負われており、激しい揺れに耐えながら、手元が輝き、悠人に何か強化魔法をかけているのが分かった。
淡い光の輪が幾重にも空中に描かれ、奔流する魔力の流れが周囲の大気を不自然に歪ませている。
「うぉおおおっ」
一定の距離まで来ると、茜は悠人の背中から飛び降り、悠人はその瞬間、ゴーレムへ向けて飛んだ。
ゴーレムに触れると、そのまま悠人は叫ぶ。
「スキル、分解しろっ」
命令が響いた瞬間、お腹に響くような鈍い轟音が響き渡り、ゴーレムの巨大な動きが明確に瓦解する。
分解命令が拒まれるような感化機にも襲われた。
リリスによる抵抗だろう。
だが、悠人の強烈な命令には逆らいきれず、そのまま”分解”ではなく、ゴーレムは、”崩壊”していった。
崩れた巨体は自重に耐えきれず、完全にバランスを崩し、そのまま前方へと激しく倒れ込む。
地面が大きく震え、大量の土が跳ね上がり、周囲の草木が容赦なく押し潰されていった。
あたり一面には濃い土煙が立ち込め、湿った土の匂いと踏み荒らされた青い草の匂いが不快に混ざり合う。
視界が急激に遮られ、一瞬だけ周囲が何も見えなくなるが、その混沌の中で、確かに敵を“止めた”という手応えが伝わってきた。
ゴーレムの動きは、今度こそ完全に停止する。
「みんな無事か!!」
激しく飛び散ったゴーレムの瓦礫の真っ只中で、三人は互いの安否を確認するように一箇所へ集まった。
石片が転がる微かな音と、崩れ落ちていく残骸の静かな余韻が、激しい戦闘の終わりを告げている。
悠人の声は大きく、興奮のあまり少し上ずっていた。
それは安堵と緊張が複雑に入り混じった叫び。
自分自身の身体の無事よりも、何よりもまず仲間の状態を確認せずにはいられなかった。
「……最悪」
零華は短く不機嫌そうに吐き捨てながら、悠人の前に不意に姿を現す。
身につけた服は酷く汚れ、美しい髪にも土埃が付着しているが、幸いにも致命的な怪我は見当たらない。
軽く自身の肩を回し、身体の駆動状態を確かめているその様子からも、無事であることが十分に確認できた。
「おぉ、神崎、無事だったか。」
悠人はその健在な姿を目にして、ようやく胸を大きく撫で下ろす。
「でも、ちょっとだけスッとしたわ」
零華はそう言葉を付け加え、小さく安堵の息を吐いた。
「ふふっ、初めてこんなにうまく連携できたんじゃない?
私たち。」
茜が悠人の背中から軽やかに降りながら、いたずらっぽく笑う。
その晴れやかな笑顔には深い疲労が滲んでいるが、それ以上に大きな達成感が満ち溢れていた。
乱れた息をどうにか整えながら、互いの無事を確かめ合うように、優しい視線を交わし合う。
零華もそれを見て小さくため息をつき、ようやく肩の強張りを抜いた。
わざわざ言葉にはしないものの、全員が同じ確かな手応えを抱いていることは明白だった。
積み上がった瓦礫の向こう側で、ゴーレムの無残な残骸がギチギチと軋む音を立てる。
その崩落の中心から、リリスがゆっくりと姿を現した。
華奢な外装には激しい土埃が付着し、ところどころに痛々しい擦り傷が刻まれているものの、彼女の動作自体に大きな機能的問題はなさそうに見える。
無言のまま、リリスは集まった三人の様子をじっと見つめている。
その無機質な視線は一見すると感情を帯びていないように映るが、その内部の演算回路では膨大な情報が超高速で処理されていることを、悠人は不思議と感じ取っていた。
「データ、更新」
埃まみれになった状態でも、発せられる声は相変わらず淡々としている。
「ライバル排除以外の手段による、関係維持行動を確認。
しかし、論理的に見て依然として非効率です」
現在の状況をただ正確に報告するための定型句のように、その冷淡な言葉が紡がれた。
導き出された結論自体は相変わらず厳しい。
それでも、彼女の口から“確認”という単語が含まれている事実それ自体が、何よりも大きな変化を物語っていた。
排除という一択ではない不確定な可能性を、彼女のシステムが少なくとも認識し始めている。
「効率だけじゃ、物事は決まらないんだよリリス。」
悠人はそう静かに語りかけ、力強く一歩前へと出る。
視線を決して逸らさず、彼女の真正面から真っ直ぐに向き合った。
「”ラーニング”できたか、お前も。
幸い、街に犠牲者はいない。
ゴーレムを暴走させた件も、ちょっと周囲への罪悪感はあるが……
新種のモンスターのせいにして、どうにか誤魔化せるはずだ。
破壊された店には、後日何か役立ちそうな生成物でも、こっそりお気に入ってくるよ。」
目の前にある現実的な問題を一つずつ整理しながら、噛み締めるように言葉を続ける。
一見すると軽口のようでありながら、その言葉の裏には、この状況の責任をすべて引き受けるという明確な覚悟が滲んでいた。
「さぁ、リリス。
俺たちと共に、仲間として新しく歩もう。」
そう優しく告げて、悠人はリリスに向かって右手をまっすぐ差し伸ばした。
差し出されたその手は、決して震えてはいない。
たとえこのまま拒絶される可能性があったとしても、その結果ごとすべてを受け止めるだけの覚悟がそこにはあった。
「マスター……」
リリスは静かにゴーレムの残骸から降りてくる。
ガラガラと崩れる瓦礫を慎重に踏み越え、ゆっくりと悠人の元へ近づくと、差し出されたその手をそっと掴んだ。
触れた瞬間、機械としての力加減を繊細に調整するような一瞬の迷いが見られ、それからすぐに、今度はしっかりと握り返される。
見つめてくる彼女の瞳は、今まで過ごしたどの時間よりも、不思議と深く輝いているように見えた。
システム上の数値では決して表せない決定的な変化が、確かにその場所に存在している。
悠人は、人間としての”心”の価値を彼女に証明することがひとまずできたようで、心底ほっとしたようにため息をついた。
リリスが悠人の手を掴み、その瞳を今まで見たことのないくらい輝かせている。
悠人もつられて微笑んだその時、リリスは前触れもなく、唐突に宣言した。
「マスターの愛は、茜さんではなく、私にあるということですね!」




