第3話:泥まみれの公爵令嬢
王都の朝は早い。中央市場には夜明け前から地方の農村からの馬車が列をなし、活気に満ちた叫び声が響き渡る。
だが、その日の市場には、その活気を上回るほどの「異様な光景」があった。
「おい、見ろよ。あれ……グラナード家の公爵令嬢じゃねえか?」
「例の、昨日の夜会で王子に悪態をついて追放されたっていう……。何してんだ、あんなところで」
野次馬たちの視線の先に、私はいた。
銀髪を適当に後ろで束ね、宝石を散らしたドレスではなく、無骨な革のブーツに、汚れが目立たない茶褐色の作業着。
膝を泥に沈めながら、私は三脚を立て、重力魔法を込めた『魔力測量機』を覗き込んでいた。
「左へ二インチ、ケイン。そこに杭を打って」
「承知しました!」
ケインがハンマーを振り下ろす。そのたびに周囲から嘲笑の声が上がる。
きらびやかな夜会の花であるはずの公爵令嬢が、汚物交じりの泥の中で測量をしている。彼らにとっては、これ以上ない「没落」のエンターテインメントだろう。
「アリーナ様、あちらの商人が……」
「放っておいて。彼らの視線より、この地面の傾斜が三度狂っていることの方が、よっぽど不愉快よ」
私は計算機を弾き、数値を記録する。
やはりそうだ。昨夜の予測は正しかった。
この市場の地下を通る主導線に、異常なストレスがかかっている。地盤の下で、土砂が「流動化」しているのだ。
「おいおい、お嬢様! そんなところで遊んでねえで、家へ帰って刺繍でもしてな!」
一人の太った肉屋が、生臭い手で私を指さして笑った。
「そんな泥遊びして、何が分かるってんだ? ああん?」
私はゆっくりと立ち上がり、彼を無表情に見つめた。
そして、彼の店――石造りの土台の上に、無理やり木造の二階を増築したような歪な店舗を指した。
「そこのおじさん。貴方の店、さっきから『ミシっ』て音がしているわよ」
「あ? 何だ、呪いでもかけるつもりか?」
「死荷重の計算、間違ってるわね。その二階部分、重量オーバーよ。この地盤の緩さだと、あと一時間もすれば、その石造りの土台が不同沈下を起こして……。ええ、ちょうどそのお肉のショーケースの上に、天井が降ってくるわ」
「はっ! 嘘おっしゃい! この店は親父の代から――」
――ミシっ。
不吉な音が、市場の喧騒を突き抜けて響いた。
肉屋の顔から血の気が引く。
「……あ、アリーナ様。本当に音が……」
「ケイン、避難を。おじさん、早く中から人を出しなさい。もう限界よ」
私が宣告した直後。
肉屋の店の土台が、まるで「溜まった疲れを吐き出すように」沈み込んだ。
激しい音と共に、二階の床が崩れ落ちる。
「ぎ、ぎゃあああ!」
人々が逃げ惑い、市場はパニックに包まれる。
だが、私は動かなかった。崩落の衝撃で舞い上がる埃の中、私は崩れた箇所の「断面」を凝視していた。
「……やっぱりね。浸食ができているわ。地下水の魔術的な乱れが、土を削っている」
埃の中から、震えながら肉屋が出てくる。幸い、私の警告のおかげで、彼は直前に外へ飛び出していた。
彼は泥だらけになった私の足元に這いつくばった。
「お、お嬢様……あんた、本当に予言を……」
「予言じゃないわ。ただの構造計算と、現状分析よ。……ケイン、杭を追加。ここはもうダメね。このまま連鎖崩壊が起きるわ。周囲の店も全部、立ち入り禁止にして」
「無茶です! アリーナ様、我々にはそんな権限は……」
「グラナードの名においてやりなさい! 私が、責任を取るわ!」
私は泥を拭わず、大声で周囲へ叫んだ。
その声には、令嬢の傲慢さではなく、現場監督としての容赦ない重みがこもっていた。
野次馬たちの目が変わる。
蔑みの視線が、戦慄と、微かな「縋るような期待」へと塗り替えられていく。
(……この地鳴りの周期。王宮より、こっちの方が深刻だわ)
私は再び泥の中に膝をつき、最深部の振動を魔力で探る。
指先に伝わる、世界の「断末魔」。
「見つかったわ。王都の『心臓の欠陥』……。王太子の寝室の下じゃない。この市場の地下、三百年前の封印区画に、すべての原因がある」
私は立ち上がり、ケインに言った。
「行くわよ、ケイン。泥にまみれている暇がなくなってきたわ」
私は泥だらけの作業着のまま、王都の中枢へと向かって歩き出した。
かつて私を笑った者たちが、今度は道を開けて、その背中を見送っていた。
第3話、お読みいただきありがとうございました!
本作『建築魔法・救世令嬢〜断罪の場で「この王都、あと3日で沈みます」と予言した結果〜』、最初の「断罪と予言編」がここまでとなりますわ。
華やかな姿を捨てて現場に立つアリーナの姿、いかがでしたでしょうか。ここから物語は、王都を呑み込む未曾有の崩壊を止めるべく、本格的な改修工事……いえ、救済プロジェクトへと加速していきますの!
次回、第4話「とりあえず広場の噴水を直しましょう」。
物理的な「詰まり」を解消し、王都の圧力を抜くためのゲリラ工事が始まりますわ。
もし「アリーナの現場指揮が格好いい!」と思っていただけたら、最後に建築確認や評価(建設予算の増額)をお願いいたしますわ。
皆様の魔力供給(評価)こそが、再建プロジェクトの最も重要な資材になりますのよ!




