第52話 暴走ー3
「待て神崎っ──」
悠人がその言葉を言い終える前に、零華の刃はリリスの頭へと到達していた。
「ぼっ」
リリスの間抜けな音と、鈍い衝突音が辺りに響き渡る。
衝撃のままに、リリスはその場で倒れ伏した。
「……」
倒れたリリスを、悠人と茜は依然として無言で見つめることしかできない。
倒れたきりピクリとも動かなかった。
しかし相変わらず淡い光を放ち続けており、それが、彼女の命が潰えていない証拠を示している。
あれほどの威力で零華が刃を振るったのにも関わらず、リリスの首と胴は繋がったままだ。
悠人は我が目を疑い、思わず目を擦った。
「安心しなさい、峰打ちよ。
気絶しただけ。
……多分」
「っ──!」
悠人はその言葉を聞いた瞬間、ようやく金縛りが解けたかのようにリリスの元へと駆け寄る。
リリスの身体を抱き起こすと、彼女の胸はかすかに上下しており、やはり光は放たれ続けたままであった。
確かに気絶しただけのようだ。
そして意識が飛んでいるからなのか、触れてみてもリリスの内部の状況を、悠人は確認することができなかった。
「どう?
そのAI、別に傷一つついてないでしょ?」
「──あ、あぁ。
ありがとう。
さすがだな、神崎。
……俺は、何も──
何もできなかった」
「……私も──」
茜も悠人に抱えられたリリスを見つめ、まだ心ここに在らずといった様子である。
先ほどの出来事がまるで夢であったかのように、周囲には重苦しい静けさが満ちていた。
「気にすることはないわ。
さっさと出ましょう。
あとはそのAIが目覚めてからよ」
「──そうだな」
悠人たちは老巨の街道を出ると、そこで茜と分かれ、その日はまっすぐに家へと帰った。
リリスを背中にしっかりと縛り付けた状態で、自転車に乗り込んで帰路に着く。
零華は行きと変わらずに徒歩で帰るようだったが、何か用事があるらしく、別の方向へと姿を消していった。
ペダルを漕いで、いま来た道を厳かに通っていく。
悠人は確かに、背中で眠るリリスの確かな体温を感じていた。
彼女がここからどこへ進むのか、よくわからない。
コンピューターはよく再起動すれば不具合が治ることがある。
彼女の場合はどうだろうか。
普段ならリリスに人間らしくあって欲しいと願うところだ。
しかし悠人は皮肉にも、その時だけは、彼女のシステムがコンピューターのように都合よくあって欲しいと願ってしまっていた。
◇
「おかえり、神崎。
どこにいってたんだ」
すでに日は完全に沈み、晩御飯の時間帯となっていた。
悠人が台所で晩御飯を作っている最中、零華がようやく帰宅する。
その手には小さな紙袋が握られていた。
「ボディカメラを中古ショップで探していたのよ」
「ボディカメラ……?」
「そうよ。
ミーネスの襲撃の件は、たまたま一人残さずこちらが“処分”することができたけど、いつもそうはいかないこともあるわ。
特に大きな権力を持っている集団と何かいざこざがあった時、面倒なことになりかねない。
だから一応、念には念を入れて、証拠を撮っておけるものを用意しておくのよ」
「……なるほど。
さすが神崎だな」
「──うるさい。
それより、リリスは?」
悠人はリビングのソファへと目をやる。
零華が視線を追うと、そこにはリリスが静かに寝かされていた。
相変わらず光を放ち続けてはいたが、心なしかその輝きは弱まっているように感じられる。
「帰ってきてからずっとあんな感じなんだ」
「──処理中って感じかしら。
……まぁ、いいわ、それより今日のご飯は何?」
「リリスがあんな状態だし、体に優しそうなメニューにしたんだ」
零華は照れ隠しのように目を背けると、鍋の方へと歩み寄った。
その後、夕食を食べている間も、お風呂に入っている間もリリスが目覚める気配はない。
夜が更け、悠人はリリスを寝室のベッドに横たえ、自らも眠りにつく。
「ます、たー……」
「……リリス!?
起きたのか!」
ベッドへ寝かせようとしたその時、リリスはうっすらと目を見開いた。
「もう少し──
時間が必要です──
おやすみなさい、マスター」
リリスのその挙動は、まるで本当の人間の仕草のようであった。
今までの機械的なそれとは明らかに異なっている。
「あ、あぁ!
ゆっくり眠れよ、リリス。
おやすみ」
悠人がリリスをベッドへ寝かせ、そっとタオルケットをかけると、すでにリリスは深い眠りに落ちていた。
相変わらず光を僅かに放っており、薄暗い部屋の中でリリスの輪郭が朧げに輝いている。
悠人は心配以上に、どこか期待を胸に膨らませながら、寝室の扉を静かに閉じるのだった。
◇
「おはよう悠人」
翌日、悠人たちは再び“老巨の街道”へと潜ることに決めた。
リリスは結局、朝になるとすんなり目を覚まし、相変わらず光を放ってはいたものの、昨日のようにおかしな言動をすることはなかった。
いろいろな状態確認を兼ねてのダンジョン攻略である。
まだ朝の空気が完全に温まりきっていない時間帯。
悠人たちは再び、C級ダンジョン・「老巨の街道」のダンジョンゲート前に集合する。
ダンジョンへと続く道には人影も少なく、石畳に落ちる足音がやけに大きく周囲に響いていた。
夜露を含んだ冷たい風が肌を撫で、まだ目覚めきっていない意識を無理やり覚醒させる。
最初に声をかけてきた茜は、いつもより少し硬い表情を浮かべていた。
無理に笑顔を作ろうとしているが、目の奥に不安と迷いが滲んでいる。
隣に立つ零華は腕を組み、静かにこちらの様子を窺っていた。
その視線は鋭く、些細な変化も見逃さないという強い意志を感じさせる。
二人の隣にある巨大なダンジョンゲートは脈打つように淡く赤みを帯び、その奥に広がる異界の存在を静かに主張していた。
朝の清々しい光を浴びても、その不気味さは一向に薄れない。
「おはよう、茜」
二人は昨日と同じく悠人よりも早くこの場所へ到着していた。
まだ集合時間の十分以上前だというのに、すでに全員が揃ってしまっている。
昇ってきた朝日が三人と、一体の姿を眩しく照らし出していた。
「色々ネットとかも見てみたけど、昨日のミーネスの件が騒ぎになった様子はなかったよ。
こっちの面では、大丈夫そう」
「そうみたいだな」
茜の視線は、もう一つの懸念している“面”に向いていた。
「悠人、神崎さん、あれからリリスちゃんどうだった?」
問いかける声は落ち着いているが、その響きにはどこか怯えているようなニュアンスがある。
昨日の恐ろしい出来事を踏まえれば当然の反応だ。
「──いや、あれから特に変わったことはないよ。
すぐにデータ処理のために休みます、なんて言って、
さっきまでリリスは眠ってたからさ。
そしてほら、こんな感じだ。
特に変な言動をすることもない」
言葉を慎重に選びながら悠人は答える。
嘘は一つもついていなかった。
昨日の会話、あの危険な結論、その後に訪れた沈黙。
それらを思い返すだけで、胸の奥が痛いほど締め付けられる。
だがそれはすでに過ぎ去った過去のことなのだ。
リリスは口を閉ざしたままで、朝目覚めてから確かに口数は少なかったが、逆に言うとそれだけだった。
「……そうなんだね」
茜はそれ以上深く追及しなかった。
本当に問題があるかどうかは、これからのダンジョン攻略で否が応でも見えてくるはずだ。
「──お、おはよう、リリスちゃん」
茜は様子見がてら、恐る恐るリリスにも挨拶を交わす。
声のトーンは普段よりも不自然に高く、ぎこちなさがはっきりと伝わってきた。
視線も、正面からではなく、少し逸らし気味である。
「──おはようございます、早乙女茜お姉ちゃん」
「え?」
「お、お姉──
ちゃん──?」
声は平坦で、昨日と変わらないようにも聞こえる。
しかしその表情に浮かんだ笑顔は、今までに見たことのない種類のものであった。
純粋で、一つの曇りもない、透き通った幼女のような笑み──
「か、かわいい……」
茜の口から、その言葉が感嘆とともに思わずこぼれていた。
悠人も状況がいい方向へ向かっていると確信し、胸中で思わずガッツポーズをする。
「これで問題は今のところ何もなさそうだな!」
「──うん!」
「よし、じゃあ行こうぜ、ダンジョン攻略の時間だ!」
「おぉっ!」
零華は同調せず、相変わらず腕を組んでその様子を少し引いた位置から眺めていたが、彼女の警戒心も幾分か緩んだように感じられた。
その口角が僅かに上がっている。
悠人たちは早速ダンジョンゲートを潜ってダンジョン内へと突入した。
昨日見た石造りの巨大な門の中を厳かに通っていく。
リリスの身体から発せられる微かな光は、朝日に照らされてもなお、かすかに揺らめいていた。
「やっぱり、モンスターはいないな。
このまま昨日進んだところまでさっさといっちまおうぜ」
「──そうね」
「うん!」
一瞬の沈黙が落ちる。
昨日は色々とトラブルがあったが、今日は全てがうまく行きそうな予感がしていた──
その瞬間だった。
「本日の行動提案です。
マスターと茜さんは二人で行動してください」
唐突に告げられた宣告。
空気が一拍遅れて完全に凍りつく。
悠人は驚いてあたりを見回すも、そこには零華と茜、そしてリリス以外に誰もいない。
その言葉は、確かにリリスの口から発せられたものであった。




