第107話 REAL・GENERATORー7
研究所の床、壁、天井。
視界に映るすべてが、もはや単なる無機質な物質としては映らない。
網膜の裏側で、脳内に埋め込まれたリアル生成AIが高速で演算を開始し、この空間を構成するあらゆる元素、魔力伝導率、構造的強度を数値化していく。
冷徹なシステムが告げるのは、目の前にある堅牢な建材も、複雑に張り巡らされた魔力回路も、そして狂気に満ちた数々の実験装置も──
そのすべてを、新たな存在へと組み替えるための「物理コスト」に過ぎないという事実だ。
悠人の瞳の中で、青白い文字列が滝のように流れ落ちる。
解析完了まで、わずかコンマ数秒。
先ほどまで自分を閉じ込め、苦しめてきたこの冷たい石造りの空間が、今や巨大な粘土細工の塊のように脆弱なものへと変質していく。
「──生成」
「もういい、撃て!
うち殺せッ!!」
悠人の確固たる意志を帯びた声がネクロスの鼓膜を震わせる。
同時にネクロスは包囲していた警備兵に銃撃の合図を送った。
よくわからないが、何かがおかしい。
ネクロスの頬に冷や汗が伝う。
直後、無数の銃弾がその少年へと放たれた。
悠人の頭部へ、胴体へ、脚部へ、無数の弾丸が迫る。
瞬間、世界の理が書き換わった。
空間が、うねる。
それは視覚的な錯覚ではない。
物質が分子レベルで解体され、再構成される際に生じる時空の歪み。
研究所の強固な土台そのものが、膨大なエネルギーを伴って素材へと還元され、ドロドロとした原初の混沌となってのたうつ。
コンクリートの粉塵は光の粒子へと変わり、剥き出しになった鉄筋は飴細工のように捻じ曲がった。
放たれた銃弾は、悠人の前に出現した、巨大な“腕”によって弾かれる。
「な、なんだぁ!?」
それは無機質であるはずなのに、確かに生きていた。
濁流の中から、新たな生命──
いや、生命を模した殺戮の機械群が産声を上げる。
「「「ゴア”ァア”アアア”ア”ッ”ア”アア”ア”ッ”ア”アアア”ア”ッ”ア”アアア”ア”ッ”───」」」
形を変えていった研究所の残骸から、次々と生み出される異形の存在。
それは、あるものは多脚の鋼鉄獣であり、あるものは無数の刃を持つ浮遊球体であった。
血の通わぬ、しかし圧倒的な殺意を物理的な質量として具現化した大量の無機質なモンスターたちが、埋め尽くすように床を覆っていく。
それはリリスの生成から暴走の経験を経て生成された、自立型の戦闘兵士たちだ。
「紹介するぜ、俺の新たな即席使い捨てのパーティーメンバーたちだっ」
「ばかな……!
なんなんだこの物量はっ」
悠人が笑みを浮かべる中、ネクロスの顔は、驚愕と恐怖に歪んでいた。
これまで積み上げてきた自身の優位性が、目の前の青年が振るう生成という名の暴力によって根底から覆されていく。
その表情には、理解不能な事態に直面した者の困惑と、認めがたい現実への拒絶が混ざり合っていた。
そもそも、ネクロスはせいぜい手元や周囲3メートルほどのものくらいしか、”コスト”として認識できない。
少年は自分の周囲十メートル以上を生成物のコストへと変換していた。
今まで心血を注いで築き上げた防衛システムも、最高硬度を誇る防壁も、その少年の前ではただの変換効率の良いリソースでしかなかったのだ。
周囲にいた警備兵たちは瞬時に弾き飛ばされ無力化されていく。
「まだ人間やモンスターを直接物理コストとして消費することはできないが、こんなことだってできる」
「バカなっ!」
悠人は膝をついた。
使用したのはコストだけでなく、自分自身の“生命力“も含まれている。
あの只野学園高校で使用して以来、使っていなかった危険なコストを。
幸い、意識は保てている。
悠人は歯を食いしばり、鼻血を拭いながら再び立ち上がろうと力を込めた。
「いずれ視界に入った生命体たちも、”コスト”として即座に他の物質へ変えて無力化できるようになるだろう。
ネクロス。
お前はできないよな、こんなこと」
冷淡なまでに冷静な言葉が、崩壊を続ける研究所に響く。
それは単なる脅しではなく、システムの最適化を確信している者の冷徹な予言。
足元のコンクリートが、壁の鉄板が、まるで生き物のように蠢き、悠人の周囲で兵隊へと姿を変えている。
その光景は、神の領域に踏み込んだ者の静かなる蹂躙であった。
「ふざけるなっ。
なんだその能力はっ!
私もっ───。
いや、私こそがっ!
神に選ばれた存在なのだッ!
お前より私の方が練度が低いはずがないっ。
“本物の生成スキルの使い手“はこの私だぁああっ」
ネクロスの絶叫は、もはや理性を欠いた悲鳴に近い。
プライドをズタズタに引き裂かれ、選民意識に縋り付こうとするその姿は滑稽でさえあった。
焦燥に駆られた指先が虚空を掻き、独自の魔力生成を起動させる。
ネクロスは、即座に対抗を試みていた。
(くそっ──
奴がすでに”素材”として利用しているものが俺の”素材”として指定できないっ)
それでもネクロスは、諦めていなかった。
警備兵たちが悲鳴を上げる中、ただ一人、冷静にその頭脳を回転させている。
「お前如きに負けるかぁっ!!
これが本物の生成スキルだっ」
まだ悠人の影響が及んでいない物体に自分のコスト指定範囲まで近づき、手を翳す。
負けじと生成を試みた。
武器、防壁、迎撃用の生成物を、次々周囲へ展開させていく。
空間に黒ずんだ鉄の棘が突き出し、血のように赤い障壁が何層にも重なっていった。
それは、彼がこれまで築き上げてきた支配の象徴であり、防衛の要でもある。
「く──どうだっ……」
しかし、目の前の光景は、そんな”個”の努力をあざ笑うかのように加速していく。
数が違う。
悠人の背後、ネクロスの左右前後に控える軍勢は、もはや数えることすら無意味なほどの物量となっていた。
これらが自立して動き、それぞれ少年にとっての“脅威“を自らの頭で排除していく。
天井を走り、床を埋め尽くし、気づけば空隙を縫ってネクロスを包囲していた。
それは津波のような、抗いようのない圧倒的な圧力。
悠人の脳内AIは、研究所の容積と質量から逆算し、飽和攻撃に必要な最小単位を瞬時に割り出していた。
意思を持たぬはずの生成物たちが、悠人の意志に応じて動く。
それは、単なる量の暴力ではない。
一つ一つの個体が、最適化された戦術回路によって制御されていた。
ある個体が盾となり、別の個体が死角から刃を突き立てる。
「やれ。」
攻撃が始まった。
「っ───
ぬおおおおおおおっ!!
俺がこんなガキに負けてたまるかァァアアっ!!」
生成された者たちの連携は、熟練の軍隊に匹敵する精密さを持って、ネクロスの防壁を内側から食い破っていく。
ネクロスの生成した盾が物理法則を無視した角度で削られ、彼の剣が届く前に、その足元の床が槍となって彼の足を貫かんとしていた。
質でさえも悠人の方が圧倒的に勝っている。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ」
ネクロスは半狂乱になりながら、自身の生成物を操る。
生成した武器を投擲し、掴み、振り回した。
それでも次から次へと襲いかかってくる悠人の軍団に、なす術はもはや残されていない。
悠人の生成物は、破壊される直前に自爆し、その破片すらも次の瞬間には新たな極小の追尾弾へと再変換される。
「ぶっ、ふぉぉおおおおおおおっ──!」
ネクロスは吹き飛んだ。
研究所の壁に激突するも、追撃は終わらない。
「まだだ!
まだまだまだああああああっ」
ネクロスは必死になって抵抗し続ける。
一つを破壊すれば十が生まれ、十を退ければ百が迫った。
研究所の壁が剥がれるたびに、それは悠人の牙となってネクロスに襲いかかる。
自身の足場さえも、いつ牙を剥くかわからない恐怖。
資源の供給源そのものが敵の手中にあるという絶望的な事実が、じわじわと精神を摩耗させていった。
周囲の空気さえも、悠人の生成したナノマシンによって熱を奪われ、ネクロスの呼吸を苦しめていく。
抵抗は、長くは続かなかった。
防壁は粉々に砕け散り、ネクロスの周囲に展開されていた武器は、悠人の生成物によって塵へと変えられる。
「っ──。
げほぉっ……」
「終わりだネクロス。」
悠人はよろよろと立ち上がり、その手に持つ瓦礫の刃をネクロスへ向けた。
「……まだだ。」
男は大きく息を乱し、全身から汗を流している。
だが、その男の目には最後の策が浮かんでいた。




