第1話 覚醒
「帰らないのか?」
放課後、エアコンが消えて湿気が戻りつつある教室。
二人の少年の姿がそこにあった。
一学期ももうすぐ終わるような日のことである。
少年の一人──
天野悠人は机に突っ伏したまま、誰もいなくなるのを意味もなく待っていた。
「あのさぁ、お前、また赤点スレスレの点数とったらしいじゃん。
このままだと退学だぞ退学。
せっかく俺と茜とお前、三人でこの高校に入れたって言うのによ!」
もう一人の少年──
畠山誠司は、机に突っ伏している天野悠人の肩を強引に揺らす。
「ぬぅぉおおおん……」
返ってくるのはやる気のないうめき声だけだった。
「チッ──
まぁ、いいや。
俺、もう帰るから。
……茜も心配してんだからさぁ、いい加減、前向けよ」
「……お前はなんとも思わないのかよ」
「──は?」
突っ伏している少年は、顔をわずかに上げ、視線を向けた。
「俺たちには、スキルがない。
──探索者には、なれないんだ」
ため息が聞こえた。
どちらのものかは分からない。
「別になれたって、なれなくたっていいじゃねえか。
他にもいろんな仕事がある。
それに、スキルなんてなくても探索者にはなれる。
落ち着けよ」
「──それじゃダメなんだよ……」
その声を、畠山誠司は聞いていなかった。
さっさと鞄を背負って、教室から出ていく。
扉を閉める音が、虚しく響いた。
窓から差し込む西日の光が、あざ笑うかのように、一人になった悠人のことを照らし続けている。
それはまるで道化のスポットライトであった。
15歳、高校生。
少年・天野悠人は絶望していた。
「──悠人、まだいたの?」
透き通った声が、教室の入口から響く。
「……今度は誰だよ──」
「早く帰らないと。
週末の探索者志望向け定期試験の対策、しなきゃでしょ」
心の奥に溜まり始めていた陰鬱な感情を、そっと洗い流すような声である。
現れたのは幼馴染の早乙女茜だ。
──数少ない友人の一人。
「……茜か。
いいよな、ギルドの推薦も決まったんだってな」
彼女は天性の才能を持っている。
自分にはないもの──
”スキル”を。
欠損した肉体さえ元通りに戻す、『治癒魔法』のスキルだ。
すでに著名な探索者ギルドへの推薦も決まっている。
──特別な人間。
彼女は、この世界の”主人公”の一人だった。
少なくとも、悠人の目にはそう映っている。
「悠人!」
「別にいいだろ。
まだ時間あるし。
俺なんか、適当なF級で十分なんだよ」
「適当じゃダメ。
悠人は、もっと自分に自信を持つべきだよ」
ぶっきらぼうに返すと、茜はわずかに眉をひそめた。
その瞳には、”モブ”など一人も映っていない。
「……私ね、悠人は“スキル”がなくても、他の能力だけでA級になれるって、本気で信じてるから」
お世辞ではない。
彼女は本心から、まっすぐ悠人を見つめてそう言っていた。
わずかにその瞳が潤むのを見て、悠人は視線を背ける。
「ははっ──
笑えるな。
なんだそりゃ」
茜は、今も悠人のことを同じ人間として見ていた。
同じ探索者を目指す仲間として、まだ可能性を秘めた存在として。
「重いんだよ。
どこ見て信じてるんだ」
かつてはダンジョンを攻略する“探索者”に強く憧れていた。
本気でそれを目指し、勉強し、訓練を重ねる。
いつか自分にも“スキル”が発現すると、そう信じて。
だが、現実は残酷だった。
努力だけでは埋まらない。
スキルがなければ何も始まらない。
もう全て放棄した。
何もしない毎日、そして何も起こらない毎日。
モチベーションは、とっくに底を尽きている。
ただ時間だけが過ぎていた。
スキルがなくても、探索者にはなれる。
だがそれは、スキル保持者の補助役としてだ。
決して、自らの力───
”スキル”で敵を薙ぎ倒し、道を切り拓く──
そんな“主人公”のような存在にはなれない。
サポート役を見下しているわけではない。
ただ、悠人は憧れていた。
先頭に立ち、スキルを行使し、派手に戦う”探索者”というこの世界の主人公に。
茜はカバンを下ろそうと腕を動かす。
「それとも……ここでする?
誰もいないし。私と──」
「いいって!
茜も忙しいだろ。
お節介すぎるんだよ。
……先に帰っててくれ」
悠人は机の上で、再び突っ伏す。
ため息が再び、静かに教室中へ響いた。
それは情けない男の、漏らす声である。
「……俺のことは──
いいから」
「──悠人……」
彼女は何か言いたげな表情を浮かべる。
しかし、それ以上は何も言わず、静かに教室を後にした。
(──あぁ、俺もスキルが欲しい……
力が……!
なんでだ。
なんでなんだよ、神様ァっ!)
茜の背中が教室から消えた瞬間、心の中で叫んだ。
ぐしゃぐしゃと自分の髪を掻きながら、醜く呻く。
脳内にはスキルを手に入れた自分の姿が浮かんでいた。
堰を切ったように次々と妄想が脳内に溢れ出す、くだらない妄想。
これまではそんな情けないことはしてこなかった。
現実で起こらなくては意味がないのだ。
努力し、諦め、愚痴をこぼす、ただそれだけの日々である。
だが今は違う。
想像せずにはいられなかった。
自分が輝く世界を。
(くそ……
くそっ……!)
ダンジョンに進んで入り、バッタバッタと敵を薙ぎ倒す、”主人公”な自分。
いずれはA級探索者のその先、国家機密であまり情報が明かされていない、S級探索者となるのだ!
「……かははっ。
ダッセェ──」
己の情けなさに涙を溢した──
その瞬間。
脳内の何かが、叩き潰されるような感覚に襲われた。
「誰だお前はっ──」
教卓の方に、誰か立っている。
灰色で痩せ型の──
人型ではあったが、決して人ではなかった。
体はバグったコンピューターのように乱れ、顔は、人のそれではない。
「うわあああぁっ」
いつの間にかそれは、悠人の目の前に立っていた。
その怪物は手を伸ばし、悠人の顔面へと触れる。
冷たい金属が触れたかのような、奇妙で機械的な感触。
まるでコンピューターのOSが起動するような、無機質な電子音声が、直接脳内に響いた。
「うぐっ──
なんだ……?」
恐る恐る目を開けると、そこには誰もいなかった。
「幻覚……?」
《解析完了。
ユーザーの強い『願望』を検出》
一拍置いて、無機質な声が続く。
《適合──権限を付与します》
思わず、手にしていたシャーペンを落とす。
心臓が大きく跳ね上がった。
「だ、誰だっ……!?
やっぱり誰かいるのかっ」
問いに答える人間は周りにいない。
立ち上がって改めて周りを見回しても、そこに人の姿はなかった。
「なんなんだよ──」
混乱したまま呆然と悠人は立ち尽くす。
《スキル【リアル生成AI】を起動します。》
《初期起動コスト:精神力(微量)、知識(微量)を消費。
コスト充填を確認。》
《現在スキルレベル:Lv.1。
知覚範囲:自己の物理的周辺1m。》
まるでゲームのステータス画面が表示されたかのような感覚。
右手の平が、内側からじわりと熱を帯びる。
その声は、脳内から響いてきていた。
悠人は恐る恐る手を開いて見つめる。
外見上の変化は何もない。
だが、確実に──
何かが変わっていた。
(スキル……?
スキルって、スキルだよな。
マジで言ってるのか……?)
急いで悠人は教室を飛び出す。
誰もいない廊下を駆け、人目のない裏庭の隅にある古びた水道の蛇口の前へ立った。
その後、昼食時に購入し、空になったペットボトルに水道水を注いでいく。
何も指示されていないのに、やるべきことが感覚でわかっていた。
無性に何かを食べたくなるような飢餓感。
それによく似た感覚が自分自身に”行動”を急かしている。
「……よし。
試すなら、今だ」
まだスキルが発現したということを、誰にも知られるわけにはいかない。
能力者は厳しく管理され、特に未知の能力は即座に『探索者統制機構』の管轄下に置かれる。
即座に検査やら何やらをしなくてはいけないため、色々と面倒なのだ。
それに何より、機構には、悪い噂が絶えない。
珍しいスキル保持者はそのまま隔離され、人体実験に使われている──
そんな話もある。
SNS上で見かけた情報のため真偽は不明だが、念の為用心するに越したことはない。
身寄りがないので、頼る人間もいないのだ。
周りに誰もいないか再度念入りに悠人は確認する。
モルモットになるつもりはない。
主人公になりたいのだ。
「ふぅ──」
改めて、意識をつい先ほど湧き始めた感覚に集中させる。
やはり、本能がなんとなく理解していた。
スキルの使い方を。
悠人は、ポーションの材料を頭の中で検索する。
試験対策で習った曖昧な知識、ネット小説やゲーム、化学の教科書の記憶。
(成分……
水、糖分、塩分……
それに治癒の魔力と、薬草の有効成分……)
右手でペットボトルを包み込み、強く念じた。
「──『初級回復ポーション』を生成!」
次の瞬間、青白い光が右掌から溢れ出す。
光はペットボトル全体を覆い、中身を激しく分解し、再構築していった。
液体は渦を巻き、泡立ち、甘い香りは金属のような匂いへと変化していく。
それは、物質の『概念』が書き換えられる光景だった。
数秒後、光が収束する。
そこにあったのは、ペットボトルに入った、淡い緑色の透明な液体。
「は、はは──
まじかよ……」
《生成成功:【初級回復ポーション】》
《材料コスト、知識コスト、精神コストを消費しました》
三つのコストの概念が、悠人に知らされる。
よく分からないが、コストを消費した上で、物質をなんでも生成できるようだ。
手にしたポーションを見つめ、震える。
(”リアル生成AI”──
聞いたことのないスキルだ)
スマホで検索しても、同様の能力はおろか、それに近いものは一つも見当たらない。
間違いなく、機構に知られれば即管理対象の”スキル”だ。
そもそも、スキルは基本攻撃系のものばかり。
一部、茜のような肉体に影響するスキルが存在しているといったような感じだ。
魔法で攻撃の際に何かを出現させるものはある。
だが、ポーションのような高度な機能を持った”アイテム”を生成するというスキルは、聞いたことがない。
「こいつは──
マジでヤバいぜ……」
ポーションを鞄の奥深くに隠すと、悠人は早々に学校を立ち去ることに決める。
こうして今、天野悠人の非日常的な高校生活が、生成されたのだった。
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