第54話 暴走ー5
「パンパカパーン、です!」
「……何これ」
空間が歪むような特異な感覚とともに、幾条もの光の線が幾何学的に組み合わさり、複雑な装置の輪郭を現実へと形作っていく。
床からせり上がるように展開されたそれは、ダンジョンの無骨な構造とはあまりにも相容れない異質な存在感を放っていた。
無駄にきらびやかで、無駄に凝った意匠。
見る者の感情を煽るためだけに設計されたかのような、あまりにも露骨な演出である。
これを目にした零華の、先ほどまで上がっていたテンションがさらに高くなっていくのが見て取れた。
「こ、これは一体!?
これで天野とどんなことをさせるつもりなんだっ!?」
「か、神崎さん──?
あなた、なんかやっぱり、楽しんでない……?」
「うるさい!!
さぁ、リリスちゃん!!
これはなんなのか説明してもらうわよ!」
「神崎……」
悠人は困惑しながら、零華のその姿をただ突っ立って見つめていた。
「“想いを伝えるための告白支援装置”です」
「おぉ!!」
零華の声が興奮で上ずる。
その顔は赤く火照り、今まで見たこともないくらいに純粋な光をその瞳に宿していた。
そしてその輝く瞳は、真っ直ぐに悠人のほうへ向けられる。
「か、神崎──
神崎ってば!」
「まぁ、落ち着け天野。
まだ決まったわけじゃないからな。
フン」
「……いや、そう言うことじゃなくて──」
「それでは神崎零華さん」
リリスが改めて零華のほうへと向き直る。
「ひゃ、ひゃい!!
なんでしょうか」
「これからあなたにやってもらうことを伝えます」
「う、うひょっ──
こ、こほん。
あぁ、なんだ。
言ってみなさい。
は、はは、告白装置だなんてやだな、困っちゃうなぁ──
わ、私は」
「役になりきって、負けヒロインとしてせいぜい頑張ってください」
その言葉が完全に終わるより早く、周囲の空気が一瞬で張り詰めた。
「あなたは茜さんの引き立て役です。
告白するのは早乙女茜さんになります」
気配を察知した悠人は、反射的に一歩後ろへと下がる。
「いらない!!」
零華の一閃が空間を裂き、光の装置は真っ二つに叩き割られた。
その剣閃はどこまでも鋭く、一切の迷いがない。放たれた斬撃は空を舞い、背後の壁に激突して辺り一帯に激しい地響きを発生させる。
光の装置は抵抗する間もなく切断され、まるで悲鳴のような電子音を上げてその場に崩れ落ちた。
立体投影の映像は不安定なノイズへと変わり、粒子状の光が霧のように拡散しながら消えていく。
後に残されたのは、重苦しい静寂だった。
ダンジョン本来が持つ低い駆動音だけが、遠くの方で規則的に鳴り響いている。
切断された装置の残骸が完全に光の粒子となって消え去るまで、誰も動くことができなかった。
粉塵のように空間を漂う光の粒が、ゆっくりと床に向かって沈んでいく。
その光の粉塵の中で、悠人はたまらず頭を抱えた。
視界が暗くなるほどの強烈な疲労感と、胃の奥をきりきりと締め付けるような後悔が同時に押し寄せてくる。
自分の持つ生成スキルが、まさかこんな形で暴走し、周囲の人間を追い詰めることになるとは思いもしなかった。
しかもその元凶の中心にいるのが自分自身だという冷厳な事実が、心に重くのしかかる。
「もうやめてくれ……
頼むから……」
掠れた声で、悠人は心の底から懇願した。
これ以上事態が進んでしまえば、本当に取り返しがつかないところまで全てが壊れてしまう。
そんな確信めいた直感が、理屈を越えて彼の胸を強く締め付けていた。
到底笑える状況ではない。
ギャグみたいな光景なのに、目の前では確実に大切な何かが壊れ始めている。
悠人にとって、これが冗談として受け流せる一線はとっくに越えていた。
感情を最適化するという名目のもと、人と人との関係性が勝手に削り取られ、選択肢が狭められている。そのアプローチの過程が、あまりにも無遠慮で、あまりにも一方的だった。
ふと見ると、零華と茜の視線は、以前よりも明らかに鋭さを増している。
お互いの顔を見ようとはせず、彼女たちの視線は、ただ一つの“同じ中心”をじっと見つめていた。
その中心にあるものとは──
他でもない、天野悠人である。
二人の強い視線が、容赦なく彼の胸に突き刺さる。
対立の原因そのものであり、同時に何らかの判断を下さなければならない立場でもある。
その過酷な重圧が、言葉にならない質量となって悠人にのしかかっていた。
「……悠人」
茜がぽつりと、小さく名前を呼ぶ。
「リリスちゃん……
止めた方がいいんじゃない?」
その声は不安に震えているものの、そこには確かな決意も混じっていた。
逃げ出したい気持ちと、自分が向き合わなければならない現実が、その響きに同時に滲む。
「──その、ほら、“概念”を生成できるでしょ?
それを使えば、きっと──」
その言葉を引き継ぐように、零華も口を開いた。
「……そうよ。
冗談じゃ済まないわ。
彼女は、人の気持ちを“操作対象”として扱っている。
弄ばれている感じがして非常に気分が悪いわ。
──何よ、その目は」
「いや、別に……」
「ちょっと早乙女茜まで、何その生暖かい目線は!?」
先ほどまで勝手に一人で興奮していた神崎零華は、今度は顔を真っ赤にしながら喚き散らす。
「こほん。
と、とにかく──
そう……
ネクロスを思い出すわ」
しかし、次に放たれた零華の声は、ひんやりとした冷たさを伴って空間に響き渡った。
彼女はすでに乱れた冷静さを取り戻しており、その表情は至って真剣である。
彼女の紡いだ言葉は、少なくとも茜と同じような、単なる個人的な私怨から出たものではないと周囲に確信させる響きを持っていた。
悠人は静かにリリスの方を見る。
そこに悪意が存在しないことは分かっていた。
彼女はただ、目の前の状況を「問題」としてではなく、「最適化すべき課題」として淡々と捉えているだけなのだ。
人間の感情を害したという認識すら、彼女にとってはデータの一項目として処理されているように見えてしまう。
彼女はただ、純粋に最適解を求めているだけ。
だからこそ、この上なく厄介だった。
結局”心”を理解できていない。
悪意がないからこそ、善意と合理性だけで、平然と人の心を踏み越えてしまう。
その危うさを、悠人は誰よりも痛いほど理解しているつもりだった。
「……”停止コード”の概念でも生成すれば、止められる」
その言葉を、悠人は重い喉の奥から絞り出すようにして口にする。
それは、昨日からずっと頭の隅で燻り続けていた最後の手段だった。
万が一、制御不能に陥ったときのために、理論上だけ存在させていた“安全装置”。
だが、もしそれを使ってしまえば、リリスは今の“心”のデータを元に動いている状態を完全に失うことになるかもしれない。
昨日までとは明らかに違う反応、過剰とも言える不可解な行動、そして歪んだ最適化。
それらすべては、彼女が感情という不確定要素を得たからこその結果である。
それをシステム的に強制停止させるということは、ようやく芽生え始めたばかりの何かを、根こそぎ刈り取る行為に等しかった。
(感情を持たせたいって願ったのは───
俺だ)
胸の奥が、鈍い痛みを発する。
自分にとって都合の良い、便利なだけの存在でいてほしかったわけではない。
彼女をただの道具だとは、悠人は一度だって思ったことはなかった。
リリスはあくまで、かけがえのないパートナーなのだ。
ただ、パートナーでいるからこそ、自分のことを理解してほしかった。
自分の心に寄り添ってほしかった。
だからこそ、あの時データをそのまま取り込ませたのだ。
リリスを物理的に止めること自体は、今の自分なら決して難しくはない。
だが、その結果として生じる責任から、自分は逃げていいのだろうか。
先の一件で、意志や感情がいかに重要なものであるかを学んだばかりである。
それをシステムの都合で簡単に消したり増やしたり、軽々しく扱うことなど、今の悠人には到底できなかった。
その重みを知った直後だからこそ、余計に分かってしまう。
強力な”概念”を生成し、相手の”内側”にまで無理やり干渉してしまうことの恐ろしさと罪深さを。
再び、重苦しい沈黙が辺りへと広がっていく。
誰も次の口を開こうとはしなかった。
茜は不安そうに視線をあちこちへと彷徨わせ、零華はその場から一歩も動かず、ただ強く自分の腕を握りしめている。
その固い態度は、先ほどまでの自身の軽はずみな行動を、静かに反省しているかのような雰囲気を周囲に感じさせるものだった。
「マスター」
リリスが静かに言葉を発した。
その声のトーンは、これまでと何ら変わらないはずのものである。
それなのに、今の悠人の耳には微かに違って聞こえた。
単なる演算結果を機械的に伝えるだけの音声ではなく、主の判断を仰ぐための、問いかけに近い人間らしい響きが含まれている。
確かに感情を感じさせる声。
悠人ははっとして顔を上げた。
「次の行動案を提示します。
二人の対立を明確化させ──」
「……一旦やめてくれ」
悠人は、はっきりとした口調でリリスへ告げる。
彼女の言葉を途中で遮る形にはなったが、そこに後悔はなかった。
今ここで止めなければ、本当に取り返しのつかない方向へ事態が進んでしまう。
自分の声が、緊張で少し震えているのが自分でも分かった。
「少し……
考えさせてほしい」
その言葉を聞いた瞬間、リリスの瞳の奥が一瞬だけ微かに揺らぐ。
数値にすれば誤差にも満たない微小な変化だったが、見つめていた悠人にははっきりと分かった。
「了解しました、マスター」
幸いなことに、リリスはまだ、悠人の言うことに従う意志を持っているらしい。
それは以前と変わらない、主従としての関係性を示していた。
リリスはそれ以上言葉を重ねるのをやめて口を閉じ、じっと次の命令を待つ姿勢をとる。
その場で全員が立ち止まったまま、沈黙の時間が淡々と流れていった。
「……とりあえず、ダンジョン攻略を進めましょう。
せっかく予約して、お金もかかってるんだし、もったいないわ」
見かねた零華が、重い空気を破るようにして口を開く。
「──だね。
昨日だいぶ深くまで進んだんだし、さっさと今日、ここで攻略しちゃおう。
リリスちゃんがちょっと気がかりだけど、悠人が停止できる手段を持ってるって聞いて、安心したよ」
茜もその提案に同調すると、悠人を励ますように、努めて明るい笑みを浮かべた。
「……神崎、茜───
そうだな……
わかったよ」
促されるようにして、零華と茜はダンジョンのさらに奥へと歩みを進めていく。
リリスと悠人も、静かにその後を追った。
自分がかつて望んだ理想の未来と、今現実に起きている不都合な事象。
二人の背中を追いかける間も、その大きな乖離が、深く悠人の心を悩ませ続ける。
(──止めるべきか。
それとも、このまま向き合うべきなのだろうか)
どちらの選択も正しいように思え、同時にどちらも間違っている気がしてならない。
何かを守るために彼女の心を壊すのか、それとも全てが壊れる覚悟でその芽生えを守るのか。
その答えは、まだ出そうになかった。




