第109話 母親生成のロードマップ
研究所の崩れた天井から、朝の光が差し込んでいる。
それは夜の闇を強引に引き裂くような、冷ややかで鋭い光の束だった。
破壊され尽くした鉄筋コンクリートの隙間から、舞い上がる塵のひとつひとつが黄金色に縁取られ、かつて狂気と野望が渦巻いていたこの密室を、残酷なまでの現実感で照らし出していく。
瓦礫の隙間に立つ男が、軽く肩をすくめた。
その仕草には、修羅場を幾度も潜り抜けてきた者特有の、軽薄さと底知れぬ余裕が同居している。
「まったく……
とんでもないことをする」
S級探索者、風間次郎だ。
悠人を見て不敵に笑っていた。
「なっ──」
悠人の頭の中にさまざまな絶望が駆け巡る。
もう戦闘のためのコストなど微塵も残っていない。
これ以上生成を行ったら、おそらく心臓が破裂して死ぬだろう。
何より、ここに風間が到達したということは、恐らく、茜とリリスが──
「安心しろ。」
震える悠人の心を見透かすかのように、風間は笑顔で言葉を紡いだ。
その後、何かを悠人の前に放り投げる。
「茜、リリスッ!!」
赤銅色の髪が、差し込む光に照らされて輝いていた。
隣には小柄な、セピア色の髪をした少女──
リリスもいる。
首と胴は繋がっている。
肉体の欠損は見られない。
悠人は慌てて二人を抱えようとその腕を精一杯広げた。
零華はその前に二人を掻っ攫うかのように、横から飛んでキャッチする。
両脇に、あかねとリリスを抱えた。
その後、急いで悠人の目の前に二人を寝かす。
リリスも茜も目を閉じていた。
「よかった……
呼吸しているっ」
悠人は足を引きずり、腕を使って彼女たちの前に移動して、生きていることを確認する。
もはや足は動かなかった。
が、その頭を地面まで下げて、胸が上下していることを確かめる。
「ははっ、安心しろ。
気絶しているだけさ。
峰打ちってやつだ。」
風間は大きく笑い飛ばした。
「下がってて。」
零華は一人、動けない3人を背に、武器を構える。
風間の浮かべるその笑みは、単なる嘲笑ではない。
目の前で起きた、既存の理を無視した生成の奇跡に対する本能的な賞賛と、わずかな戦慄が混ざり合った複雑な表情であった。
男は体に付着した、悠人の生成した兵隊の残骸を、興味深そうに爪先で弾く。
「君は、S級の域に達しているよ。
少なくとも、この一晩で発生させた被害の規模はね。」
その言葉に、悠人は息を呑む。
肺の奥に溜まった冷たい空気と、使い果たしたはずの魔力の残滓が胸を締め付けた。
ただの皮肉だろう。
それでもS級という言葉の重みは、この世界の探索者にとって絶対的な壁だ。
それを、この場において最も強大であろう実力者に認められたという事実は、耳鳴りのように悠人の思考を揺さぶる。
冗談めいた口調。
だが、その目に浮かぶ評価だけは、本物に感じられた。
「悠人、二人を連れて逃げられるか」
男の瞳は、まるで深淵を覗き込むような暗さを帯びている。
そこには、数多の怪物を屠り、数多の絶望を乗り越えてきた者だけが持つ、磨き抜かれた刃のような鋭利さがあった。
悠人は無意識に視線を逸らそうとするが、逃げることは許されない。
この男の視線は、悠人の内側にある”概念生成”という力の本質を、無理やり抉り出そうとしているかのようだった。
「──今回の件は、これで終わりだ。」
「……は?」
風間次郎は、あっさりと告げる。
その切り替えの速さは、嵐が去った後の静寂に似ていて、どこか拍子抜けするほどであった。
「これ以上、俺が首を突っ込む理由もないしな。
雇い主は気絶しちゃってるみたいだし」
男は踵を返し、瓦礫の向こうへと消えていく。
その足取りは軽く、まるで幽霊が壁をすり抜けていくかのように滑らかだった。
崩れかけた研究所の影に飲み込まれていく背中を、悠人は見送ることしかできない。
ラーニングスキルを稼働させる余裕など、もう悠人には残されていなかった。
悠人は確信する。
この男は明らかに手を抜いていた。
悠人は一人研究施設へと向かう際、同じように兵隊を何体か生成して、風間次郎の対処にあたらせていた。
だが、彼はあっけなく撃破し、茜たちを無力化し、ここにいる。
その気になれば、すぐにネクロスを助けることもできただろう。
ネクロスに対して、確かに悠人は圧倒的な差で打ち勝つことができた。
しかし、それはあくまで、ネクロスだけが相手だったからだ。
この男の底が、依然として見えない。
ネクロスの生成スキルは確かに強力だったが、実戦経験はなく、生身での戦闘は、素人同然だった。
それは、スキルという武装を失えば、脆く崩れ去る砂の城に過ぎない。
S級探索者。
一体彼らは、どれほどの実力を有しているのだろうか。
悠人は改めて自身の脳内に宿るリアル生成AIの処理速度を最大まで引き上げ、去りゆく背中へ”ラーニング”を試みる。
風間次郎の移動速度、姿勢の制御、微かに漏れる魔力の波長。
それらすべてのデータを収集し、解析のテーブルに乗せようとする。
しかし、ラーニング機能で分析を試みようとしても、彼の身につけている装備のせいか、闇に紛れろくに姿を捉えられていないのか、結局データを取ることは叶わなかった。
解析結果には「不明」という無慈悲な文字が並び、情報の深淵に弾き返される。
装備が持つ隠蔽効果なのか、あるいは風間次郎という個体そのものが、解析不能なほどの密度を持っているのか。
ただ、自分の体力がもう底をついているからなのか。
悠人の鼻から垂れる血液の量が増加し、ラーニングを中断する。
その後、風間の姿が視界から消えると、視線を下へと向けた。
そこには、もはや戦火の熱も、狂信者の怒号もない。
残されたのは、静まり返った研究所と気絶した仲間たち。
瓦礫の上に落ちる影は長く、空気は次第に澄んでいく。
神崎零華は、悠人の前に立っていた。
傷だらけだが、足元に気絶したネクロスを転がした状態で、自分を見つめている。
かつては氷のように冷たかった彼女の瞳に、今は別の色彩が宿っていた。
それは安堵であり、そして、言いようのない重責から解放された者の震えでもあった。
ネクロスの支配から脱した証として、彼女の拳は血が滲むほど固く握られている。
「……助けに来るな、と言ったはずだ。」
絞り出すような声だった。
今なら分かる。
それは拒絶ではない。
「言われたからって、助けない理由にはならない。
俺たち、パーティーメンバーだからな。」
悠人の言葉には、何の計算も、生成AIによる演算の介入もない。
ただ心から溢れ出た、不器用な言葉だった。
零華は、わずかに目を伏せ、微笑む。
それは、雪解けの季節に咲く花のような、儚くも美しい表情だった。
彼女を縛っていた”ラーニング・ゼロ”という呪縛。
ネクロスの歪な理想。
それらすべてがこの微笑みによって浄化されていくかのように見える。
「いいのか、私を──
このままパーティーのメンバーとして居させて。」
掠れた声で彼女は問いかけてきた。
裏切り、利用し、かつては刃を向けた少女。
負い目を今も感じているのか、言葉を重く沈ませる。
「あぁ。
少なくとも、俺はな。」
「本当に──いいのか……」
「むしろ、こっちからもお願いしたいね。
剣の女王さん。」
「……ふ、黙れ。」
重苦しい空気を取り払うように、悠人は少しだけおどけてみせた。
その隣に、セピア色をした少女が、軽快な足取りで割り込んでくる。
「えぇそうです。
あなたが居ないと誰が前線で戦うんですか。」
その表情には、毒を吐きながらも神崎零華の帰還を心から喜んでいる、素真面目になれない愛らしさのようなものが滲んでいた。
「り、リリス!?
目が覚めたのか!」
「はい。
何も問題ありませんよ。」
リリスはわざとらしく腰に手を当て、空いた空間を見つめて胸を張る。
「神崎さん──
いや、零華。
あなたのこと、ようやく少しはわかった気がするよ。」
茜もいつの間にか、同じく目が覚めて上半身を起こしていた。
立ち上がり、零華の方を見て、微笑む。
「これからも、よろしくね。
……零華。」
その声には、すべてを包み込むような慈愛と、癒やしの光が宿っていた。
彼女の許しの声が、言葉以上の重みを持ってあたりに響く。
研究所の瓦礫の中で、ひとつのパーティーが再び形を成していった。
「──よろしく、茜」
二人が固く手を握るのを見て、思わず悠人は笑みをこぼす。
「じゃ、さっさとずらかろうぜ。」
「……えぇ、そうね。」
短く、だが確かに結ばれた絆の確認。
神崎零華の頬を一筋の涙が伝ったが、彼女はそれを拭うことなく、前を向いた。
ほどなくして、探索者統制機構の部隊が到着する。
遠くから聞こえていたサイレンの音が次第に大きくなり、特殊車両のヘッドライトが研究所の残骸を照らし出していた。
完全武装した隊員たちが、事態の収束を確認するために雪崩れ込んでくる。
悠人はその前に生成した軍団を分解し、茜たちも奪われた装備を回収すると、そのまま研究所を早々に立ち去った。
生成というプロセスを逆転させ、生成した悠人の兵隊たちが光の粒子となって空気中に溶けていく様は、祭りの終わりを告げる花火のようでもあった。
自らの手元に戻ってきた装備の重みを感じながら、悠人は最後の一仕事を終える。
ネクロスはそのまま放置、拘束され、一連の事件の容疑者として連行されていった。
意識を失い、無様に引きずられていくその男に、もはや先程までの威厳はない。
崩れた天井の下で、朝日を浴びる彼は、ただの矮小な人間に過ぎなかった。
◇
後日、ニュースでネクロスが容疑を一部否定していることだけは伝わってきた。
だが、余罪が多すぎて、どちらにしろ重罪は免れないだろう。
彼は最後まで、
「自分は神に選ばれた」
「正当な進化を求めただけだ」
と主張し続けていた。
しかし、男の言葉に耳を貸す者は誰もいない。
彼が費やしてきた膨大な魔力研究も、犠牲にした多くの命も、社会という巨大なシステムの、冷徹な法廷の前では無価値なゴミに等しい。
それからさらに少し後、研究所崩壊の件も全て男の罪となり、一件は収束した。
皮肉なことに、悠人が行った大規模な生成による破壊も、ネクロスが自爆的に暴走した結果として処理されることとなったようだ。
現場に残された痕跡、目撃証言、そしてネクロスのこれまでの奇行。
すべてが、彼を「狂った科学者」として完成させるためのピースとなっていった。
天野悠人は明らかにネクロス以外も多数の協力者がいたにも関わらず、全てネクロスの責任にされていることに、機構の闇を感じつつも、とにかく安堵する。
理屈だけを信じた男は、状況証拠という理屈によって、誰にも信じられることなく罪を着せられ、裁かれたのだった。
◇
数日後。
悠人は、自分の目を疑う。
ある時手をかざすと、ゲームの画面のようなものが目の前に展開されたのだ。
今まで脳内でのみ感覚的に感じていたものが、実際に視界へ現れている。
詳細を追うと、そこには──
”ロードマップ”が示されていることが分かった。
縦に長い、長方形の画面。
一定の間隔でレベルが書かれている。
現在のスキルレベルは10。
「──なんだ……これは……?」
100まで続くそのロードマップには、10レベルごとに解禁される”ボーナス”が記されていた。
1レベル上がるごとに各コストの上限、コストの”選択精度”などが向上し、生成AIの精度も全体的に上昇するらしい。
その情報を知った瞬間、今までの”生成”の記憶が雪崩のように蘇ってくる。
初めはろくなものを生成できなかった。
ヘボい銃。
飛べない翼。
しかしそれは、単にデータが足りなかったのではない。
単純にスキルの性能も足りていなかったのが原因のようだ。
思えば複雑な性能をした装備の生成も、スキルに覚醒して間もない頃と比べて、容易に行うことができた。
研究所をコストとして軍団を生成できたのも、ただ単に意志のおかげというわけではなく、レベル上昇の恩恵もあったのだろう。
悠人は息を呑みながら、下から順番に目を通していく。
まず10レベル目、”ロードマップの解禁”。




