第2話:図面は嘘をつきません
夜学の静寂を切り裂いて、馬車は王都の喧騒から離れた北部の高台を目指していた。
グラナード公爵家の別邸。そこは私が「研究室」として使っている、石造りの頑強な建物だ。
「アリーナ様、本当によろしかったのですか……あの場をあのように立ち去って。追放だの何だのと、殿下も正気とは思えません」
対面に座る男――私の護衛騎士、ケイン・クロムウェルが苦渋に満ちた声を出す。
彼は真面目すぎる男だ。王家への忠誠と、主である私への理不尽な扱いの間で板挟みになっている。
「いいのよ、ケイン。殿下がどう思おうと、物理法則は変わらないわ。あそこは物理的に死んでいるの。私は死体に添い寝するほど暇じゃないわ」
「物理……死体……?」
「構造的な死よ。支持基盤を失った建築物は、もはや塊でしかない。……それより、ケイン。別邸に着いたらすぐに、王都の地下水路図の写しを全部集めて。できれば三百年前のオリジナルがいいわ」
私は馬車の窓から、遠ざかる王宮を見つめた。
月光に照らされたそのシルエット。壮麗だが、私の目には「重心の狂った積み木」にしか見えなかった。
別邸に到着した私は、着替えもそこそこに作業机に向かった。
華やかなドレスを脱ぎ捨て、動きやすい革製の作業着に着替える。腰には、測量道具や魔力計算機――前世の関数電卓を魔法陣で再現したもの――を吊るしたホルダー。
大きな机の上に、王都の地図を広げる。
それから、私の指先から細い魔力の糸を伸ばし、地図の上に幾何学的なラインを描いていった。
「ケイン。これを見て」
私が指し示したのは、王都を十字に横切る運河と、その交差地点にある王宮の配置だ。
「この王都はもともと、広大な湿地帯を埋め立てて作られたものよ。記録上は『乾燥魔法で固めた』となっているけれど……嘘ね。魔法の効果は有限。三百年の時を経て、魔力が減衰し、地下の水脈が復活し始めているわ」
「では、あの地鳴りは……」
「ええ。土木工事の欠陥、あるいはメンテナンス不足からくる『空洞化』よ。王都の地下には今、巨大な空洞が蟻の巣のように広がっている。さっき王宮の床が抜けたのは、その空洞が地表まで到達し始めた合図に過ぎない」
図面の上に、赤いマーカーが重なっていく。
地盤沈下の予測区域。それは王宮だけでなく、商業ギルド、神殿、そして何万もの民が住む居住区まで広がっていた。
「……アリーナ様。なぜ、これを王太子殿下にお伝えしなかったのですか」
「伝えたわよ。あと三日で沈むって。でも、彼は聞く耳を持たなかった。……図面は嘘をつかないけれど、人間は嘘を信じたい生き物なのよ、ケイン。自分の足元が崩れるなんて、認めるのは怖いですものね」
私の手元にあるペンが、不吉な箇所を囲む。
三日後。王都の地下を通る巨大な魔力導管が、水圧に耐えきれず破裂する。そうなれば、王都の中央部は巨大なシンクホール(陥没穴)となり、すべてを飲み込む。
私は机に両手をつき、目を閉じた。
前世で私が設計したダムが、一度だけ微かな亀裂を生じた時の記憶が蘇る。あの時の恐怖。夜も眠れず、補強計算を繰り返した日々。
私の魂に刻まれているのは、令嬢としてのプライドではない。**「崩壊を許さない」という設計士としての矜持だ。**
「ケイン。明日の朝、市場の入口に、測量用の杭を打つわ」
「市場に? あそこは王都の最混雑地点ですが、何のために……」
「避難経路の確保と、緊急的なジャッキアップのポイントを探すためよ。国がやらないなら、私が勝手にやるわ。公爵令嬢としての権限と……私の『隠し口座』にある資金を全部使って」
「全額!? しかし、アリーナ様、それでは貴女の将来の生活が……」
私はニヤリと笑った。それは、恋に狂った令嬢の微笑みではなく、高難易度のプロジェクトを前にしたエンジニアの不敵な笑みだった。
「将来? 足元が沈む世界に、将来なんてあるかしら? ……さあ、寝ている暇はないわよ」
私は地図の上にコンパスを叩きつけた。
「王都改造計画・フェーズ1。まずは、あの無能な王子が明日も王座でふんぞり返っていられるように、私が勝手に地盤を固めてあげるわ」
私は灯りを強くし、書きかけの設計図に没頭し始めた。
図面の中では、いかなる権力も私の意志を曲げることはできない。物理法則という名の絶対的な神が、私の味方なのだから。
第2話、お読みいただきありがとうございました!
本作『建築魔法・救世令嬢〜断罪の場で「この王都、あと3日で沈みます」と予言した結果〜』、アリーナの「構造屋魂」に火がついた回でした。
「図面は嘘をつかない」というのは、設計現場での合言葉のようなものですわ。人間は嘘をつきますが、物理法則だけは常に誠実で、そして時として残酷ですのよ。
次回、第3話「泥まみれの公爵令嬢」。
華やかな令嬢が現場で泥まみれになり、偏見を物理的に跳ね返していく姿を描きますわ。地盤も心も、まずは「現場」からですわね!
もしアリーナの「設計士としての矜持」に共感いただけたら、最後に建築確認や評価(建設予算の増額)をお願いいたしますわ。
皆様の熱い応援という名の「地盤強化魔力」が、沈みゆく王都を支える最強のベースになりますのよ!




