第38話 概念の剣ー2
T字路の交差点に、悠人とリリス、そして二人の刺客が向かい合って立っている。
少年のその手には、かすかに周囲の空気を揺らがせる、非在の剣が握られていた。
物質の輪郭を持たず、視覚と感覚の両方から「存在しない」と認識されているその刃。
それは周囲の魔力場を歪め、空間に違和感の渦を作り出している。
未知の塊。
ネクロスの予想を超えた生成物。
刺客たちは、刃物を構えながらも、思わず後ずさった。
弱り切った少年が手ぶらでヨロヨロとこちらへ歩いてくるだけだというのに、体からは汗が吹き出して止まらない。
何も認識できず、存在していないはずなのに、全身の震えが、どうしても収まらなかった。
(どうなっているんだッ)
生成物破壊──
”アンチ・クリエイト”の能力が通用しなくとも、このまま物理的な攻撃で制圧できる。
余裕だ。
余裕のはずである。
にも関わらず、どうにも本能が、自分たちの方が格下であるという警鐘を鳴らし続けていた。
肉体ではない、内面が逃げ出したいと悲鳴を上げている。
分からない。
こんな事態は、これまでの経験に一度もなかった。
「な、何だ!
なんなんだお前はぁっ!」
その声──
ラーニング・ワンの発した怒号は、怒りに加え、恐怖の入り混じった震えを帯びている。
自分たちが信じて疑わなかった全能の原理、すなわちネクロスの”理屈”が、少年の意思ある生成によって、根本から破壊されていた。
信じていた力が否定された瞬間。
それは自分たちの敗北が決定された状態に等しい。
「ふ、ふざけるな。
これじゃあのネクロスのイカれ野郎に尽くしてきた俺たちがバカみたいじゃないかぁっ!!」
リリスは静かに状況の分析を続けていた。
悠人の隣に立ち、冷静な声で次の手順を指示する。
「マスター、あとは振るだけです。」
「あぁ。」
「う、うぉおおおおおおッ!
そうだハッタリっ!
ハッタリに決まっているっ」
刺客たちは決心したようだ。
悠人の方へ向かって、がむしゃらに刃物を振り回しながら突進してくる。
悠人はためらうことなく、非在の剣を振り下ろした。
刃は空気を切る音も、魔力の波動も生み出さない。
だが、その半透明の刃が刺客たちの視界をかすめた瞬間──
「死ねぇ──
……え?
あれ、私は何をしているのです?」
何かが決定的に失われた。
(──なん……だ……?)
刺客たちの瞳から、戦意が、そして殺意が、一瞬で完全に消え去っていく。
探索者統制機構の精鋭。
その精鋭としての任務遂行意思。
その全てが、今や無力な空白となった。
見えない。
何も感じない。
先ほどまで自分が持っていたはずのものが、どこか遠くに消えてしまった。
ない。
何をなくした。
ない。
どこにもないのだ。
脳裏に広がるのは、真っ白な虚無。
「──俺が切ったのは、お前らの”戦闘意欲”だ。」
誰にも聞こえない大きさの声で、ポツリと呟く。
「あれ……?
俺は、何のために戦って……
戦い……?
いや、私は戦いたくない。」
ラーニング・ワンはその刃が通り過ぎた後、一歩も動けず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「──?
え?え?」
ラーニング・ツーも腕から伸ばしていた刃物を収納し、その場に膝をついた。
彼らの魔力回路は無傷であり、肉体的な損傷もない。
ただ、その意思を完全に喪失していた。
戦うための概念を失った彼らは、もはや無力な人形に過ぎない。
悠人は静かに非在の剣を下ろす。
その手からは、物理的な勝利ではなく、概念的な勝利の重みが確かに伝わってきていた。
目の前には、ただの二人の人間が佇んでいる。
機構の元・精鋭たち。
彼らが自分たちに向けて殺意を向けることは、もう二度とない。
悠人は勝利した。
そこに死体は愚か、血液一滴すら溢れることはなかった。
「マスター、お疲れ様です。」
膝をつきそうになる悠人の体を、すかさずリリスが支えた。
彼女の体が、暖かい。
小さいが、確かな力が宿っていた。
「止め、刺さないのですか、マスター。
今の彼らは好きだらけです。
息の根を止めてやりましょう。」
「──俺は何かを生み出すのは好きだが、不必要に破壊するのは嫌いでね。
……こいつらはもう、戦えない。
さぁ、行こう。」
その言葉を最後に、悠人の視線は遠くの通路へと向けられる。
避難させた茜と零華のことが、今は何より心配だった。
二人は無事に脱出できたのだろうか。
リリスと共に、混乱する刺客たちを置いて、悠人は元きた道を引き返していく。
ダンジョンゲートが近づいていた。
「……データはそれだけじゃ無意味だ。
意思や執念──
経験と技術が組み合わさって、初めて命を持つ。
その意味が、”生成”されるんだ。
これが、俺の今回得た学び───
”ラーニング”だな。」
「ほ、あああああぁあ????」
刺客たちは、なおも混乱を続けていた。
悠人の言葉など彼らの発狂でかき消され、その言葉に耳を傾けるものは誰一人としていない。
悠人は顔を上げると、リリスに支えられながら、発狂する刺客たちを背にダンジョンの出口へと足を進め続けた。
その手に握る非在の剣の半透明の刃が、自らの意思の象徴として、かすかに揺らめいている。
「──これはもう分解していいな。
よし、スキルよ、『分解』だ。」
その手の中にあった、見えない何かは音も立てずに消えていく。
コストが体に還元されたようで、少しだけ体が軽くなった。
「──これでなんとか、お前に支えられながらだが、出口まで歩けそうだよ。」
「……あまり無理しないでください、マスター。
おぶっていきますよ?」
「はは、いいよ。
そんな体で俺を背負ったら、潰れてしまう。
優しいんだな、リリス。」
「はい、リリスは優しいです。
ちなみに、マスターは最高です。」
「……あはは。
──さぁ、行こうか。
さっさと帰って、お前のこと、茜たちに紹介しないとな。」
もうその歩みに、迷いはない。
先に脱出したと思われる仲間の元へと悠人はまっすぐに進む──
真の学習者として、新たな未来を生成するために。




