第37話 概念の剣
ダンジョンの深層、三つの通路が交差するT字路。
ここはリリスの解析によれば、刺客たちが最も効率的かつ論理的に追跡を完遂するために、必ず通過するはずの地点だった。
リリスの小さな身体に支えられながら、その交差点の陰に悠人は身を潜める。
全身は疲弊しきっており、立っていられること自体が奇跡に近い状態だった。
それでも意識だけは鮮明で、脳裏にはたった一つの戦略が明確に映し出されている。
「刺客は、この通路を十五秒後に通過します。
マスター、再確認ですが、”非在の剣”の生成は全コストを消費します。
失敗は許されません」
リリスの声は、どこまでも冷静で正確だった。
体力の限界を疾うに超えた状態。
悠人は残された微細な魔力を、最後となる生成と、”その先”に向けて集中させていく。
拳を握る手はわずかに震えていたが、不思議と恐怖は感じていなかった。
強い意志が恐怖を凌駕しているせいだろうか。
追い風が吹くように、精神コストが若干の回復を見せていることも確認できた。
(──いけるさ)
「……わかっている。
リリス、お前の計算を信じるよ」
悠人の瞳は、データと論理の深淵をじっと覗き込んでいた。
◇
「くそ、さっさと終わらせるつもりが、あの女のガキのせいで台無しだ」
「落ち着け、ラーニング・ツー。
苛立ちという感情は、我らには不要だ」
予測通り十五秒後、通路の闇から二人の刺客が姿を現した。
入り組んだ構造に手こずっていたのか、なかなか悠人の元に辿り着けずにいた彼らは、隠しきれない苛立ちを滲ませている。
「黙れ、ラーニング・ワン。
こんなところに来てまで、ネクロスの『おままごと』に付き合ってられるかよ。
つーか何だよ、ラーニング・ワンワンって」
「……とにかく、あの小僧の生成スキルは潰したはずだ。
さっさと生け捕りにして連れ帰るぞ」
「ふん、お前のやり方だといずれ必ずボロが出る。
普段から自分自身を洗脳しておくよう心がけるんだな」
「黙れと言っている、ラーニング・ツー。
……しかし、それにしても随分と奥まで進んだものだ。
一体あのガキはどこまで逃げた?
まさか魔物に喰われて──」
「お前こそ落ち着け。
俺たちに捕まるより、モンスターに食われる方がよっぽど恐ろしいだろう。
……いや、いるぞ。
もうすぐ視界に入るはずだ。
あそこで縮こまって待っている」
「──俺なら、ここにいるぜ」
ぬるりと、壁の影から悠人が姿を現した。
その背後には、セピア色の髪をしたサポートAI、リリスが静かに佇んでいる。
刺客たちは一瞬、その場に立ち尽くした。
「!?
なんだ、びっくりさせるな……!
投降しに来たのか?
よしよし──」
「おい、背後の幼女。
貴様は何者だ。
余計な真似をしたら殺すからな」
変わっていない。
刺客たちの瞳には明らかな驕りがあった。
彼らの瞳に映っているのは、データに依存し、今はもう無力となったはずの少年の姿だ。
「……確かに、物は生成できない」
悠人は薄く口角を上げた。
「だが──
”概念”なら生成できる」
「……は?」
刺客の表情に一瞬の混乱が走る。
出任せか、それとも頭がおかしくなったのか。
その答えを求めるように少年の瞳を覗き込むが、そこに迷いの色は一切ない。
むしろ自分たちを逃すまいと、鋭く射貫くように見つめている。
その意志は、もはや全てを超越しているかのようだった。
刺客たちは思わず後退り、たじろいだ。
「な、何をするつもりだ」
「いくぜ」
悠人は残された全リソースを解放する。
リアル生成AIのコアが、リリスの演算結果と三つの概念データを統合し始めていく。
零華の戦闘データ──。
刺客の能力データ──。
そして、リリスの演算。
「リリス、補助を頼む!」
「はい、マスター。
生成に最適なデータ構成の補助を行います。
……構成完了」
両手を前に突き出し、力強く叫ぶ。
「無駄だ。
悪あがきはやめろ」
「いい、ラーニング・ツー。
ネクロスのスキル自体は間違いない。
このまま魔力を消費して勝手に自滅するのを待とう」
「生成──”
概念の剣”!」
瞬間、悠人の手の中に現れたものは、従来の生成物とは全く異質な存在だった。
「……?
なんだ。
──生成に成功した……のか……!?」
半透明の刃は物質的な形状を持たず、周囲の光を不自然に歪めている。
輪郭こそかすかに見えるものの、それを構成する物質はどこにも存在しない。
見る者の知覚も、魔力の観測も、これを「存在しないもの」として認識している。
矛盾に満ちた”概念”の具現化がそこにあった。
「お、おい、なんかヤバいぞ!」
「分かっている!
アンチ・クリエイト再発動ッ!
消えろッ!」
周囲の空間が歪み、破壊の波紋が刃に向かって放たれた。
本来なら、これで生成物は崩壊を開始するはずだった。
しかし──
何も起こらない。
何も起こらなかった。
刃はただ静かに、そこに存在し続けている。
目には見えないはずなのに、圧倒的な存在感だけを放ち、周囲にその在処を知覚させていた。
「なんだ……。
なんなんだ、これは──」
「あなたたちのアンチ・クリエイトは、この刃を認識できません。
物質ではないため、そもそも破壊の対象として成立しないのです。
この刃は、マスターの意志と、破壊を回避する論理の穴によって構成されています。
……まさに、学習の成果。
ふふ、マスターは最強です。」
リリスは自慢げに笑う。
「が、概念……?
何を言って……
そんな変なもの、生成できるわけが──」
刺客たちの顔から血の気が引いていく。
論理と絶対を自認していた能力が、目の前の非物質的な概念の刃によって、完全に覆されていた。
わけがわからない。
ネクロスから授かった力なのだ。
不測の事態などあり得ない、あってはならないはずなのだ。
「──いくぜ」
悠人はその刃を静かに構えた。
「ひっ──」
一歩、また一歩。
よろつきながらも、確かに足を踏み出して近づいていく。
目的は肉体を斬ることではない。
狙いはもっと深淵にあるもの──
敵の戦闘意欲そのものだ。
論理の核を揺さぶることにこそ、その真髄があった。
「逃げんなよ。
お前たちの獲物はここにいるぞ……」
「ちょ、ちょっと待てっ」
論理で支配される存在が、非論理の武器によって激しく揺さぶられていた。
全ての理論と前提が崩壊してしまっている。空間に漂う不可視の刃が、彼らの思考を完全に縛り付けていた。
悠人の心臓は早鐘のように脈打ち、体中の血が燃えるように熱い。
コストはとうに使い果たしている。
だが、意志と概念の結合は、限界を超えた力を生み出していた。
再び、精神コストがわずかに回復していくのを感じる。
「リリス、攻撃を開始する。
補助を頼む」
「了解しました、マスター。
……計算完了。
彼らの核はちょうどそこ、七十五度の角度で剣を振るうと、綺麗に削ぐことができます」
拳を握りしめ、意識を一点に集中させた。
手の中の「非在の剣」は、存在しないものとしてそこにある。
だがその力は、目に見える全てを超越していた。
刺客たちの心と、その拠り所である理論を切り裂く力を秘めて。
「な、何をするつもりだっ……!」
「来るなッ!」
刺客たちは必死に刃物を構える。
目の前の少年は、相変わらずゆっくりと歩いてくる。
突けばすぐにでも倒れそうなほど弱りきっている。
それでも、彼らの本能が、精神が──
”心”が、最大級の警告を鳴らし続けていた。
通路に静寂が訪れる。
響くのは、少年の覚悟に満ちた足音と、そこにいる者たちの荒い呼吸音のみ。
悠人は心の奥底で確信していた。
この刃こそが、これまでのデータ依存を脱却し、己の意志と”学習したもの”を武器に変えた、真の生成物なのだと。
「見せてやるよ、”本物”をっ──」




