第57話 危機感
それから悠人たちは元来た道を引き返し、昨日辿ったルートと同じ道まで戻る。
昨日と同じルートを、今度こそ慎重に進んだ。
「あれ、ない──」
だが、昨日と同じルートを進んでいるはずなのに、そこにあるべき道がどこにも見当たらない。
本来ならば、あの人工的な意匠が施され、研究施設のような空間が隠されている通路。
しかし、今はそこにただ岩の壁がそびえ立つのみであった。
その空間はT字型になっており、若干の左右の広がりはあるものの、やはりどちらを見渡しても通路のようなものはない。
「どういうことなの───」
「ちょっと待ってくれ。
今、炎を生成する!」
悠人は背負ったリュックから、中に入っている”薪”を取りだす。
この薪は事前に生成しておいたものだ。
鉛筆ほどの大きさと太さしかないが、十から十五分程度、かなりの大きさの炎を維持し続けることができる便利な代物である。
悠人はその薪を左右二ヶ所の地面に置くと、”明るい炎”を生成して、それぞれに火をつけた。
通常の炎よりも強く輝くそれは、行き止まりとなっているあたり一帯を隅々まで照らし始める。
炎は、不定形なためか、物理生成扱いされずに生成することができた。
「──ないな。
やはり、ぱっと見は行き止まりになってしまっている」
明るくなった通路の四隅を詳細に点検しても、そこには何もない。
「……私たちが立ち入ったこと、バレちゃったってことなのかな」
茜と零華が困惑の色を隠せない中、悠人はリリスを頼ることにする。
「だとしたら、誰が塞いだかが重要だ。
リリス、分析を頼む。
昨日やったみたいに、色々隠し扉とか──」
「ないです」
「ここだけじゃなくて、他にもさ──」
「ないです」
「そ、そうなのか……?」
きっぱりと断言するリリスに、悠人は違和感を覚える。
思えば、いつも彼女は確率を用いて全ての事象を示していた。
それが今では、ただ機械的な否定を繰り返すのみとなっている。
「それよりも、ここに留まっていると、隠蔽した何者かがやってくる可能性が高いです。
ダンジョンに細工ができる以上、かなりの実力者でしょう。
引き返すことを提案します。
特におすすめなのが、ボスを倒して、ダンジョンクリアを目指すことです。
ダンジョンごと消失させてしまえば、そのダンジョンに細工をした何者かに、好き勝手できなくさせることができます」
リリスにしては珍しい断言。そして、ダンジョンを消滅させることを強く提案する発言。
悠人はリリスに対し、疑念の視線を向けざるを得なかった。
(何か隠そうとしているんじゃないのか──?)
そう思ったのは悠人だけではないらしく、茜と零華もまた、リリスを疑うような視線を送っている。
「もう少し、探してみましょう。
リリス、そっちの方を頼むわ。
茜はこっち」
零華がそう告げると、皆は指示通りに散らばって調査を開始した。
狭い空間であるため、誰かを見失うような心配はない。
「……ねえ、天野」
皆が黙々と壁を調べている中、零華が悠人に近づく。
呼びかけは唐突であったが、そこに伴う感情的な棘はない。
悠人は一瞬、呼ばれたことに気づくのが遅れてから顔を上げた。
目の前には零華が佇んでおり、少し後ろの、零華の声が届く距離には茜が位置している。
「お前がリリスを信じたい気持ちは、わかる」
その言葉に、悠人は思わず目を見開いた。
てっきり否定から入るものと思っていたのだ。
警告か、あるいは釘を刺すような言葉が続くと身構えていた分、その理解を示す一言は、意外なほどまっすぐ胸に響く。
「でも、知っておいてほしいことがある」
続く言葉はどこまでも慎重であった。
「私はね、理屈がすべての場所で育ったの。
──正しさは数値で示されて、失敗は即座に切り捨てられる。
感情は邪魔なノイズで、結果を出せない理由にすぎなかった」
火がぱちりと小さな音を立てる。
そのたびに影が揺れ、零華の表情を一瞬だけ歪ませた。
「だから、最初はリリスのやり方を見て、理解できてしまった。
効率的で、無駄がなくて、目的に忠実だったから」
言葉を一つひとつ置くように、静かに続ける。
「でもね……
それで壊れたものも、私は見てきた」
悠人は黙って耳を傾ける。
零華の声は静かだが、その奥にあるものは、決して他人が簡単に触れていい領域ではないと感じていた。
「正しい判断を積み重ねたはずなのに、最後に残ったのは孤立だけ。
誰も信用できなくなって、誰からも信用されなくなった」
零華はそこで一度言葉を区切り、道端に落ちていた小枝のようなものを火の中へと放り込む。
炎が一瞬だけ勢いを増し、熱が顔に当たった。
「だから、お前の言葉が……
その、信頼だとか、対話だとかが、ただの綺麗事には聞こえなかった」
その告白は、悠人の胸に静かに染み込んでいく。
思えば、零華がここまで自身の内側を語ることは、これまでほとんどなかった。
「危うい選択だとは思う。
甘いとも思う。
でも……
間違っていると、切り捨てるほど単純でもない」
茜はそのやり取りを、黙って聞いている。
視線は二人に向けられているものの、そこに割り込む様子はない。
悠人は、しばらくの沈黙のあとに口を開く。
「……ありがとう」
紡いだのは、それだけだった。
長い返事をすることはできなかった。
だが、その一言に、今の率直な気持ちは十分に込めたつもりだ。
零華は小さく息を吐き、視線を上げる。
「勘違いするな。
全面的に賛成したわけじゃない。
警戒は続けるし、間違ってると思ったら止める」
「あぁ」
「それでも……
見届ける価値はあると思っただけだ」
その言葉によって、空気がわずかに緩んだ。
張り詰めていた見えない糸が、完全ではないにせよ、少しだけ弛んだ感覚を覚える。
淡々とした口調ではあるが、その奥には、長い間抑え込まれてきたものが滲み出ていた。
「ただ、しこいと思うけど──
感情を“最適化対象”として扱う存在を見ると、どうしても重ねてしまうの」
零華はちらりとリリスに目をやる。
その視線には、警戒心と理解、そして不安が混ざり合っていた。
火の明かりが微かに揺れるたび、瞳に映るリリスの表情もわずかに変化して見える。
「人を、人として見ない仕組みを」
周囲の空気は、さらに静まり返っていった。
「リリスを否定するわけじゃない。
未知の可能性を秘めているのは、私もよく理解できる。」
零華の言葉は柔らかく、しかし強い意志を含んでいる。
「でも、今の彼女は危うい。
善意で、誰かを壊しかねない」
茜は小さくうなずく。
視線は炎へと落とされているが、目の奥には不安と警戒が入り混じっていた。
表情には出さないものの、微かな体の動きや指先の緊張から、心の中で激しく揺れている様子が伝わってくる。
「……私も、ちょっと怖かった」
茜の声は微かに震えていた。
火の揺らめきに紛れてしまいそうなほど小さいが、確かに聞こえてくる。
「最初は興味かったけど、いつの間にか、気持ちが置いていかれてる感じがして」
その言葉が落ちると、火の明かりが一層激しく揺れたように見えた。
火の熱が手元の石や地面に微かに反射し、周囲の空気をわずかに温める。
悠人は火を見つめながら、リリスのことを考えていた。
停止コード再び生成すればすぐに停止できる。
しかし、やはりそれは自分が与えた感情や信頼を否定することに他ならない。
そもそも人間だって反抗する。
零華は火の明かりの向こうで目を細め、ゆっくりと息を吐いた。
その佇まいがわずかに揺れる。
火の揺らぎに照らされた瞳が、決意と不安の入り混じった深い色合いを帯びていた。
茜もまた、火の光に顔を向け、視線を揺らしながらも呼吸を整えていく。
言葉では表現しきれない不安や恐怖がそこにはあった。
しかし、この空間の静けさがそれらを少しずつ和らげ、存在の確認という名の信頼を育んでいる。
リリスは、いつになく静かに通路がないか捜索していた。
目は壁に向けられ、微細な動きがあるだけで表情は変わらない。
しかし、その静けさは単なる無機質ではなく、周囲の感情を吸収し、内部で情報を処理しているようにも感じられる。
数値や効率だけでは決して測れない、存在の重みを放っていた。
「やはり、見つかりません、マスター」
「そうか、ありがとうリリス、探してくれて」
悠人の言葉を最後に、再び空間に静寂が訪れる。
空間の静寂は、互いに感情や意志を確認する時間となった。
信頼、恐怖、不安、理解。
口にせずとも存在するだけで、互いの気持ちや決意を感じ取ることができる。
目の前の炎と互いの存在だけが、確かな現実であった。
存在するということの意味や、信頼の重さを、全員が肌で感じている。
零華と茜は、黙ってリリスを見つめていた。




