第12話 神崎零華ー3
探索者ギルドのロビーは、相変わらず鉄と汗、そして魔物素材の微かな匂いが混ざり合う、生々しい熱気に満ちている。
昨日までの平凡な高校生活から一転、ここが天野悠人の、新たに毎日通う場所となっていた。
悠人は、ギルドのロビーへ来ると、昨日受け取ったばかりの真新しいFランクのギルドカードを受付に提示し、その後ポケットにしまう。
昨日感じた高揚感がまだ冷めない。
まだ見慣れない、憧れていた光景が目の前に広がっていた。
(さて、事前に調べておいたダンジョンはまだあるな。
どれにしようか。)
悠人はギルドの依頼掲示板の前に立ち、次の行動を吟味する。
(スキルよ、お前が分析してくれ。)
スキルが起動し、ネットの情報や過去の討伐記録を、脳内で瞬時に検索し始めた。
間もなく、リアル生成AIは、F級ダンジョンの効率的な攻略ルートや、初期装備の最適解を、悠人の脳内に”生成”し始める。
(まずはF級ダンジョン『廃墟の地下水道』で、腕試しだ。
ダンジョンでしか手に入らないような”物理コスト”もできるだけ集めないとな。)
悠人は、入院している間、無力感に苛まれていた。
が、今では、すでに多くの探索者とは違う土俵に立っているという、ある種の優越感を感じ始めている。
──むしろ、そんなメンタルを保たなくては、この死が見え隠れする環境でやっていけそうになかった。
周りには自分よりも優れた存在がすでに大勢いて、気後れしそうになる。
高校は休学し、もう進むしかない。
こんな孤独な状況下では、自分が特別であると信じ込まなくては、やっていけなかった。
(よ、よし。
いくぞ……)
悠人が歩き出したその時、ギルドの重厚なエントランスドアが開き、ロビー全体の喧騒が一瞬にして凍りつく。
「み、みろよあれっ!」
「やめとけよ、女子高生だぞ。」
「ちげぇよ馬鹿!
神崎零華だ、A級の!」
誰もが息を呑み、視線を向けたその中心に立っていたのは、一人の少女だった。
その少女は、銀色の髪を高く引き締めたポニーテールの髪型をしている。
格好は普通の女子高生のそれだ。
制服を着ており、膝まであるそのスカートが、歩行とともに揺れていた。
しかし、何より特徴的なのは、そのアイスブルーの瞳が放つ、人を寄せ付けない圧倒的な”威圧感”。
まるで、彼女自身が巨大な刃であるかのように、周囲の空気を切り裂いていた。
腰には、一切の装飾を排した、しかし尋常ではない圧を放つ刀のような武器が提げられている。
その刀は、ただの武器ではなく、彼女の研ぎ澄まされた魂の具現化のようだった。
A級探索者・神崎零華。
巷では、『剣の女王』と呼ばれている。
(──しかし、なんだよ『剣の女王』って。
ダサくてセンスのない異名だ。
俺のXx_アルティメット・ラーナー_xXの足元にも及ばない。)
しかし、その姿を見ただけで、悠人の体は反射的に硬直していた。
体が震えている。
モンスターでないのに、本能が人間を超えた異質の脅威だと警告していた。
全身の細胞が危険信号を発しているのを感じる。
感じながらも、悠人は反射的に”リアル生成AI:深層学習機能”を起動させた。
自分の求めていた”生のデータ”の塊が、今目の前にある。
彼女のデータが欲しい。
その一心で。
《対象:神崎零華。
ステータス、戦闘パターン、使用スキル、装備構成を解析開始…》
しかし、脳内で響いたのは、これまで聞いたことのない深刻な警告メッセージだった。
《警告:対象の知識情報が極度に不足しています。
解析精度:10%。》
《対象は、通常の『データ』では補足できない、『概念的な情報(経験、意志、魂)』をその力に統合しています。
スキル【ラーニング】による模倣・生成は、現時点では極めて困難と判断されます。》
悠人は愕然とした。
これまでのリアル生成AI、ディープラーニング機能は、どんなに複雑な化学式や物理法則でも、精神コストさえ適当な量があれば、ある程度の精度で解析できていた。
しかし、この零華という人間を前に、スキルの決定的な限界が露呈する。
(う、嘘だろ。
分析できないなんてことあるのかよ……)
そんな中で、零華は、わずかに足を止め、悠人の方に顔を向けた。
その視線は動くことなく、確実に悠人のことを捉えている。
(な、なんだよ。
まさかスキルを使用したのがバレたのか……?
そんなバカな)
彼女の視線は、悠人に心臓が直接掴まれたかのような、冷たい恐怖を与えていた。
冷や汗が頬をつたる。
「ど、どうも。
ななななんでしょうか。」
「なるほど、貴方の力……
面白いわね。」
零華は、悠人の目を見据え、まるでスキルのことを見透かしたような言動を続ける。
「バレバレよ。
魔力が私に向けられてるもの。
温風のドライヤーを吹きかけられたみたいで不愉快だったわ。
けど、そんな様子じゃまさに豚に真珠のようね。
──”スキル”に依存しすぎているわ。」
彼女は、静かに一歩、悠人へと近づいた。
その一歩だけで、ロビーの一般探索者はさらに後ずさり、通路が開き始める。
「ぶ、豚……
俺は人間だ。
太ってもないぜ。」
「ことわざよ。
知らないの?」
「え?
あぁ、はは。
知らないです!」
「そんなスキルで強くなったつもり?
力の本質は、貴方が信じるような、”得られる”ものなんかじゃないわ」
「──先ほどから何を言ってるんですか……?
す、スキルなんて知らないですよ!
ドライヤーとかなんとか言われても、俺は無能力で──」
(お、おいおいおいおい嘘だろ、本当にバレてるのか……!?)
悠人はたじろぐ。
動揺していたこともあって、彼女が後半何を言っているのかよく聞き取れなかったが、とにかくまずい。
神崎零華は、腰の刀に手をかけ、親指で鍔を押し上げた。
その動作だけで、悠人の全身は、瞬時に斬り刻まれる未来を幻視する。
「本当の強さとは、地獄のような訓練の中で、自らの肉体と精神に刻みつけた経験の積み重ね。
そして、その経験を乗り越え、死を恐れずに剣を振るう揺るぎない意志よ。」
(この女はさっきから何をいっているんだ……!?
やっぱり、本当に俺のスキルを把握して……?
そんなバカな。
そういうスキルを持っているのか……?
視線とかを察知しただけならまだしも、能力自体を把握できているわけがない!)
「スキルは、ただの偽物。
貴方は、その脆い偽物に囚われている限り、私の領域には永遠に辿り着けないわ。
大人しく夏休みの宿題でもしてなさい。」
そう言い放つと、零華は刀から手を離す。
悠人にもう一度冷たい一瞥をくれると、その後、ギルドの奥、上層部への階段へと向かっていった。
彼女のその背中には、彼には手出しできない、絶対的な経験の壁が立ちはだかっているように見える。
その場に残された悠人は、全身に冷たい汗をかいていた。
零華が立ち去った後も、彼女が発した言葉の残響が、彼の頭の中を支配している。
結局彼女に対してろくに会話することができなかった。
いや、下手なことを言えば、首が飛んでいたかもしれないということを考えると、これで正解だったのかも知れない。
”「スキルは、ただの偽物」”
彼女の言葉が、今も悠人の頭の中に反響していた。
(くそ、終始何を言ってるのかよくわからなかったが、とにかく否定しやがってあいつめ。
……一応、俺と同い年なんだよな──!?)
拳を握りしめ、頭の中で呟く。
色々と自分の無力感を実感してきた。
しかし、見知らぬ同年代の他者にコケにされると、急に対抗心のようなものが湧きだしてきて止まらない。
悠人は再度、スキルを起動させた。
「……白色───だと……」
「……は?」
静寂に包まれる中、突如悠人は呟く。
その言葉が神崎零華の耳にも入り、足を止め、振り返った。
「───何が?」
彼女は、鋭い視線で睨みつけてくる。
「──え、い、いやなんでもない。」
一瞬の寒気が悠人を襲う。
かと思うと、次の瞬間、悠人の首のすぐ横に零華の刀が突き刺さっていた。
いつの間にか零華自身も目の前にいる。
彼女は一瞬で距離を詰めていた。
「言え。
白色とは何のことだ。」
鋭い彼女の視線がさらにその険しさを増す。
「お前が私に向けて何らかのスキルを使用したのは、”魔力”の流れでわかっている。」
「ほ、本当に何でもないってば──
何でもないでございます、神崎さん。」
壁に突き刺さった刀の刃が、ジリジリと壁ごと裂いて悠人の首へ近づいてくる。
悠人は必死に釈明した。
「ひっ、ひいいいいいっ!」
「言えッ。」
彼女の視線が突き刺さって、痛かった。
「……お、お前の……お前の──────
「私の、なんだ!」
「……パンツの色だ。」
悠人は渋々口をひらく。
「……は?」
「……」
「パンツ?」
「うん。」
「貴様───ッ」
「ま、待ってくれ!
お、おおお、落ち着け。
いや、お、俺はただ、スキルを使用しただけだ。
スキル。スキルのせいだよ!」
彼女のあまりの殺意に、悠人は思わず失禁しそうになった。
言ったそばから後悔する。
「に、偽物だのなんだの抜かすから、見返させてやろうって、それでスキルを使用して──」
この場で一番落ち着いていない悠人は、必死に釈明を始めた。
「それでその──
スキルの力で判明したからつい呟いてしまったんだ。
すまない。」
嘘はついていない。
実際、何か分析できる情報はないか、コストを余計に消費してまで、悠人は分析を行った。
だが、彼女が着ている制服や装備の情報も、うまく読み取ることはできなかった。
唯一分析出来た情報を見つけ、思わず先に口走ってしまったが、そのすぐ後に、それが彼女の下着の分析情報であることに気づいた。
どうやら床に反射した情報からスキルが感知できてしまったようだ。
「……ん?
なんだ。
分析によるとお前のパンツはただの白色じゃないみたいだな。
──なんだこれ。
キャラクターが描かれているのか!?
クマのような刺繍が───」
「黙れぇっっ!!!!!!」
刀の刃が首元に到達し、血がわずかに漏れ始める。
「ひぃいっ」
「もういい。
喋るな。
今回は許してやる。
次はないからなこの変態が。」
零華は顔を近づけ、至近距離で今度は悠人以外に聞こえないような声で話す。
「これは私の趣味よ、クソ野郎。」
さらに小さな声で告げた。
清楚な雰囲気をしていたのに、今では彼女のことがガラの悪い時代錯誤のヤンキーにしか見えない。
剣の女王と言われれば、今では確かに、彼女は”女王”に見える。
「……すみません。
いや、本当に咄嗟に思いついたことで、悪気はなかったんです。
神崎さん。」
「チッ──」
「ていうか、キャラクターもののパンツなんてあるんだな。
それも女子高生向けに。
めずらし──ぼお”っ”」
零華は悠人の股間を軽く蹴り上げた。
その後、悠人が固まって動けずにいる中で、彼女は刀を壁から抜いてさっさと建物の奥へ消えていく。
悠人は地面に蹲りながらも彼女の顔を見た。
頬を赤く染めた彼女の顔を見て、彼女が同じ人間であることを実感しつつ、同時に、同じ人間としての実力の”差”も感じ取る。
(あれが、本物の強さ……
俺のリアル生成AIが解析できなかった概念……)
悠人は、零華の背中を、悔しさと、しかし強い渇望をもって見送った。
(……いつか絶対に、お前の剣技も、ラーニングしてみせる。
このスキルの可能性を───
俺という人間の可能性を、お前にも教えてやるぜ。)
”モンスター”や、”ダンジョン内の物質”の他に、新たなラーニングすべき対象を発見した。
神崎零華というデータの塊は、自身のスキルの可能性を、さらに飛躍させる存在にすぎない。
◇
ギルドでの神崎零華との遭遇から数時間後、まだ緊張が冷め切らない中、天野悠人は、ダンジョンゲートの前に立つ。
最低ランクであるF級のダンジョン、『廃墟の地下水道』。
予定通り、ダンジョン攻略は行う。
神崎零華を見て、さっさと強くなりたいと言う思いが胸中を支配しつつも、まずは一歩、堅実に踏み出すことにした。
様々な思いを抱えつつも、天野悠人はそのゲートへ足を踏み入れる。
F級のダンジョン・『廃墟の地下水道』へ突入した。




