第2話 ディープ・ラーニング能力
夢を見ていた。
今では信じられないほど、活力に溢れた夢だ。
一人は赤銅色の髪の女児。
一人は汚い下痢みたいな金髪をした男児。
一人は──
一人は、自分だ。
公園ではしゃぎ回っている。
小さな山をその汚いケツで滑り、泥だらけになりながら駆け回っていた。
途中で体勢を崩し、わざと大袈裟に転げ落ちていく。
三人のガキの名前は、早乙女茜と、畠山誠司、そして俺だった。
(この頃は飛べると思ってた。
主人公だと、思っていたんだ……)
場面が急激に切り替わる。
早乙女茜と本格的に馴れ合い始めた時のこと。
さらに過去へと戻ったようだ。
当時、女子とは恥ずかしくて特に関わってこなかった。
けど、人を寄ってたかっていじめている奴の方が恥ずかしいと思い、ある日、早乙女茜をいじめていた奴らをぶん殴ってしまった。
小学校低学年だったから、別に警察とかにお世話になることもない。
自分は親もとうの昔に死んでしまっていたものだから、親同士で揉めるなんてこともなかった。
ただただ、周りの同級生から白い目で見られるようになってしまったというだけのことである。
そもそも、元から親なし貧乏の自分は、周りの人間の話題についていくことなんてできなかった。
孤立気味だったので、大して何も変わらなかった。
ゲームソフトも、文房具すら、まともなものはろくに買うことができない。
むしろ、それから遊び相手を手に入れることができた。
早乙女茜、と加えて、畠山誠司。
当時彼女を好きだったけれど、特に助けることもできなくてウジウジしていた男だった。
結局、暴れ回っている自分たちに気圧されたのか、目立った嫌がらせは日に日に減っていく。
残ったのは、気兼ねなく遊んでいる、三人の人間。
──いい夢だった。
天野悠人はもうすぐ目が覚めることを悟る。
すでに窓からは、鬱陶しい朝日が差し込んできていた。
◇
スキル発現の翌朝、高校の校門をくぐろうとした天野悠人は、すぐにその場で足を止める。
門の前、緑の葉をつけた桜の木の根元に立つ一人の少女が、待ち構えていたからだ。
早乙女茜だ。
天野悠人の幼馴染。
長い赤銅色の髪は朝日に透けて輝いている。
が、いつもは快活な瞳が、今朝は少しくぐもって見えた。
「おはよう悠人!
なんかぼーっとしてるけど、怪我でもしたの?」
茜は駆け寄ると、尋常ではないほどの至近距離で悠人の顔を覗き込む。
その距離感に、周囲を歩く他の生徒たちがざわめいた。
「や、やめろって茜!
俺は大丈夫だから。
……おはよう。
こんな暑い中でずっと待ってたのかよ」
悠人は結局、昨日は帰宅直後にシャワーを浴びてすぐに寝てしまった。
スキルのせいなのか、どっと疲労感が押し寄せてきて、そうせざるを得なかったのだ。
おかげでまだ、スキルについて何も試すことができずにこうして登校している。
そこまではいい。
問題は、しっかり睡眠自体はとったはずなのに、疲労感がこうして茜に伝わるくらいには消えていないということだ。
これも色々とスキルが発現したばかりの影響で、体に負荷がかかりすぎていたからなのだろうか。
「私もさっき来たばかりだからそういうのは心配しなくていいよ。
それに、確かに暑いけど、まだ朝だから結構涼しいし。
──それで、何かあったの?」
「──いや。何でもないよ、茜。
ちょっと寝不足で……」
慌てて悠人は誤魔化す。
まだスキルが発現したことについて他人にバレるわけにはいかない。
焦りと同時に、胸の内には昨日からの興奮が渦巻いて消えていなかった。
手に持ったペットボトル飲料が、「初級回復ポーション」に変わったあの瞬間。
あの衝撃は忘れられない。
自分はもう“モブ”ではない。
スキルを得たのだ。
それも、未知の物体を生成することが可能なスキルを。
「寝不足ぅ……?
睡眠ならいつも授業中も追加で取ってるじゃない」
茜は眉をひそめ、さらに深く見つめてきた。
その眼差しは、単なる心配というよりも、何か決定的な違和感を見抜こうとする、探索者の眼差しだった。
「なんか変だよ。
妙に落ち着きがないっていうか、なんかこう、ふわふわしてて……」
「き、気のせいだって茜!
は、わははは!
他人を心配しすぎなんだよお前は」
「……ねぇ悠人」
「……なんだ?」
「いくら凄い力があっても、知識や経験の積み重ねがなきゃ、本当の強さを得ることはできないんだよ?」
「え?」
何か鋭いもので刺されたような感覚に襲われ、悠人の顔から徐々に笑顔が消えていく。
「いや、その───
最近悠人、試験の勉強全然してないみたいだけど、どのみちスキルがあってもなくても、努力は必要なことなんだってこと、言いたかったの。
毎日続ける心構えっていうのは、とても大事なものだよ」
「あ、あぁ……
そっか。
───そうだよな……
はは……」
「たとえば、私の治癒魔法だって、ただ発現すれば使えるってわけじゃないの」
茜は自身の左手を見つめ、静かに続ける。
「“魔力”を流すだけならそこまで難しいことじゃない。
でも、本当に命を救うには、人体の構造や、傷の深さ、魔力の流れ、正しい治療手順をちゃんと学ばなきゃダメなんだよ。
知識が曖昧だと、魔力の暴走でかえって傷を悪化させちゃうんだから!」
「あぁ、わかってるよ。
あはは……」
彼女の言葉は、単なる一般論ではない。
それは、訓練所の教本にも書いてあるスキルの本質。
“スキルを使いこなすための知恵と経験が必須である”という、この世界で最も重要な教訓であり、常識の一つだった。
茜は、その貴重な才能の覚醒とともに、その本質を理解し、熱心に努力を続けている。
(わかってるさ……)
手に入れたリアル生成AIスキルは、たしかに「初級回復ポーション」という奇跡のアイテムを生み出した。
だが、それはたまたま悠人がその生成に必要な「材料、手順、理論」を知識として持っていたからに過ぎない。
提示された三つのコスト。
その存在が、だんだんと頭の中で、不穏なものへと変化してゆく。
やがて、強烈な一つの疑問が湧き上がった。
(──俺のスキルは、結局のところ、俺が知っていることしか生み出せないのでは……?)
◇
放課後、悠人は茜からの誘いを断り、一目散に自宅へと戻った。
茜とは昔から、一緒に登下校をする仲だ。
高校に入った今も都合が合えば一緒に帰ることは珍しくない。
しかし今日、茜は、委員会の用事か何かで忙しい───
都合が悪いというのに、それが終わるまで待って共に帰ろうと、珍しく打診してきていた。
疲労の様子からか、何か彼女なりに悠人に対して感じ取った末の行動だろう。
当然悠人はその誘いに乗らなかった。
彼女に知られるわけにはいかない。
「ただいま……」
自宅のドアを開けると、そこに自分を迎える声はない。
両親はすでに死亡し、たまに叔父が家の様子を見にくるといった状況だった。
基本は一人暮らし。
金の管理は全て叔父任せだ。
ポストに入っていた封筒の束を、力無く棚の上へ放り投げる。
帰宅のこの瞬間は、いつも憂鬱なものだった。
だが、それは今までの話だ。
今は違う。
(──さぁ、昨日は寝落ちしてしまったが、今日こそ色々とこのスキルについて検証しなくちゃな!
楽しみだぜ!
俺の!可能性が!!)
悠人は手を洗った後、誰もいない薄暗い家の中を歩き、自室へと入る。
その後、外から様子が見えないようにカーテンを閉めた。
深呼吸をしたのち、まずはスキルの名前を再度確認する。
《Skill Name: リアル生成AIスキル (Real Creation AI)》
悠人がスキルの名前を求めると、脳内には文字が表示された。
そもそもスキルというのは人間が名付けた概念であって、自分から自己紹介してくるものではない。
こんなふうに脳内でスキルの情報が蠢いているという話も聞いたことがない。
相変わらず意味がわからない能力に目覚めてしまったものだ。
不思議な感覚ではあるが、すでに慣れてきてはいる。
何度もとうとう自分の精神がおかしくなっただけなのかと思った。
だが、今でも部屋の隅では、昨日のポーションの残骸が落ちている。
(ん?
なんだこれは。)
《サブスキル:深層学習機能》
スキルの能力を確認しようとしたところ、別の文字列が脳内に表示され、戸惑う。
(……確か、インターネットとかで使える生成AIって、“深層学習”とかいう技術のおかげで成り立ってるんだよな。
よく分からないけど、その学習で得たデータをもとに色々生成できるって、情報の授業の教師が言ってたような……)
悠人は携帯をいじる。
脳内に現れた文字の羅列を検索しながら、その足りない頭をフル回転させて考察した。
しばらく考えたのち、悠人はとりあえず、再び何か生成することに決める。
(まぁ、難しいことは後回しでいいや!
百聞は一見にしかずっていうし、とりあえずスキルを使いまくっていくうちに、だんだん色々とわかってくるだろう!)
悠人は笑みを浮かべながら手をかざす。
(そうだな、どうせならもっとすごいものを生成してやる。
リアル生成AIなんだ。)
「……『超チート級の回復ポーション』を生成だ!」
空のペットボトルに水道水を注ぎ、それを材料に、今度は『超チート級の回復ポーション』を生成しようと試みる。
ダンジョンから得られる素材で作られる、回復ポーション自体高価なものだ。
上級ポーションと呼ばれるものでも、普通の店で購入しようとすると、数万円する。
「いくぜ!
スキル発動!」
《警告:知識コスト不足。》
「は?
どういうことだよ」
《高度な回復ポーションの生成には、基礎ポーション学、薬草の成分解析、高度な精製理論の知識が必要です。現在のユーザー知識では、生成物の安定性が保証されません。》
しかし、脳内に表示されたのは、警告メッセージだった。
「っ──
はぁ、はぁ……」
警告が表示されると同時に、悠人は身体に激しい消耗感を覚える。
これは、知識不足の状態で無理に生成しようとしたことによる、精神的なリソースの浪費のようだ。
脳内に浮かぶ“精神コスト”の欄が、“12/20”となっており減少している。
悠人は自身のリアル生成AIスキルが要求する「三つのコスト」を明確に理解することに決めた。
脳内の“システム”に、三つのコストについての詳細な情報を表示させる。
《1. 物理コスト
生成物の“材料となる物質”。
・「無から有」は生み出せません。
・あくまで「物質の再構築」です。
・物理コストの材料の量と質が、生成物の量と質に大きな影響を及ぼします。》
《2. 知識コスト
・現在の保有状況及び保有限界 : ”5/200”
・知識が曖昧だと、生成物が不安定になります。
・サブスキル:深層学習機能を用いて、効率的に学習対象をスキャン、知識コストを取り込むことができます。》
《3. 精神コスト
・現在の保有状況及び保有限界 : ”14/20”
・スキルの起動、集中力、生成を維持する精神エネルギーです。
・一般的に魔力と呼ばれるエネルギーに該当します。
・スキルで生成や分析を行う場合に消費されます。》
《また、あなた自身をコストとして差し出すことで、これらを賄うことも可能です。》
◇
悠人はベッドに倒れ込みながら、結論を導き出す。
このスキルは無から有を生む創造ではない。
知識、物理、精神──
三つのコストを消費して再構築する力のようだ。
その力の真価は“生成”という結果にあるのではなく、その前段階にある。
“知識コスト”という名の“データ”を収集し、処理し、完璧な設計図を構築する“深層学習”の過程にあるのだと。
「茜の言う通りか……」
天井を見上げながら、悠人は現実を認識し始めた。
このスキルにも、限界が存在することが明白となる。
なんでも生成できるチート能力かと思った。
だが、そうではないようだ。
このスキルを使いこなすには、やはり茜が指摘したように“努力”がいる。
リアル生成AI スキルの本質は、生成する能力自体ではなく、それを支える知識と経験。
(……はは、上等だ。
スキルに恵まれたんだ。
あとは、俺の問題。
このスキルを使いこなして、“主人公”になってみせるぜ)
最強無敵チートスキルというわけではないが、他に前例のないスキルであることは間違いない。
少なくとも、ネット上には同様のスキルは見つからなかった。
(……やっぱり当分はこのスキルのことを、誰にも知られないように行動していった方がいいな)
チートスキルではないゆえに、何かよからぬことを企む連中に見つかれば自衛できる自信はない。
少なくともまずはこのスキルをある程度使いこなせるようになってから、“表舞台”に上がるべきだと悠人は判断する。
弱点を克服するために、人知れず最強の知識を求める、秘密のラーニング生活が始まろうとしていた。
目の前には、ほとんど新品と変わらない、教科書や参考書、そしてスマホの奥に広がる、膨大なインターネットのデータがあった。




