第108話 REAL・GENERATORー8
「──ラーニング・ゼロっ!
やれっ!!
俺が逃げる時間を稼げッ」
その叫びと共に、一人の影が前に躍り出る。
神崎零華だった。
彼女の瞳には光がない。
ただ刷り込まれた概念に従う、人形のような虚無が宿っていた。
零華はネクロスの生成した剣を手に取ると、躊躇なくその柄を握り、かつての仲間へと向ける。
ネクロスの生成した概念は、すでに彼女に植え付けられていたようだ。
「神崎……」
「無駄だ!
さぁ、やれっ」
神崎零華は剣を振り、悠人の生成した怪物たちへ攻撃を始めようとその腕を振り上げる。
彼女の、しなやかでありながら死を招く動作に、悠人は気づいた。
今までの彼女ならあり得ない隙だらけの動き。
わざとだろう。
悠人に攻撃を中断させるために、あえて隙だらけの状態でネクロスは彼女を暴れさせ始めたようだ。
このような動きなら、彼女を殺さざるを得ないとまでは言えない。
ギリギリ時間をかければ殺さずに無力化できる程度の動き──
絶望的な状況下で少女を盾にするネクロスの浅ましさに、悠人の胸の奥で黒い怒りが燃え上がった。
だが、深呼吸をする。
今はその怒りさえも演算のリソースへと変換し、最適解を導き出すことに徹した。
「動くなお前たち」
零華付近にいる、悠人の兵隊たちが、動きを止める。
神崎零華は怪物たちの動きが止まったことを認めると、そのまま、悠人の方へと向かってきた。
その胸に、彼女の持つ鋭い刃が迫る。
「っ──」
刃が空気を切り裂き、悠人の顔端をかすめた。
その一撃一撃には、彼女自身の意志ではなく、ネクロスの植え付けた破壊のコードが宿っている。
「そこだっ!」
攻撃を交わした悠人は、そのままその白く柔い彼女の腕を掴んだ。
衝撃が掌を伝わり、重い振動が全身を走る。
だが、その接触こそが悠人の目的だった。
指先から、目に見えない情報の奔流が流れ出す。
脳内のAIが、神崎零華というシステムの深層部へダイブを開始した。
「戻ってこい、神崎!
概念生成──」
祈りにも似た、だが強固な命令。
神崎零華に触れ、悠人は”概念”の生成を開始する。
限界を超えた状態での生成。
脳が熱く、鼻血が吹き出た。
体が悲鳴をあげている。
それでも生成さえできれば、解決できると確信していた。
一度物理生成スキルの”無効化を無効化”した時の経験がある。
そのため、今回もネクロスの妨害を乗り越え、”アップデート”を行うことができるはずなのだ。
「──うぉおおッ」
学習してきた全てを零華に対して行う。
彼女の魂を縛り付けていた歪な「設定」を、より強固な「真実」で上書きしていった。
脳内のAIが、彼女の精神構造に深く食い込んでいるネクロスの呪縛を特定し、その回路を一つずつ丁寧に、かつ大胆に切断、再編していく。
黒いノイズに塗れた彼女の精神世界に、悠人の意志が眩い光となって差し込んだ。
「がはっ──」
鼻血だけでなく、悠人は吐血する。
だが、その苦痛の成果は胸の内にあった。
「あ、天野……
悠人──」
虚ろだった彼女のその瞳に、急速に光が戻ってゆく。
神崎零華の中に生成した“概念”が流れ込み、再び自由の身を取り戻すことに成功したようだ。
縛っていた見えない鎖が砕け散り、その場に崩れ落ちそうになる零華の肩を、悠人は力強く支える。
「大丈夫か、神崎」
「え、えぇ──。
貴方こそ……」
零華は血に塗れた悠人の顔をその手で触れた。
その温かな感触を確認する間もなく、背後で浅ましい足音が響く。
「チッ、どけっ」
ネクロスは動きを止めた悠人の兵隊たちを押し除けて逃走を始めていた。
「くそっ──
追わないと……」
悠人が一歩踏み出そうとすると、そのまま膝から崩れ落ちる。
足に力が入らなかった。
鼻や口から溢れ出る出血が先ほどから止まらない。
「お前は安静にしていろ、悠人。
あとは私がやる。」
零華はゆっくりと彼を寝かせると、前を向いた。
◇
(くそっ、やはり奴は信用できないやつだったっ!
とにかく今は逃げるっ
逃げて体制を立て直すのだ!)
ネクロスは、もはや神崎零華の安否など微塵も気にかけていなかった。
ただ今は自身の保身と、失われた優越感を取り戻すための再起にのみ執着している。
( ──そうすれば私もいずれ、奴のように自分の自立して動く軍団を生成できるだろう。
もう役立たず共にいちいち命令する必要もないっ!)
足元をすくう瓦礫を蹴り飛ばし、崩れかけた通路を必死に駆けていく。
ネクロスの脳裏には、まだ見ぬ未知の力への渇望と、屈辱を晴らすための暗い情熱だけが渦巻いていた。
こんな状況でも逃げるように希望を見出し、前を向く。
その方が理屈的にも効率が良い。
なよなよと失敗を悔いたところでどうにもならない。
しかし、視線を上げると、その先には人影が見えた。
宣告を告げる死神のようにそれは立っている。
暗い通路の先に、月明かりにも似た冷徹な光を背負う影。
神崎零華だった。
復讐心に燃えているわけでも、憎悪に駆られているわけでもない。
ただ、なべきことをなすという、清冽な決意だけがそこに佇んでいた。
彼女の周囲には、悠人が貸与したのか、あるいは彼女自身の意志に呼応したのか、微かな青い火花が散っている。
「ここの施設の構造は私もよく理解しているからな……
先回りさせてもらったよ」
凛とした声が、逃亡者の心臓を凍りつかせた。
ネクロスの知る操り人形の彼女はそこにはいない。
迷いを振り払い、真の自分を取り戻した一人のA級探索者がそこにいた。
彼女の拳に、迷いはない。
その構えは、ただ一撃で対象を沈めるための純粋な暴力の極致だった。
「……終わりだ、ネクロス」
「待てっ。
ラーニング・ぜ──」
命乞いか、あるいは再びの命令か。
それらが紡がれるよりも早く、静寂を切り裂く一撃が放たれた。
彼女の踏み込みが床を砕く。
その加速は物理限界を超えていた。
拳が、一直線に突き出される。
鈍い衝撃音。
ネクロスの体が吹き飛び、壁に激突して床に転がった。
内臓を揺らす衝撃に、男は声も出せずに悶絶する。
もはや立ち上がる力もなく、かつての支配者は無様に地を這っていた。
男の指先から漏れていた不浄な魔力は霧散し、その周囲で、活動を停止した生成物たちが、さらさらと砂のように崩れていく。
男の作り上げた虚飾の世界が、音を立てて瓦解していった。
「──ねぇ、お父さん。
あなたは確かに、私の育ての親だったよ。
最低のね。
……さようなら。」
少女がポツリと呟き、静寂が、戻る。
崩壊しかけた研究所の中で、悠人は大きく息を吐いていた。
体を起こし、拳を握る。
うまく力が入らなかった。
体の奥が、熱を帯びている。
それは過負荷による発熱ではなく、自身の内側で何かが完全に繋がったことによる、万能感に近い高揚。
舞い上がる粉塵が、静かに床へと降り積もっていた。
戦いの余韻が消えゆく中、悠人はゆっくりと立ち上がる。
崩落した天井から差し込む月光が、再会を果たした神崎零華の姿を照らし出していていた。
悠人は彼女の瞳を見て、静かに頷く。
彼女の瞳は、月よりも輝いて見えた。




