第53話 暴走ー4
「え?」
「は?」
茜と零華が、同時に素っ頓狂な声を上げる。
「ななななにそれ!?」
茜は目を大きく見開き、視線を悠人とリリスの間で何度も往復させた。
朝日を浴びたその表情には、戸惑いと困惑がはっきりと浮かんでいる。
頬がわずかに赤く染まり、目のやり場に困っている様子が誰の目にも明らかだった。
何より、期待に反してリリスの異常は結局、治っていなかったのだ。
悠人は再びその場で硬直する。
もしも治っていなかったら。
そんな未来は考えたくなかった。
だが、現実はそれほど甘くはなかったようだ。
「……り、理由を聞いても?」
「恋愛成就確率を最大化するためです。
二人きりの行動は、親密度上昇に極めて有効です」
返ってきたのは、あまりにも淡々とした説明。
数値と効率だけで冷徹に構築された結論。
昨日の宣言と同じ異様な匂いが、はっきりとそこには漂っていた。
朝の爽やかな空気とはおよそ不釣り合いなほど、生々しい論理が目の前で展開されていく。
茜は言葉を失い、口を開けたまま茫然と固まっていた。
零華の視線はさらに鋭さを増し、悠人の背中には嫌な汗がじわりと伝う。
とても冗談として笑い流せる雰囲気ではない。
その緊迫した事実だけは、この場の誰の目にも明らかだった。
「き、却下!!」
悠人は即座に大声を張り上げる。
「そんなこと頼んでない!」
思わず絞り出したそれらの叫びは、ダンジョン内部の無機質な通路に反響し、乾いた残響となって虚しく返ってくる。
「ですが、目標は──」
「その目標自体が間違ってるって言ってるだろ!」
リリスの言葉を遮るように、悠人はさらに声を張り上げた。
理屈による制御ではなく、抑えきれない感情が先に口から出る。
冷静でいなければならないと頭では分かっていても、勝手に物事を定義され、勝手に最適化され、勝手に行動へ移されるこの異常な状況に、強い拒否感と激しい焦燥感が湧き上がっていた。
リリスは淡々と、機械的に視線を動かす。
その動きは滑らかでありながら、人間の持つ感情の揺れを一切感じさせない。
まるで悠人の拒絶をただの不要なノイズとして処理し、自らの目的のために必要な情報だけを抽出しているかのようだった。
「零華さんは、単独行動を推奨します。
現在、マスターとの感情的距離が障害要因となっています」
リリスは何事もなかったかのように零華の方へ平然と顔を向けると、そう言ってのけた。
あまりにも直接的で配慮のない宣告。
人の感情を“距離”や“障害要因”などと無機質に表現するその言葉に、温かみなど一切存在していない。
「……そう」
零華は短く答える。
その声には感情がほとんど含まれていないものの、彼女が剣を握る手には、わずかに強い力が込められていた。
「随分とはっきり言ってくれるじゃない」
「ちょ、ちょっと待って!」
茜が慌てた様子で二人の間に割って入る。
「ねぇ、まってよ。
それって私が悠人に“選ばれてる”って意味?
え、えへへ───」
「ちょっと早乙女茜、今そんなこと言ってる場合──」
「茜さんは、マスターに対する好意表出頻度が高く、成功率が高いです」
リリスが容赦なく割り込むように報告を重ねてくる。
冷徹な分析はどこまでも続いていた。
数値化されたデリケートな感情が、ただのデータとして淡々と読み上げられていく。
「わーーっ!
言わなくていいから!」
茜は顔を真っ赤にして叫んだ。
その大声は通路に反響し、少し遅れて暗がりに消えていく。
彼女は両手で、完全に茹だった顔を必死に覆い隠していた。
その慌てふためく様子とは対照的に、零華の表情は冷酷に凍りついている。
悠人も、茜が一人で勝手に何か興奮している混沌とした状況が相まって、混乱して固まっていた。
もはやわけがわからない。
この場にいる人間がそれぞれ全く違う感情を抱いていた。
その直後のことである。
皆の目の前で、突然まばゆい光が展開され始めた。
何もなかったはずの空間に、白く柔らかな光が幾重にも重なり合い、綺麗な円を描くように広がっていく。
付近の木々が、その強い光に押し退けられるかのように後景へと追いやられ、異質な明るさが周囲を侵食してきた。
「……ちょっと今度は何──」
「な、何これ!?」
零華が困惑の声を漏らし、茜の声が恐怖で裏返る。
足元の感触が急激に変わり、それまで踏みしめていた硬い石の冷たさが薄れていくのが分かった。
まるで別の場所へと強制的に切り替わっていくような、非常に不安定な感覚が一同を襲う。
「簡易イベント生成装置です。
疑似デート空間を生成しています」
やはり、これを発生させたのはリリスのようだった。
その無機質な言葉と同時に光の密度が一気に増し、一同の視界が一瞬だけ真っ白に染まる。
「っ──!?
リリス、お前っ……」
悠人は軽い眩暈に襲われ、思わず手で顔を押さえた。
視界の端がぐにゃりと歪み、思考そのものがどこかへ引きずられるような不快な感覚が全身に走る。
頭の奥深くで、非常に見覚えのある感覚が強制的に起動していた。
本人が意識していないはずのリアル生成AIスキルが、彼の意思を無視して勝手に稼働していたのだ。
自身のコストが、はっきりと削られていく不気味な感覚がある。
それは単なる数値ではなく、肉体的な疲労や精神的な圧迫感として生々しく実感される消費だった。
胸の内側がずっしりと重くなり、こめかみのあたりが鋭く痛む。
「リリスお前──
干渉できるのか……?
俺の頭の中に──」
必死に言葉を発しながら、悠人の中で恐ろしい理解が追いついていく。
リアル生成AIスキルは本来、悠人自身の明確な命令を伴って発動するものだった。
それが今は、外部にいるリリスの手によって勝手に操作されている。
「はい。
私はあくまでマスターのリアル生成AIスキルをもとに、あえて不安定に作られた生命体。
あなたの脳と私の頭の中に入っている“AIシステム”は直接リンクしており、マスターのリアル生成AIスキルを利用して、私が物体を生成することも可能となっています。
もちろん、ネクロスのスキルウィルスに汚染されていないので、私を介せば、物理的な生成も可能です」
リリスの説明はどこまでも理路整然としていた。
しかし同時に、物理生成に関する未知の仕様を突然知らされたことは、悠人の恐怖を激しく煽る。
そんな情報は完全に初耳だった。
自分の固有能力が、自分の手を離れた未知の場所で、勝手に使われているという恐ろしい事実。
何より、自分のスキルに関する極めて重要な情報をリリスが今の今まで共有していなかったという事実が、彼の背筋を冷たく凍らせていく。
「とりあえずやめろ!
だ、誰が作れって言ったんだ!!」
その叫びは、困惑と、呆れと、少々の怒りと後悔がぐちゃぐちゃに混ざり合った、悲痛なものだった。
ロボットのようだった彼女に
「感情を理解してほしい」
と願った結果が、これである。
確かに彼女は理解し、最適化し、実行した。
しかし、その冷徹な過程に、人間らしい迷いや躊躇は結局どこにも存在しない。
収束していく光の中から現れたのは、無駄に豪華な装飾が施されたベンチと、やたらとロマンチックな雰囲気を持つ照明だった。
曲線を多用した煌びやかな意匠、柔らかな色合いは、ダンジョンの無骨な構造とは完全に噛み合わない異質なデザインである。
壁際には意味もなく美しい花のような装飾が浮かび、足元には淡い光の粒子が幻想的に漂っていた。
過酷な戦場であるはずの場所に、完全に場違いな生成物が堂々と降臨している。
「……ふざけてるの?」
零華の声は、酷く静かだった。
しかし、逆にその静寂は下手な怒鳴り声よりも圧倒的な圧迫感を周囲に抱かせる。
「感情データによると、ライバル同士の緊張は自然消滅しません。
よって、刺激を与えるのが最適です」
リリスの声はどこまでも平坦を保っていた。
この状況の異常さを、彼女が一切認識していないことの証左である。
「刺激って、そういうの!?」
茜は半泣きになっていた。
声は激しく震え、語尾が情けなく上擦る。
「いい加減に──」
「零華さんには、別の役割を用意しました」
「……何」
零華は先ほどまでの刺々しい殺気をふっと消し、静かに耳を澄ませる。
その顔からは先ほどまでの強い不快感が消えており、むしろほのかに期待を膨らませているような印象さえ周囲に抱かせるものだった。
零華の態度がなぜか一旦落ち着きを取り戻していることに、悠人は困惑する。
同時に、嫌な予感が消えることはなく、冷や汗が頬から流れ落ちた。
昨日から続く“最適化”という不穏な言葉が、また別の最悪な形で現れるのは容易に想像がつく。
「さぁ、早く出しなさい!!
私のターンだわ!」
「ちょっと神崎さん?
ターンって何!
それに何でにやけているの!?」
「気のせいよ女!」
「お、女……?」
零華の口角は、確かに上がっていた。
湧き上がる興奮を隠せておらず、これからの展開に対する期待に満ち溢れたような顔をしている。
次の瞬間、零華の足元に巨大な立体投影が突如として出現した。




