第42話 茜の頼み事ー2
リリスは慌ててその腕を離す。
ほんのわずかな間だが、彼女の何かモヤモヤとした嫉妬のような感情が、悠人の内側へとダイレクトに伝わってきていた。
「二人で食べましょう、マスター。
あんな家無しヒモ女には、ドッグフードで十分です。」
「り、リリス……!?」
「何?」
「うわっ。
か、神崎!」
リビングの扉を静かに開け、神崎零華がぬるりと姿を現す。
美しい銀色の髪の毛が今はボサボサで、いつものポニーテールは解かれている。
その銀色の髪の毛は、両肩まで力無く垂れ下がっていた。
本当に起きたばかりのようで、眠たそうにその細い目を擦っている。
「赤の他人の家で、随分とリラックスされているようですね、神崎零華さん。」
リリスは感情を消して真っ直ぐ零華のことを見つめていた。
「……そうね。
こんな安心して寝れたのは随分と久しぶりだったから──
たるんでるわね。」
「はい、たるんでます。」
「り、リリス……?
なんか神崎にさっきから当たりが強くないか?」
「いえ、気のせいですよ。
さぁ、朝ごはんにしましょうか。」
朝食はきっちり二人分だけ用意されていた。
「私は食べました。
これはマスターと、神崎さんの分ですよ。
安心してください。」
リリスはすでに自分の分を食べ終えたようだ。
零華と二人、リリスがじっと見守る中での朝食。
少し食べづらい部分もあったが、誰かとこんなふうに食卓を囲む日々は、本当に久しぶりのことだった。
◇
「ありがとう、リリス。
美味しかったわ。」
朝食を終えた後、零華は笑みを浮かべながら、リリスに礼を言う。
「……いえ。
それよりも”準備”を始めてください。
神崎零華さん。」
「──それもそうね。」
朝食を速やかに済ませ、ダンジョンゲートのある場所へ向かうための準備を、悠人たちは始める。
零華が家の前で素振りの練習に向かった後、悠人はリビングにリリスをそっと呼び出した。
「──なんでしょうか、マスター。」
「ほら、食べろ。」
「……なんですかこれは。」
悠人はお手製のサンドイッチをリリスへと差し出す。
これは今、悠人が自分の朝食を食べ終えた後に作ったものだ。
リアル生成AIスキルは相変わらず、物理的な生成が、ネクロスの影響によってできない。
なのでこれは100%手作りのものだ。
「リリス、お前、朝食本当は食べてないだろ。
お前と触れた時、空腹なのが伝わってきたぞ。」
「──それはマスターの誤解です。
そもそも、私は通常の人間と違って、あまり食事をとる必要が──」
「誤魔化してなんになるんだよ、リリス。」
悠人は優しくリリスの腕を掴む。
彼女の生体情報が頭の中に流れ込み、結局彼女が強がって嘘をついていることが伝わってきていた。
「……あれは本当は、私とマスターの分の朝食でした。
神崎零華の分は、別で作る予定だったんです。」
「──ドッグフードを?」
「……いいえ。」
「──誤魔化しても無駄だぞ、リリス。
なんでそんなことしたんだ。
お前が朝食を作ってくれたことは本当に嬉しい。
何か不満があるなら、きちんと言ってくれ。
……俺はもう、極力お前の体に触れて、真偽を確かめるような真似はしないつもりだ。
──こんなの、お前自身も気持ち悪いだろうし。
だから、嘘はなしだ。
正直に話してくれ。」
「──はい、わかってます、マスター。」
「……とりあえず食べな、朝食。
お前の作ってくれた朝食よりかは美味しくないかもしれないが、一応、しっかり作ってみたつもりだ。」
「──いただきます。
……マスターの朝食は最高です。」
リリスが嬉しそうにサンドイッチを頬張る中、悠人は一人で荷物の確認を黙々と行う。
今後に不穏な雰囲気を感じる部分はあるものの、誰かと生活を過ごすという、この忙しさというものは、悠人に確かな満足感のようなものを与えていた。
誰かが家の中に存在しているという日常は、悠人に失っていた温かい感覚を甦らせている。
母親がまだ生きていた幼少期の頃の思い出が、自然と頭の中に湧いてきていた。
(──死んだ母親を生成できないものか)
そんな禁忌に近い考えも頭の中には浮かんできている。
だが、今の悠人のスキルは、それほど高度なものではない。
せいぜい謎の肉体ができて終わりだろう。
少なくとも今の未熟な状態では。
一応、ネクロスの影響で物理的な生成ができなくなっているとはいえ、リリスの生成ができた以上、母親の生成も試すこと自体はできる。
それでも、今の段階で試す気にはなれなかった。
《スキルレベルが5に上昇しました。
次のフェイズ:4/10》
あのシステムのメッセージが今も脳裏を不気味にチラついている。
だが、あれ以来、システムにいくら訴えかけても情報を再度確認することはできなかった。
あれが何を意味するのか、今は何も分からない。
自分の気のせいだったのだろうか。
リリスも同様に通知を確認していたので、それはないはず。
(──ま、悩んでも仕方ないよな。)
悠人は力強く顔を上げた。
意識を強制的に切り替え、目の前のことにとにかく集中することにする。
とにかく今日は久しぶりの本格的なダンジョン攻略を行うのだ。
「それじゃ、みんな行くぞ!
出発だ!」
支度を終え、悠人とリリスは二人乗りの自転車で、零華はその足で目的のゲートへと向かう。
零華が走りを選んだのは、本人の自己申告だ。
「じゃ、先に失礼するわ。」
「……うおっ。
すごいな、これがA級探索者──」
悠人がリリスを後ろに乗せて必死に走る中、零華は一気にスピードを上げ、二人を軽々と追い抜かす。
さっさと先へ行ってしまった。
小さくなっていく零華の背中を遠くに見つめながら、悠人もそのペダルを漕ぐ足の速度をできるかぎり早める。
「しっかり捕まってろよ、リリス!」
「はい、マスター!」
今までずっと一人で孤独に行ってきだダンジョン攻略。
それはもう完全に過去のことだ。




