第11話 神崎零華ー2
只野学園高校の職員室は、静けさに包まれていた。
部屋の外からは、破壊された校舎の改修作業の音が聞こえてくる。
あれから数日、それでも社会は動き続けていた。
教師たちもまだ血の跡が残るこの校舎の中で、作業に追われている。
そんな中、悠人が担任教師に提出した”休学届”の文字はやけに重々しく見えた。
「天野、本当にこれでいいんだな?
お前の成績はギリギリだとはいえ、進学もまだ間に合う。」
担任教師のかけた心配の言葉は、ごく常識的で、悠人の平凡な日常を象徴していた。
一週間前までなら、悠人も同じように考えていたかもしれない。
「……天野、お前のようなスキルに恵まれない人間にこそ、学校が、勉強が、必要なんだよ。」
しかし、今はもう違う。
「はい、先生の言う通りです。
でも、僕は──」
今の悠人は、スキルが発現していた。
何より、あのゴブリンリーダーとの戦いで味わった絶望と、無力感は、己の価値観を根本から破壊し、そして、再構築させた。
新たな意志を”生成”させた。
「俺はっ──
自分の力で、自分の大切なものくらいは、守れるようになりたいんです。」
教師の目にはクマができていた。
充血している。
作業に追われる中、突如としてやってきた悠人に、苛立ちを隠せていなかった。
「……はぁ?
まぁ、昨今生徒の意思を尊重しろだの何だのうるさいから、俺も強いことは言えないけどさ───」
「大丈夫です。」
「でもよ──」
悠人は食い下がろうとした教師の目の前に、思わず一本のナイフを生成する。
(こんなところで時間を無駄にしている余裕など俺にはないんだ。)
「う、うおっ───」
教師はそのナイフを見てのけぞった。
悠人はそのナイフを、今度は即座に分解し、消滅させる。
自身が習得した、生成、分解のプロセス──
この一連の動作も、だんだんと慣れてきていた。
辺りには再び静けさが戻る。
別の教師が遠くでキーボードを叩く音だけが鳴り響いていた。
「天野お前───
まさか、スキルが発現したのか!?」
「と、とにかく信じてください。
生徒の可能性に。
──このことは、内密にお願いします。」
「……」
「では、行ってきます、先生」
机の上に置かれていた諸々の書類を、半ば強引に悠人は手に取る。
その後、足早に職員室を後にした。
校内には、ブルーシートや、透明のシートがいろいろな場所にかかっている。
多くの大人たちが出入りする廊下を、一人、悠人は歩いていった。
心臓がうるさい。
つい自分のスキルの一端を教師に見せてしまった。
だが、興奮が今はとにかく治らなかった。
あれだけ見ても、教師は探索者統率機構に連絡したりはしないだろう。
良くも悪くも、彼は生徒に無関心な教師だ。
それに、これ以上面倒な仕事を増やしたくはないだろう。
こんな感覚は初めてだった。
ここ最近胸の内側で沸き続けていたモヤのようなものが一気に晴れた感覚に襲われる。
何であれ、自分はスキルを発現し、自分を低く評価していた教師を黙らせたのだ。
これほどまでの快感を得たのはいつぶりだろうか。
小物だなと、内心思いつつも、快感を感じているのは事実なので仕方がない。
実際、今まで自身は眺めることしかできない”モブ”だったのだから。
かつての教室を通り過ぎる。
引かれたブルーシート。
割れた窓。
その窓の先にある、変わらず穏やかな街の風景。
その街の裏側には、ダンジョンという非日常が喰らいつき始めていた。
耳を澄ますと、今もどこかで鳴っているサイレンの音が聞こえてくる。
それがダンジョン由来のものではない可能性もあった。
だが、とにかく、もうその”裏側”から目を逸らすことはできなかった。
高校を出た悠人は、そのまま探索者ギルドへと向かう。
茜も今日、学校に来ているようだが、生徒会で忙しいようだった。
彼女の姿はこれで当分見納めになる。
最後に何か言おうと思ったが、浮かんだ思いを唇を噛んで掻き消す。
そんなことはどうでもいい。
それはあくまで自分の感情でしかない。
それは何も救わない。
何も学びにはならない。
茜を守れない。
(データだ。
データこそが俺を生かし、スキルを強化し、人を救う。)
悠人は前を向いた。
その視界に校舎の姿はなく、真っ青な空だけが広がっている。
◇
ギルドのロビーは、鋼鉄と汗の匂いが混ざり合い、熱気に満ちていた。
「あら、受付ですか?」
「……はい。」
悠人は受付で探索者の正式登録手続きを進める。
登録書類の職業欄に、迷わず『探索者』と記入した。
その隣に、スキルの記入欄と”その他”の欄がある。
”スキルなし”と書きつつも、自分自身の心に刻むための、隠された肩書きを、”その他”の欄に書き加えた。
「「「究極のデータ収集者(Xxx_アルティメット・ラーナー_xxX)」」」
(──カッコつけすぎかな。
名前はカッコ良ければかっこいいほどいいし、まぁ、いっか!
ガキの悪ふざけだと思ってくれた方が、こちらとしても色々と都合がいい。
俺はただの少しイタい一般高校生だぜ!)
「ふっ」
「……はは、随分かっこいい肩書をお持ちのようですね。」
受付の人間は、鼻で笑っていた。
登録手続きが完了し、悠人はギルドカードを受け取る。
発行料は1500円。
なかなか悠人にとっては痛い出費だった。
カードに印字された探索者等級は、最も低いF級。
スキルの欄は空欄で、当然だが無能力扱いとされていた。
(──ここから俺が目指すのは、知識と経験の頂だ。)
手続きを終え、今日は一旦帰ろうとロビーの出口に向かう。
「おい、聞いたか?
今日、”剣の女王・神崎零華”が、B級ダンジョンから帰還するらしいぜ」
そんな中で、悠人の耳に一組の探索者の会話が飛び込んできた。
「マジかよ、Aランク最強のソロ探索者だろ?」
「こないだの高校に出現したモンスターの群れも、あいつがほとんど一人で鎮圧したらしいな。」
神崎零華。
巷で有名な、A級に君臨する、孤高の高校生剣士だ。
まさに以前の悠人は、彼女のような、モンスターたちを薙ぎ倒す、主人公のような存在に憧れていた。
彼女の剣技は、ネットの知識なんかじゃ絶対に手に入らない、命を賭けた経験の塊。
(……いつか彼女のことも”学習”したいな……。
そういえば、彼女のデータが取れれば、モンスターの学習なんかしなくても、ある程度は、モンスターに対抗できるようになるんじゃないのか……?)
一人で色々と考えながら、ギルドの重い自動ドアの前に立ち止まった。
いよいよ探索者としての日々が始まろうとしている。
この一歩を踏み出すということは、彼のこれまでの安全な生活、幼馴染の茜との穏やかな日々、平凡な自分を、完全に過去にすることを意味している。
待ち受けるのは、命の危険や、自分のスキルが通用しないかもしれないという恐怖と常に隣り合わせの毎日。
だが、もう、立ち止まることはできない。
頭には、自分の無力さを味わったあの日の惨状が──
茜と、誠司の無惨な姿が浮かんでいる。
強く、深く息を吸い込んだ。
(俺のスキルは、知識と経験が全てだ。
いけ、行動しろ。
最強の"データ"を集めるんだ!)
悠人は制服を脱ぎ、肩にかけると、その決意を、心の中で改めて叫ぶ。
心の中で。
流石にこの場で声に出す度胸なんてない。
覚醒と無力感、幼馴染の危機を経て、天野悠人は、知識と経験を生成する究極の探索者として、命を賭ける新たな世界へ、その一歩を踏み出すのだった。
◇
悠人は翌日、再度ギルドのロビーへと訪れた。




