第20話 茜
D級ダンジョン『黄昏の石窟』を制圧して以来、天野悠人の生活は、データ収集と生成を機械的に繰り返すものへと変化していた。
零華の能力を軸にしてからというもの、その成長速度は、凄まじいものとなっている。
前回のボス討伐で得た達成感と、ギルド内に広まりつつある評価と噂は、悠人の中にあるデータ至上主義をより強固な信念へと変えていった。
確信している。
この世界で生き残り、大切な茜を守るために必要なのは、感情や根性論ではない。
正確無比なデータと解析であり、それこそが絶対的な力なのだと。
「──次は、身体強化の効率化だ。
零華のAランク相当の身体運用データをベースに、
俺の魔力特性に最適化したモデルを生成する……」
攻略からさらに数日。
悠人は自分の身体能力を、生身の人間では本来到達しえない領域にまで引き上げていた。
本来なら10年以上はかかる努力も、データによって数日で再現することができた。
その事実に、悠人は陶酔する。
これこそが、”データチート”の真髄。
(──ここ最近、誰ともほとんど会話をしていないな。)
悠人はギルドの休憩スペースで情報収集をしていた。
最近行った会話といえば、受付の人間に業務報告を済ませた時に交わすわずかな言葉くらいだ。
以前よく話していた人間──
早乙女茜とは今も珍しくない頻度で顔をあわせる。
彼女は元々、治癒魔法を持った人間として時折このギルドに講習を受けに通っていた。
だが、悠人はD級ダンジョン制圧後、意図的に彼女との接触を避けている。
理由の一つは非効率性だ。
会話は無駄な時間でしかない。
茜のレベルはまだ低く、接触したところで、データ収集の速度が落ちるだけ。
最短で強大化するという悠人の現在の行動原理において、それは許容できなかった。
もう一つは隠蔽。
異様な成長速度と、その根幹にあるリアル生成AIの真の能力を、誰にも──
たとえ茜に対してであっても、完全には知られたくなかった。
悠人は資料から目を離し、ギルドにいる他の探索者たちを眺める。
探索者たちは常に命懸けだ。
故に、複数人で行動するものがほとんどである。
悠人以外の誰もが、誰かとともに行動していた。
視界には、親しげに笑い合う男女の姿が目に入る。
(落ち着け。
俺は他の人間とは違うんだ。
このスキルは、そういう軟なものじゃない。)
悠人は再び手元の資料へと視線を落とす。
一時期は自信をなくし、茜にだけはスキルが発現したことを打ち明けたものの、ここ最近でやはりこのスキルは”チート”であって、異常なものであることは、自分の中で周知の事実となっていた。
チート具合をベラベラと喋っていたら、機構に目をつけられる可能性は高い。
いっそのことスキルについて機構に報告しても良いとも思ったが、それには煩雑な手続きなどが伴う。
データ収集の邪魔だ。
データ。
データデータデータ。
データの収集こそが最優先されるべきなのだ。
(そうだ。
誰もいらない。
俺に必要なのは、データなんだ。
データだけあれば、俺はそれで大丈夫だ。)
悠人は席を立ち上がると、さらなるデータを得るべく、無機質に歩き出す。
◇
早乙女茜はギルドの休憩スペースで、一人水筒に入った麦茶を飲みながら、壁の時計を眺めていた。
こんな時間が増えている。
その視線の先には、無言でタブレットを操作する少年の姿があった。
天野悠人だ。
リアル生成AIの解析結果に、今日も没頭している。
「また一人でやってる……」
自分の姿には、まるで気づいていないようだ。
胸の奥に、鉛のような重さが沈んでいくのを感じる。
茜の不安をさらに掻き立てたのは、悠人が解析に没頭している対象が、剣の女王・神崎零華であることだった。
女だ。
自分以外の女の研究だか勉強だかに、悠人は夢中になっている。
悠人から見て、零華はあくまで最高峰のパフォーマンスデータとして扱われているに過ぎないのかもしれない。
だが、それでも疑念は消えなかった。
(なんでそっちの方ばっかり向いてるの……?)
悠人と話を試みても、口から語られるのは零華の剣技の最適化構造ばかり。
彼から話しかけてくることはなくなり、すっかり関係は疎遠となっている。
「零華の無詠唱・魔力圧縮は、従来の魔術理論とまったく違う。
勝利への執念が、無意識に魔力を最適配置している結果だ。
これを生成AIに取り込めば……」
熱を帯びた悠人の言葉は、茜には眩しく、そしてどこか冷たく響く。
まるで全くの別人となってしまったかのようであった。
神崎零華はA級最強の探索者で、美貌と実力を兼ね備えている。
悠人が自分との関係をあっさりと断ち、そんな神崎零華のデータに時間も身体も捧げているように見えることが、茜の心を深く抉った。
(嫉妬しているのだろうか。)
初めて湧き上がってくるこの浅ましい感情に、茜は戸惑う。
何より、悠人がまるでスキルの部品のように他人を消費している姿が、どうしようもなく見苦しく、悲しかった。
彼は本来、そんな人間ではないはずだ。
茜が本当に恐れていたのは、悠人が一人で危険な領域へ踏み込み続けていることだった。
D級ボスを瞬殺したという噂は、すでにギルド全体にまで広がり始めている。
神崎零華の救出にたった一人で向かったことも。
その異質な存在感は、すぐに機構の目にも留まるはずだ。
(悠人は、わかってない。
データが全部じゃないのに……
見えなくなってるよ、周りが。
自分の内側を向きすぎてる。)
茜は、悠人のことを誰よりも知っているつもりだ。
だからこそ、彼のデータ依存が持つ致命的な盲点にも気づいている。
複雑な人間関係。
組織のしがらみ。
そして、自分自身や周囲の人間が抱える感情や不安。
そうした、データ化できない要素を切り捨て始めていることは、非常に危うい。
その夜も、悠人は自宅でダンジョン攻略の準備に没頭しているようであった。
茜はメッセージアプリに
「明日、時間ある?」
と送る。
だが、返ってきたのは短い一文だった。
《無理だ。
新しい武器のプロトタイプを生成する。
効率を優先する》
感情の欠片も感じられない返事に、茜はスマートフォンを力なくベッドに落とす。
まるでチャットAIと会話しているかのような気分だ。
(悠人──
本当にそれでいいの……?
私たち、これで終わりなの……?)
茜は携帯の電源を切る。
暗転した画面には、自分の憂鬱な表情が、鈍く反射していた。
◇
「最近熱心だね、茜ちゃん。
何かあったの?」
不意に教官の女性に話しかけられ、茜の肩が跳ねる。
探索者ギルドの奥にある、訓練専用の治療室。
茜はあれから、放課後に治癒魔法の練習をするため、そこに籠もるようになっていた。
「い、いえ──
そ、そのっ──そうですね───
強いていうなら、大切な人のために、もっと上達しないといけないなって!
そう思ったんです!
あはは……」
茜は無理やり笑顔を作りながら返答する。
そのそばには訓練用の人形が寝かされていた。
人形についていた傷口は、不自然に盛り上がりながらも、どうにか塞がっている。
「……そっか。
まぁ、あんまり無理しないでね。
茜ちゃんは、もうすでに大手ギルドの内定も決まっているんだし、高校卒業後にゆっくり上達していけばいいと思うよ。」
「……ギルドの推薦は、とっくに辞退してますよ。」
「──え?」
「と、とにかく、頑張ります!」
茜はその腕を再び人形へと向けた。
教官の言葉など、今の自分には何も響かない。
ある日の夕方、茜は疲労困憊のまま訓練室の床に座り込んでいた。
手首には、傷だらけで色褪せたミサンガが巻いてある。
「無茶をするな、茜。」
そのとき扉が開き、悠人が姿を現した。
「──なんでここに」
「新しい素材調達のついでに、ギルドへ立ち寄ったんだ。
教官からお前のことを聞かされてな。」
疲れ切って座り込んでいる茜を見ても、悠人の表情は変わらない。
その視線は、感情ではなく解析へと向けられていた。
「今の君の魔力容量じゃ、中級制御すら安定しない。
体力消費が回復量を上回っている。
これは”非効率”だ。」
その言葉は、刃のように茜の胸に突き刺さる。
以前の彼なら、こんなことは決して言わなかった。
言うはずがなかった。
「ひ、非効率……?
──そ、そうかもしれない……けど、
それなら、教えてほしいな……」
「とりあえずその無駄な努力をやめるんだ。
現段階での君の成長曲線と、俺の戦闘リスクの上昇は完全に乖離している。
治癒魔法でサポート前提の動きをするなら、もっと論理的に考えるべきだ。
零華さんの回復指示データを基に、効率的な魔力運用モデルを生成すればいい。」
悠人は、過去に記録された零華の回復関連データを整理し、茜に提示しようとした。
紙とペンを取り出し、数式のようなものを書き始める。
「この光の収束率を参考にすれば、回復効率は二割は上がる」
それは、最適化であった。
あまりにも無機質な思いやり。
「い、いらない。」
茜は思わず、その差し出された紙を手で弾いた。
「悠人の言うデータは、他人のものよ。
私の治癒魔法は、誰かの真似をすればいいってものじゃない。
私が、人を助けたいって思う意志があって初めて、強くなるのよ!」
震える声で、茜は訴えた。
実際、それは嘘ではない。
結局のところ魔法は、自分自身の魔力と感覚が重要になってくる。
論理でどうこうというより、適性やセンスの問題なのだ。
悠人が何の情報をもとにアドバイスをしているのかは知らないが、少なくとも今の茜にとっては釈迦に説法。
この指摘は、根本的に間違っている。
「感情は誤差要因だ。
正確なデータこそが、生と死を分ける。
守りたいなら、その感情を定量化してスキルに反映させるべきだ」
それはもはや、ただの自己肯定のように見えた。
茜は震え、一言も発することができない。
その目に涙を溜めることしかできなかった。
悠人はその様子を見て、茜の真摯な努力や葛藤さえも、未解析の要素として処理する。
「これ以上向き合うのは、非効率だな。」
その無機質な男は、茜を置いて立ち去っていく。
茜は、どうしようもない焦燥感に包まれていた。
「意味がわからないよ……
行かないで───
悠人……」
ただ努力するだけでは、悠人を取り戻せない。
その事実に気づいた茜は、ただ去りゆく背中を見つめることしかできなかった。
男は、強さと勝利、そしてデータ集積の先にある何かに囚われている。
少なくとも、治癒魔法の上達程度で取り戻せるような状態では、決してなかった。
◇
早乙女茜は、悠人に電話やメッセージで連絡を取ることを諦めつつあった。
その男から返ってくるのは、データに関する連絡や業務報告ばかり。
無機質で無情、簡素な短文。
(なんとかしないと。
──このままだと、本当に私たちの関係が押し潰されちゃう。
そんなの──嫌だっ)
その日、茜は意を決して、悠人が次のダンジョン攻略の準備をしているであろう場所──ギルドの探索者待機スペースへと向かった。
夏休み真っ只中。
ジメジメとした湿気が、どうしようもなく体にまとわりつく。
「……やっと着いた。」
そこは、探索者たちがパーティごとに作戦会議を行ったり、休息を取ったりするための半個室エリアだ。
悠人は、すでに隅のテーブルに座っていた。




