第21話 茜ー2
目の前には大量の資料と奇妙な装置があり、3Dホログラムが浮かんでいる。
そこには、神崎零華が戦闘している様子が映し出されていた。
半個室とはいえ、周囲からは内容が丸見えだ。
これもスキルで生成したものなのだろうか。
何にせよ、このような機械を現実で見かけることはまずない。
悠人は、自分のスキルを今も自分以外の人間には内密にしているようであった。
だが、その異質さはもはや隠しきれてはいない。
完全な集中状態に入り、周囲の喧騒すら意識の外に追いやっている。
「悠人……!」
声をかけると、悠人はようやく茜の存在に気づいたようだ。
資料から視線をわずかに上げた。
「茜か。
悪いが、今は次のC級ダンジョン攻略のシミュレーション、その最終調整中だ。
急ぎでなければ後にしてくれ」
その言葉は冷淡で、事務的だった。
まるで、彼女の存在そのものが、シミュレーションに混じるノイズであるかのように。
茜の胸に、これまで積み重なってきた不安や焦燥、そして抑え込んできた嫉妬が一気に溢れ出す。
彼女は逃げずに、真正面から向き合うことを選んだ。
悠人の向かいに腰を下ろし、深く息を吸う。
「急ぎの用よ。
私たち、このままでいいの?」
男は小さくため息をついた。
その思考は、生成魔法の最適解と魔力消費のバランスに支配されており、感情的な会話に割く余裕はない。
「何の話だ。
僕は効率よく強くなっている。
君も回復魔法の訓練に集中しているはずだ。
それぞれが成長すれば、全体の生存率は上がる。
論理的な結論だろう」
「論理、論理って、そればっかり!
一人称も変だよ!!
そもそも、会話のキャッチボールがなってないし、論理的でもなんでもないっ!
最近、全然一緒にいないじゃない。
やめてよ悠人!!
一旦現実に戻ってきてッ!」
茜はテーブルに手をつき、一歩も引かなかった。
「君も分かっているはずだ。
僕のスキルは知識とデータに大きく依存している。
君を守るためには、最短で最強のデータを集める必要がある。
つまり、零華さんのデータが必要だ。
これは最優先事項なんだ」
茜の胸が強く締め付けられる。
悠人が高尚な意志を持ってデータに没頭していることは、分かっているつもりだった。
しかし、それでもなお、彼の頭の中が自分ではなく、別の何かで埋め尽くされ、乗っ取られていることに悲しみを覚える。
「そんなに他人のデータばかり集めて、本当に強くなれると思ってるの?」
悠人は顔を上げた。
その言葉は、彼のデータ至上主義そのものを否定する言葉だ。
「真似じゃない。
これは”ラーニング”だ、茜くん。
解析して、生成して、自分のものにしている。
この成長速度こそ、データが正しいという証拠なんだ」
「それって、悠人自身の力なの?
結局、誰かの模倣に過ぎないでしょ?」
茜の目には涙が滲んでいた。
もはや自分でも何を言っているのか分からなくなってくる。
ひどいことを言っている自覚はあったが、とにかく元の彼に戻ってほしかった。
「私が知りたいのは、あなたの成長とか効率とかじゃない。
私たちの……
人間としての──繋がりよ。
悠人、私のこと、どう思ってるの?
……昔言ってたよね?
パーティーを組もうって。
二人でA級探索者になるんだって!
私たちのパーティはどうなるの?
私があなたの隣にいる意味は!?」
「はは、なんだ。
そんな約束、まだ覚えていたのか」
茜の言葉は、悠人の思考を解析不能なエラーのように停止させる。
効率化された今の彼の脳内では、彼女の言葉は演算を狂わせるノイズでしかなかった。
(邪魔だ。)
データが、彼女を不要な存在だと告げている。
悠人は一瞬だけ言葉を詰まらせた。
同時に、茜の頬を伝う涙に気づく。
その姿を見て、無意識に手を上げ、それを拭おうとする。
しかし、その動作は半ばで停止した。
ここで感情に流されることは、自分が信じてきた強さと効率を捨てることを意味する。
「……強くなるためだ」
自分自身にも言い聞かせるように、冷たく言い放った。
「俺が強くなれば、君を守れる。
君が隣にいる意味は、最強の回復役になることで初めて定義される。
それまでは、僕の邪魔をしないでくれ」
その言葉は、茜にとって、自分が不要なものとして切り捨てられたのと同義だった。
涙が溢れ落ちる。
「……そう。
邪魔、なのね」
茜は立ち上がると、待機スペースを後にする。
かつての悠人は、もうデータと効率によって完全に塗りつぶされてしまったようだ。
「分かったわ。
じゃあ、邪魔にならないようにする」
去っていくその背中は、いつもより小さく、それでいて、どこか決意を秘めているようにも見えた。
悠人は彼女が去ったあと、再びホログラムに映る零華の剣技データを見つめる。
脳内ではリアル生成AIが再び稼働し、茜の感情的な訴えを一時的な精神的不安定要素として分類し、無視するよう勧告していた。
《解析結果:感情的要因(早乙女茜)は、現在の成長戦略において重要度の低いノイズです》
悠人はその結果に安堵し、再びシミュレーションへと没頭する。
しかし、それからいつまで経っても、胸の中に生じたわだかまりのようなものが消えることはなかった。
◇
早乙女茜と決定的な衝突をした、その翌日。
天野悠人の思考は、さらに冷たく研ぎ澄まされていた。
彼女の感情的な訴えは、リアル生成AIによる解析結果の通り「非効率な要素」として処理され、意識から切り離されている。
残されたのは、純粋な強さへの探求だけだった。
悠人が向かったのは、探索者ギルドから少し離れた場所にある旧防衛訓練場だ。
人の気配は少なく、B級ダンジョン『巨神の顎』の入り口にも近いこの場所は、上級探索者たちが”準備運動”に使うことも多い。
悠人のここでの目的は、リアル生成AIによって習得した零華式基礎剣術を、完全に自分の肉体へと馴染ませることだ。
データとしての完成度がいくら高くとも、それを支える身体の反応速度や持久力は、実際に動かさなければ鍛えられない。
「生成、神崎零華式基礎剣術シークエンス。
対人型モデル、速度レベル六〇パーセント」
手元に生成された頑丈な木刀を構えた瞬間、悠人の脳内で学習プログラムが起動する。
Aランク剣士・神崎零華が持つ剣の概念が、数値化された情報として意識に流れ込んでいった。
木刀が振り下ろされる。
軌道に迷いはなく、動きには一切の淀みもない。
重心は常に安定し、次の動作への移行は滑らかだった。
剣を振る瞬間、体幹と腕を通る魔力の流れが最適化され、無駄なく威力へと変換される。
呼吸もまた、長期戦を想定した効率的なものだった。
悠人は汗をかきながら、その動作を繰り返す。
これこそが悠人流の肉体トレーニングだった。
片端から零華の動きを徹底的に模倣し、それを自身の身体がついていけるようになるまで、ひたすら体を動かし続ける。
訓練を始めてから約一時間が経った頃、悠人が次の調整に入ろうとした、その時だった。
訓練場の入り口に、冷えた空気を纏うような人影が現れる。
A級探索者・神崎零華だった。
(なんでこんなところに──)
彼女もまた、次の任務に備えて身体を動かすつもりなのだろうか。
悠人が思わぬ再会に固まっていると、零華も悠人の姿を認め、一瞬足を止めた。
瞬間、零華の瞳がはっきりと見開かれたのが分かる。
「……私の──
動き───?」
その目に映っていたのは、単なる類似動作ではない。
木刀の軌道、手首の返し、腰の回転、魔力の流れ。
長年かけて身体に刻み込んできた自分自身の剣と、ほぼ完全に重なっているものだった。
数々の鍛錬と、死線を越えて完成させた剣術を、探索者になって間もない少年が、何の違和感もなく使いこなしている。
それは、自分の”父親”の有しているスキルのそれとは、また異なるものであった。
(──この能力は危険だわ)
その少年は他者の命を懸けた経験を、ただの情報として短期間で手に入れている。
零華が持っていた”情報”とは、明らかに異質なものであった。
もしその力が悪意を持って使われれば、探索者たちが身につけた技術の数々が容易く踏みにじられる結果になるだろう。
零華は警戒を強めながらも、同時に感嘆する。
これほどの再現には、動きだけでなく、魔力の流れ、骨格、剣士としての思考まで考慮する必要があった。
それを成し遂げている”努力”は、本物だ。
事実、彼は鍛錬に集中していた。
パンツを細部まで分析してきたあの時の変態とは、まるで別人だ。
その胸の中には、観察対象に向けられるそれとは異なる、純粋な興味が湧き始めていた。
零華は悠人の元へと歩いていく。
「天野悠人」
「は、はい。
どうも、神崎──さん」
振り返ると同時に、少年の額から汗が流れ落ちる。
「うむ、よろしい。
”様”でもいいわよ。」
「……神崎──
様も、訓練ですか?」
「そんな感じだ。
それにしても、いい動きだ。
誰に教わった?」
零華は探りを入れる。
その男はこちらのことを相変わらずデータの塊のように見つめていた。
お互いがお互い、情報を得るためだけに会話を行っている。
なんとも無機質な空間だろう。
「誰にも。
あなたをラーニングして、そのデータを使っているだけです」
「……つまり、スキルの効果ということか?」
「……何も言えません」
悠人は口を滑らせたことに気づき、はぐらかした。
その瞬間、ここ数日間の出来事が脳内を駆け巡る。
自分のスキルの存在をそこまで隠せていなかった事実に、ようやく気づき始める。
緊張で固まる中、神崎零華は、こちらのことをじっと見つめていた。
「──どういうことだ。
物理的なもの以外も”生成”できるということなのか?」
「え?
はは、なんのことやら」
「……その力は、危険すぎる。」
零華の顔は、いつにも増して険しかった。
「ただの模倣ではない。
他者の経験を喰らう───
”機構”の監視対象だ」
彼女はそう静かに言い切った。
『物理的なもの以外も”生成”できるということなのか?』
その言葉に悠人は引っかかりを覚えたが、余計なことを言えば、さらに事態は悪化するかもしれない。
沈黙は金だ。口を閉じたまま、ことが過ぎるのを待った。
悠人は冷や汗を流す。
彼女は機構と思われる者たちと共に行動していた。
ようやくそれらのことも思い出してきた。
どうも頭の回転が鈍っている。
自分の記憶が随分と遠くに感じる。
焦りを覚えながらも、悠人は対処すべき脅威を再認識した。
モンスターだけではない。
人間も場合によっては敵になるのだ。
F級ダンジョンの件のように、秘密裏に襲撃される事態に発展する可能性も、もはや否定できなくなっている。
「あのっ──」
「心配するな。
別に告げ口したりはしない」
「そ、そうですか……」
緊張感が漂い始める中、神崎零華はその身を翻す。
そのまま場を立ち去り、茂みの奥へと消えていった。




