第50話 暴走
(──天野悠人。
生成スキルの使い手。
一体何を生成して刺客たちをあのような状態にしたのだろうか。)
研究室からネクロスが去り、鉢山は一人、部屋の隅で思考を巡らせていた。
(これまで俺はラーニング・ワン、ツーの状態を回復させるために、人間の“心“や“精神”の研究を行ってきた。
だが、もう時間はない。
こいつらのことは諦めて、やはり直接このような目にあわせたやつ──
天野悠人本人に聞き出すしかない。)
鉢山は、ここで目標を変更することに決める。
天野悠人が原因なのかは定かではなかった。
返り討ちにされる可能性も高い。
だから今、ネクロスは治療の方法を模索しているのだ。
安全に天野悠人を捕獲する方法を。
しかし、あのように詰められては、もう手段を選んでいる暇はない。
「鉢山隊長、どこへ。」
扉が開くと、ネクロスではなく、“第8”の部下が入ってくる。
「とにかく、ダンジョン内の研究施設に戻るぞ。
ここでは何もしてはならない決まりだからな。
例の派閥がうるさい。」
「”ゼニ山”のやつですか。
あの売国奴。」
「いいからいくぞ。」
鉢山は立ち上がると、その身を翻して出口へと歩き始める。
腕を上げ、部下についてくるよう指示を出した。
「……何かいい案が見つかったのでしょうか。」
「いや、何も。
ただ、もう少し研究すれば、何かヒントが見つかるやもしれん──
施設は現在どうなっている。」
「はっ。
現在は隊長の指示に従い、施設を閉鎖しております。」
「よし、今日の午後にはまた開けるぞ。
隊員に号令をかけろ。
研究を再開する。」
「はっ──」
部下を引き連れて、鉢山はC級ダンジョン・「老巨の街道」へと向かうことに決めた。
まだ朝日が登り始めて間もない頃。
彼は、悠人やミーネスの探索者たちによって、研究施設がすでに台無しにされたことを知る由もなかった。
◇
研究施設を離れ、重たい沈黙が続く中、悠人たちは、元来た道を引き返していく。
施設内の冷たい人工的な空気とは異なる、微かに湿り気を帯びた空気が全身に触れた。
今はこの環境に安心感さえ覚える。
そんな中で、リリスの放つ淡い光はひどく目立って見えた。
闇の中に落ちる光の筋がその輝きと交錯し、影を伸ばしたり縮めたりしている。
「……リリス、本当に大丈夫か?」
悠人は先ほどとは異なり、先頭を歩いていくリリスの背後に向けて問いかける。
声はダンジョンの冷たい空気に吸い込まれ、わずかに遅れて耳に戻ってきた。
その反響が、自分の内側の不安を増幅させる。
「問題ありません。
感情データの統合は、予定通り進行しています」
リリスは一拍遅れて振り向く。
動作は滑らかだが、その一瞬の間が妙に長く感じられた。
光は問いかけに反応したかのように一度だけ強く揺れ、淡い影が足元から壁へと広がっていく。
「……その、ここらで一旦触れて、データがどんなものか確認してもいいか?
リリス──」
「マスターのえっち。」
「え」
リリスは手を伸ばそうとした悠人の腕を払いのける。
その声は落ち着いていた。
だが、完全な無機質さとは異なる。
抑揚のない音声のはずなのに、どこか言葉を選んでいるような間が含まれていた。
彼女から発せられる光の揺れは声と微妙に呼応し、静かな緊張感を空間に残していく。
「ちょっと……
さっきから何その態度。
怪しすぎるわよ。」
零華が口を開き、鋭い視線を向けた。
「無断で取り込んだデータよ。
それに何、あなたが発しているこの訳のわからない光は。
制御できているとは思えないわ。」
零華の声は冷静だが、やはり棘があった。
「制御の必要性は低いと判断しました」
ダンジョンにその言葉が溶け込むと同時に、リリスの光が強く脈打つ。
まるで否定の感情を示すかのような反応。
全員の視線がリリスへ向けられる。
制御という言葉が胸に引っかかった。
(──制御しようと思えば、本当にできるのだろうか。)
悠人はただ、黙ってリリスの様子を伺うことしかできなかった。
「プライバシーの権利というやつです。
みなさん、理屈で考えてください。
私は人の心を学習し、自分の”心”をこの胸の中に宿しました。
──その、自分の心のうちを覗かれるというのはとても……」
「黙れAI。
いいからさっさと悠人に──」
「いいんだ、神崎。」
「……は?」
零華が冷や水をかけられたかのような表情で、悠人の方を見る。
「……もう、さっき決めたじゃないか。
──あと俺たちにできるのは、リリスを──
リリスの“心”を信頼するってことだ。」
「……はぁ。
そうね、何があっても知らないって、私も言ったし。」
ため息をつくと、零華は再び前方へと視線を向ける。
(──これでいいんだ。)
判断を急攻すべきではないと、悠人の”心”が告げていた。
今はまだ、変化を受け止める段階だと考える。
理解するための時間が必要だと、胸の奥で自分の勘が静かに訴えていた。
「みんな、切り替えていこうぜ。
色々あったけど、素材も回収できたし、今日は帰ったら換金した後に焼肉でも食べにいくか!」
「──そうだね。
せっかくリリスちゃんもいろいろパワーアップしたみたいだし、カラオケ行くのはどう?
リリスちゃんがどんな感じで歌うのかちょっと前から気になっててさ。
“心”を手に入れたなら、きっとほら──
“抑揚“をつけて歌うことができるんじゃないかって……!」
悠人がダンジョンから出た後のことを話し始めると、茜も待っていたかのように笑顔で反応した。
笑みを浮かべた二人の視線が自然と交錯する。
「か、からおけ……
カラオケか──」
零華は口をモゾモゾと動かしていた。
「そうだ神崎、一曲ここで歌ってくれよ!
よく響くし。
お前の歌声を聞いてみたい。」
「は!?
何を言って──」
零華の白い肌がどんどん赤く染まっていく。
普段は極めて冷静だと言うのに、なぜかこう言う時だけ彼女は色々と分かりやすかった。
「わ、私は──
その───
行ったことがないのだ、カラオケとか言うのに。
ずっとマイクを握る暇があれば、剣を握っていた人生を過ごしていたからな──」
「なら、今ここで練習しようよ!
ほら、お腹から息を吸う感じで!」
「わ、私に触るな早乙女茜!」
「あれ!
ほんとにクマゴンのパンツ履いてるんだ!」
どさくさに紛れて茜は零華のスカートをめくる。
珍しく意地悪そうな表情を茜は浮かべていた。
「う、うわああああっぁぁぁっぁぁ!?」
「茜!?
な、何やってるんだ──」
「悠人のことパンツパンツって揶揄ってること、私もリリスちゃんに聞いて色々と教えてもらったんだよ。
変わった趣味をしてるんだね、神崎さん。」
「き、貴様っ──」
「ごめんごめん。
……お詫びに私のパンツも見る?」
茜はズボンを下ろそうとベルトに手をかける。
「誰が見るか!」
「悠人は?」
「み、見る訳ないだろ!
……え、見てもいいの?」
「天野っ!」
「いてっ冗談だって──」
騒ぎ立てる三人を背に、リリスの光は一定の距離を保ちながら揺れていた。
「マスターの行動ログ、発言、視線の偏りを再解析しました」
リリスの言葉が、騒がしくなったダンジョンの空気に静かに響く。
声量は変わらないのに、その一言が空間全体を支配していった。
「え?」
思わず悠人の声が漏れる。
自分でも間抜けだと分かるほど、間の抜けた音だった。
光が揺れるたび、視界の端に映る微細な輝きが、言葉の重みを増幅する。
逃げ場のない静寂が、耳鳴りのように自身の意識を刺激していた。
「マスターは、特定の人物に対して心拍数と集中度が上昇する傾向があります」
淡々とした報告。
感情を挟まない、ただの結果提示。
しかしその内容は、胸の奥を正確に撃ち抜いてくる。
リリスの口にした言葉の意味を理解した瞬間、悠人の動揺が増した。
「ちょ、待て待て!」
悠人は顔を赤くし、思わず叫ぶ。
「そんな分析いらないから!」
反射的に言葉を重ねる。
「人間の感情データと照合した結果、この状態は“恋”と定義されます」
その一言が落ちた瞬間、空気が凍りついたように感じられた。
言葉自体は短く、説明も簡潔。
それなのに、その場の者たちにもたらす衝撃は想像以上だった。
「……は?」
今度は零華の間の抜けた音が漏れる。
彼女の動きが壊れかけのロボットのように硬くなった。
茜と零華が同時に悠人を見る。
二方向から向けられる視線と自分の視線が重なり、逃げ場は完全に塞がっていた。
その視線の重みだけで、悠人の胸の奥が張り裂けそうになる。
その背中にはじんわりと汗が滲んでいた。
「え、えっと……?」
何か説明しなければならないのに、説明すべき内容が見つからない。
悠人の頭の中では否定と肯定の言葉がぶつかり合い、どちらも形をなすことはなかった。
「悠人、説明してもらえる?」
茜の声は落ち着いていた。
だが、逃がさない意思がはっきりと含まれている。
その声音に、余計な言い訳が通じないことだけは理解できた。
「い、いや、俺はそんなつもりじゃ……!」
「マスターの否定反応を確認。
しかし、感情データでは“自覚のない恋”も一般的です」
リリスの光は微かに跳ね、揺れを増す。
その反応が、単なるエネルギー変動なのか、それとも別の意味を持つのか、判断がつかない。
逃げ場を塞ぐ論理。
淡々とした声なのに、内容は容赦がない。
否定すればするほど、裏付けが積み上がっていく感覚が、悠人を締め付けていった。
リリスは淡々と、だがどこか強い確信をもって続ける。
「よって、新たな最優先目標を設定します」
その言葉が発せられた瞬間、空気がわずかに歪んだように感じられた。




