第106話 REAL・GENERATORー6
研究所の中枢区画は、異様な静けさに包まれていた。
白一色の無機質な壁に囲まれた実験室。
空調の微かな駆動音さえもが、耳元で響く金属の軋みのように鋭く鼓膜を突く。
部屋の中央、硬質な処置台の上。
拘束具に固定されたままの神崎零華は、薄く目を開ける。
視界の端に立つ複数の影──
ネクロスと、複数人の警備兵。
あれから零華は悠人たちを逃し、しばらく抵抗を続けたものの、数分後に風間次郎が駆けつけ、あっけなく無力化された。
風間次郎は悠人たちを追っていった。
指先ひとつ動かすことさえ許されない拘束の冷たさが、全身の熱を奪っていく。
しかし、肉体的な痛み以上に、精神を摩耗させていたのは、裏切ってなお自分のことを殺害せず、利用しようとするネクロスの冷徹な存在そのものだった。
「……なんだ私を殺さないのか、ネクロス。
──いや、殺せない、の方が正しいか。
……お前の理屈上では大層私に価値があるらしいな」
零華の声は、疲れ切っていたが、皮肉を言う気力は失われていなかった。
乾いた唇から漏れ出た言葉は、自分自身の無価値さを嘲笑うかのような響きを帯びている。
「自惚れるな、ラーニング・ゼロ」
ネクロスは、淡々と言葉を発する。
その瞳には、かつての駒を憐れむ色さえなく、ただ不具合を起こした機械を検分するような、冷酷な合理性だけが宿っていた。
「お前の目論見通り、これから私は機構をクビになるだろう。
まんまとお前の作戦にしてやられたよ。
───が、タダでは退かない」
ネクロスは、ゆっくりと手を掲げる。
その指先からは、黒ずんだ魔力が糸のように解け出し、大気そのものを侵食していった。
周囲に、歪んだ光が集まっていく。
物理的な質量を持たないはずの魔力の奔流が、ネクロスの異常な執念によって形を成し、空間を歪ませていた。
「私のスキルも、天野悠人のスキルも……
本質は同じだ。
……同じはずなのだ。
数値化し、定義し、世界を再構成する。
──本物の生成者は、この私だっ。
ならば、私にも“生成”できる」
ネクロスの背後にあるモニターが、猛烈な速度で数値を弾き出していく。
悠人の生成スキルのログ、零華のラーニング能力。
それらを無理やり融合させ、新たな「理」を捻り出ようとする狂気が、部屋全体をどす黒い圧迫感で満たしていた。
次の瞬間、空間に浮かび上がったのは、目に見えないはずの“何か”だ。
それは物質ではなく、心さえも定義の中に閉じ込めるための呪い。
──概念。
ネクロスは概念の生成に成功したようだった。
「“服従心”だよ、ラーニング・ゼロ」
ネクロスは、生成したそれを、そう名付ける。
勝利を確信した者の、おぞましい笑みがその顔に張り付いていた。
「今からこの生成物を君の中にぶち込む。
君は、一生私のコマとして生きる運命なのだよ。
この概念を魂に刻み込めば、君の”意志”などという不確定要素は消滅する。
純粋な機能として、私に奉仕し続けるのだ」
ネクロスは不気味な笑みを浮かべる。
理屈による支配の極致。
自由意志という名のバグを排除し、完全な管理を実現しようとする妄執が、その声に狂気を与えていた。
「私にだって生成できたぞっ!
できるようになった!
掴んだんだ、核心をッ!
天野悠人と同じようにっ!
人の意思に干渉できる力をっ──!!
ふははははっ」
狂喜の叫びが、閉鎖された空間に反響する。
零華の体が、わずかに強張った。
魂が汚染されていくような、言いようのない嫌悪感。
自分の思考が、外部からの定義によって塗り替えられ、自分という存在が消去されていく恐怖。
ネクロスの腕が零華の胸元に迫る。
指先が放つ歪んだ概念の波動が、皮膚を焼き、意識の奥に、冷たい何かが流れ込んでくる感覚に襲われた。
それは、氷の針を脳髄に直接突き立てられるような、鋭利で容赦のない浸食。
脳内の思考ログが強制的に書き換えられ、自分の名前も、仲間との思い出も、すべてが「管理者:ネクロス」という絶対的な命令に従属するためのデータへと変換されていく。
零華は目を瞑り、舌を噛み切る覚悟を決めた。
(───この男の言いなりになるくらいなら、死んでやる。
こんなふざけたやつにこれ以上貢献してたまるかっ)
意識が闇に飲まれようとした──
その瞬間だった。
「させるか!」
壁が、爆音とともに崩れる。
強固な特殊合金で作られていたはずの防壁が、外側からの理屈を無視した衝撃によって、まるで紙細工のように粉砕された。
粉塵の中から、一つの影が這い出てくる。
そこにいたのは、見慣れた人間──
天野悠人だった。
夜の闇と、泥に汚れ、激しく息を切らせながらも、その瞳に宿る光だけは、研究所のどの照明よりも強く輝いている。
「は!?
──天野悠人ぉ?
……ふん、まぁいい。
愚かなやつだなっ。
ラーニング・ゼロがせっかく逃してやったというのに!
ノコノコ戻って無駄にするとはなぁっ!」
ネクロスは叫んだ。
そのゴーグルの中の瞳には、再び現れた獲物への無邪気なまでの残虐性が揺らめいている。
だが、そんな男の殺気を受けようとも、悠人に迷いはなかった。
一度は折れかけた意志は、かつてないほどに研ぎ澄まされている。
悠人は、そのまま一歩前に出た。
呼吸は荒い。
全身の筋肉が疲労で悲鳴を上げている。
それでも、目はネクロスから逸らさなかった。
目の前に立つ”理屈の怪物”に対し、自らの魂が導き出した答えを突きつけるために。
「俺にはまだ、意志が───
“精神”のコストが残っている」
「?
……ぷっ──
ははははっ
なんだぁ!?
精神論か!」
ネクロスが笑いとばす。
ネクロスの数値上では、悠人の魔力は底を突いているはずだった。
もう何も碌なものは生成できない。
事実、少年はふざけたことを口にした。
精神コスト?
なんだそれは。
そんな概念で物質が生成できるわけがない。
──わけがないというのに、先ほどから、少年のその瞳には確固たる光が宿り続けている。
目の前の少年は笑みを浮かべていた。
「何がおかしい!」
自分と同じ効果の生成スキルの持ち主。
自分よりも少し異なる発展を遂げている生成スキル。
そうネクロスは、悠人のことを思っていた。
だが、悠人のスキルは、”リアル生成AIスキル”だ。
ネクロスの生成スキルとは、似て非なる存在。
コストが三つある。
”知識”、”物理”、”精神”。
精神コスト──
つまり魔力は、悠人の意志によって、無から無尽蔵に湧き出てくる。
自分の内側を、悠人は確かめた。
恐怖も、怒りも、後悔も──
すべてが、ここにある。
逃げてきた自分への情けなさ。
零華を独りきりにした痛み。
そして、それでもなお自分を信じてくれた仲間への愛しみ。
それらすべての感情が、今、巨大な熱量となって脳内回路を駆け巡り、新たな”コスト”へと変換されていく。
「……分かったんだよ」
悠人は、ネクロスを睨みつける。
その視線は、ネクロスの構築した脆弱な論理を見透かしていた。
ネクロスが無理やり生み出した”服従心”という概念。
それは、恐怖と強制によって縛り付けるだけの、歪な模倣に過ぎない。
「やっぱりお前の生成スキルは──」
一呼吸置き、悠人は断言する。
「俺の下位互換てことがな!」
ネクロスの表情が、屈辱に歪んだ。
悠人の背後では、警備兵が囲んで、逃げ道を塞ぐ。
そのどれもがゴーグルをつけており、相変わらず“統率”されていた。
「黙れ!
出来損ないの分際で!
私の完成された理論が、貴様のような感情論に負けるはずがないだろうがっ!」
ネクロスは、指先から黒い波動を生成し、放とうとする。
しかし、悠人は動じない。
「お前の魔力は底をつき、まともな“コスト”もない。
手ぶらのガキが、包囲されたこの状況で、何ができるっていうんだっ!」
「本当に感情論で言ってるのか、その目で確かめるんだな。
”心”だけに縋ってちゃいけないってことは、あいにく、こないだ学習したばっかだしな」
世界を管理しようとする死んだ定義と、世界を拓こうとする生きた意志の衝突。
これから悠人が生成するのは、ただの物質ではない。
絶望という名の闇を、希望という名の光で上書きするための、究極の再定義。
それは、仲間という他者を信頼し、その想いを自身の力として取り込む──
”学習”することで初めて可能になる、ネクロスの理論には決して組み込まれることのない未知の変数。
「見せてやるよ。
これが、俺たちの“パーティ“だっ」
悠人の脳内で、システムの音声が響いた。
だがそれは、これまでのような無機質なアナウンスではない。
自らの鼓動と、仲間の想いと同期した、力強い確信の調べ。
この絶望的な戦場のすべてを、自分たちの勝利のために再構築する、本物の生成物。
「茜、リリス……
力を貸してくれ!」
魔力が、感情が、命の輝きが、悠人の両手に収束していく。
眩いばかりの光が室内に溢れ、ネクロスの生み出したドス黒い闇を焼き払っていくかのようだった。
「意味がわからない。
お前は手ぶら!
本当に何もない。
概念でも生成する気か?
何をする気だっ」
ネクロスが驚愕の声を上げる中、零華は目を見開いていた。
信じられないものを見るかのように、悠人の姿をその瞳に映し続ける。
瞳から、ネクロスの呪縛が剥がれ落ちていった。
悠人は、両手を広げる。




