第7話:酒場の偏屈マスター
低地街のさらに端、日の当たらない路地の奥に、その店はあった。
看板は煤け、何が書いてあるかも分からない。扉を開ければ、安酒の臭いと埃っぽさが、呼吸を拒絶するように押し寄せてくる。
「……アリーナ様。本当に、ここに王都一の建築家がいるのですか?」
ケインが鼻を抑えながら、不信感を露わにする。
私も作業着の襟を正し、薄暗い店内へ足を踏み入れた。
「記録によれば、ね。かつて王宮の都市改修計画を一手に担いながら、『不可能だ』と書き残して姿を消した、稀代の偏屈師。……バレット・ガリウス」
カウンターの隅。崩れるように丸まって、空いた小瓶を数えている老人がいた。
ボロボロの綿入れに、脂ぎった髪。どこからどう見ても、ただの浮浪者だ。
「……マスター。ガリウス卿ですね?」
声をかけると、老人は一本だけ目を開けた。濁った、だが射抜くような鋭い瞳。
「卿……? そんな名で呼ばれるのは、三百年前の幽霊くらいなもんだ。……帰んな、お嬢ちゃん。ここはあんたのような、綺麗な指をした奴が来る場所じゃねぇ」
「私の指が綺麗? ……よく見てください」
私は、汚れが落ちきっていない自分の指を、彼の眼前のカウンターに叩きつけた。爪の間に泥が詰まり、皮が剥けた設計士の指だ。
「昨夜、王宮の床を診断し、今朝、市場の噴水を抜いて、さっき、ジャッキアップで集合住宅を支えてきました。……私の指のどこが、綺麗に見えますか?」
老人が、鼻を鳴らす。
「……ふん。現場帰りの匂いはするな。……で、何が用だ」
「バレット様。貴方が三十年前に挫折した『王都改修計画書』。その続きを、私と一緒に書き直してほしいんです」
その瞬間、老人が持っていたグラスが、パキリと小さな音を立てて割れた。
「……続き? 冗談を言うな。あんなのは、ただの自殺志願書の書き損じだ。……この王都は、神が作った『完成された欠陥品』なんだよ。人間が図面を引いたところで、どうにもなりゃしねぇ」
「でも、貴方は気づいていたはずです」
私はカバンから、自分が徹夜で書き上げた王都の『応力分布図』を広げた。
「地下の水理。魔力導管の逆流。……そして、この王都の真下にある『何か』の鼓動を。……バレット様、貴方が逃げたのは、難易度のせいではない。……『世界の骨』が見えてしまったからではないですか?」
老人の呼吸が止まる。
彼は割れたグラスを放り出し、私の図面に顔を近づけた。
一分。
二分。
店内を流れる時間が、凍りついたように静止する。
「……この接合部、トラス構造か。……いや、こっちは『自重軽減魔法』と『カンフル剤』の組み合わせ……。……なんだ、この美しすぎる計算式は」
老人の手が、図面をなぞる。その指先は、さきほどまでの酔っ払いのものではなく、名工のそれに変わっていた。
「……お嬢ちゃん。……いや、アリーナと言ったか。……あんた、この図面、誰に習った」
「独学よ。……前世という名の、地獄のような現場でね」
バレットは、大声で笑い出した。酒臭い笑い声。だが、そこには狂気と歓喜が混じり合っていた。
「ハッハァ! 面白い! 三十年酒に浸かって死ぬのを待っていたが、まさか、自分より狂った図面を引くガキに出会うとはな!」
彼は立ち上がり、棚の奥から一本の古びた地図を取り出した。
「いいだろう。……地獄への道案内、引き受けてやる。……ただし、あらかじめ言っておくぞ。……王都が沈むのは『事故』じゃねぇ。……これは、この世界の『仕様』だ」
バレットが広げたのは、王都ができるさらに前。
この地上さえなかった頃の、不気味で幾何学的な「古代の設計図」だった。
第7話、お読みいただきありがとうございました!
本作『建築魔法・救世令嬢〜断罪の場で「この王都、あと3日で沈みます」と予言した結果〜』、偏屈な老建築家バレットとの「師との邂逅」回でした。
彼がいなければ、アリーナの現代知識はこの世界の魔法と融合することはできませんでしたわ。技術者は時として孤独ですが、志を同じくする「良い意味で狂った同業者」に出会えた時の高揚感は、何物にも代えがたいものですわね。
次回、第8話「古代の不完全な地図」。
この世界の成り立ちに関わる、建築学的に不穏な真実が明らかになりますわ。設計図の裏に隠された意図……気になりますわね!
もしアリーナとバレットの「技術者対談」にワクワクしたら、最後に建築確認や評価(建設予算の増額)をお願いいたしますわ。
皆様の応援が、アリーナに最高の「メンテナンス用具」を届けるための最高の予算になりますのよ!




